強い問答法と第一哲学 Irwin (1988) AFP, Ch.1
- T. H. Irwin (1988) Aristotle's First Principles, Oxford University Press.
- Chap.1. The Problem of First Principles. 3-25.
諸分野への application (§9) はさしあたりの関心事ではないので流し読みにとどめた.9章くらいまでを飛ばし飛ばし読む予定.
1. 第一原理
アリストテレスは,自分が哲学的著作で試みていることを,「第一原理」の探索だとしている (Phys. 184a10-21).彼によれば,知識と第一原理のつながりは「知られることの最初の基盤」(Met. 1013a14) であり,哲学固有の目標ではない.しかし,多くの哲学的著作の冒頭で第一原理に言及していることからして,第一に哲学の仕事であると考えているようだ.
「我々によりよく知られていること」(EN 1095a2-4) から探究すべしというのは分かりやすい.だが探究のゴールである第一原理が「本性上」「端的に」よく知られるというのは分かりにくい.アリストテレスは類比によって説明する: 端的によく知られることとは,誰もが知っていることではなく,よい知的状態にある人が知っていることである.ちょうど,端的に健康であるとは,よい身体的状態にある人にとって健康であることであるように (Top. 142a9-11).
第一原理は信念や命題の他に,(非言語的・非心理的・非命題的な) 物を含む.例えば四元素自体が第一原理であり,そこから他のものが説明される.アリストテレスが命題と物を無差別に第一原理と呼ぶのは理解可能である.というのも,第一原理を第一原理たらしめるのは,信念間の関係ではなく,世界の非命題的な物の間の関係 (たる事実) だからだ.
2. 実在論
命題的第一原理が真であり第一であることは非命題的第一原理との対応によって規定される.ゆえにアリストテレスは形而上学的実在論者である.「本性上知られる」ものはたまたま我々の認知的能力に適合するものではない.原理が第一であることが我々の信念を原理把握たらしめるのであって,逆ではない.
真理についてのアリストテレスの主張は,形而上学的実在論へのコミットメントを示す: 変化するものについての言明は,変化に応じて真理値を変えるが,言明そのものが変わるわけではない (Cat. 4a21-37).この主張は常識的に見えるが,「世界が言明の真理性を規定するのであり,逆ではない」という,アリストテレスの確信に基づいている (Cat. 14b11-23).「p が真である iff. p」というだけでは,非対称性は捕らえられない.この非対称性は原因・説明の観点から捉えられるべきだ (Met. 1051b6-9).
アリストテレスはこの非対称性について多くを述べていない.Met. Γ では実在論的想定の若干の諸側面をプロタゴラスやラディカルな懐疑論者に対して擁護している.だが Γ でさえ,どの程度のことを所与としていたかは不明である.彼は全てが信念に相対的であるわけではないと前提しているし (1011a17-20),世界についての事実が感覚についての事実を説明すべきであって,その逆ではないとも前提している (1010b30-1011a2).アリストテレスは,真理についての標準的信念を持っている人がみな彼の実在論的想定を共有しているかのように語っている1.彼が相手にしているのは非常に粗削りのプロタゴラス的試みであって,プロタゴラスの後継者がなしたより精妙な議論には答えていない.
実在論的想定を拒否する理由の一つは,認識論的困難にある.形而上学的実在論は,プロタゴラスやその後継者にとっては,懐疑論の余地を残すものだ.アリストテレス的主張を受け入れるなら,第一原理があり,それによって諸事態が説明されると信じる理由を示さなければならない.
したがって,アリストテレスが正しいとすれば,我々は,我々の第一原理が,ヒューム的な仕方で心的習慣に還元できるものではないことを示す必要がある.我々が第一原理を見出したと考えるよい理由があるとすれば,その場合,その原理に関して,ヒューム的な方向性よりアリストテレス的方向性の説明が正しいと信じる理由になる2.
そういうわけで,「我々によく知られるものから本性上よく知られるものへ」という主張は,瑣末なものではない.
3. 問答法と哲学
以上ゆるく (経験的探究との対比で)「哲学的」と述べたものを,アリストテレスは「問答法的」議論と見なしている.プラトン同様これはソクラテス的な対話を基盤とおり,(中後期) プラトン同様,積極的な結論に達するのに用いうると考えている (Top. 101b3-4).アリストテレスの場合,プラトンの対話篇と違って,問答法の構成的役割は明白ではなく,また会話も登場しない.しかし Top. が示す方法は基本的に同じであり,DA, Phys., Eth. はその方法に従っている.
4. 問答法についての疑問
だが,アリストテレスが叙述する限りの問答法の方法論は,客観的第一原理に達することを保証していない.高々エンドクサを整合的にするにすぎない.この困難は本書の中心的問題をもたらす.問題は単純であり,あらゆる哲学者について生じるものだ.アリストテレスの場合には,問題の特に二つのヴァージョンが当てはまる.
第一に,形而上学的実在論は真理の対応説を採るため,整合性による正当化には懐疑の余地が残りうる.そして,疑念の余地をなくすためには自明な命題による基礎づけを行うしかないとしばしば考えられている.だが,基礎付け主義はそれ自体としても,実在論との組み合わせにおいても,満足の行く認識論的立場かは疑わしい.第二に,直観的な信念を過大評価し過ぎではないかという懸念がある.これら二つの問題は独立だが,アリストテレスにおいては両方が大いに当てはまる.
アリストテレスは問題の一部には気付いている.実際彼は問答法の限界を主張し論証的学知と対比する.だが,論証的学知も,第一原理の客観的真理性を前提するが,示せはしない.
だがアリストテレスは,第一原理が客観的に真だと議論できると思っている.Γ の「あるの学知」「第一哲学」がそれである.一方これについては,(1) 普遍学の不可能性をより初期の著作で論じていること,(2) 普遍学は結局問答法と似てしまっていること,が問題になる.これに対応して,普遍学の合理的な構想を見つけていること,問答法批判が普遍学には効かないこと,を示すことが,本書の目的である.
5. アリストテレスの発展
Jaeger 説は目がないものとする.Owen 説 (初期著作より後期著作のほうがプラトンに親近的) のほうが真実に近い.ただ,プラトンの影響を中心に哲学的発展を説明できるかは疑わしい.むしろプラトンへの論評は,プラトニズムの文脈を外れた省察の副産物だと思われる.
ありうる発展に注目することは有用と思われる.ただ最近では発展史図式への正当な懐疑から「静態的」見解を採る学者も多い.それはさしあたりは尤もらしいが,いくつかのケースではやはり発展説を取ったほうがよい.本書はそうした問題として二つを論じる: (1) 上述の普遍学の可能性の問題,(2) オルガノンや自然学と『形而上学』における実体論の違い.この両者は互いに関連している: Γ の普遍学の理論の導入と ZHΘ の新たな実体論の導入は偶然の一致ではなく,両者は連続した議論である.
6. アリストテレスの哲学観
我々の言うところの哲学的著作の方法がアリストテレスにとって「問答法的」で,かつ普遍学が問答法の改訂版なら,アリストテレスは哲学的議論観を変えていると言える.アリストテレスの「純粋に問答法的な」哲学観によれば,第一に哲学は経験科学のライヴァルではなく,それゆえ第二に哲学は科学ほど客観的ではない.他方,『形而上学』では問答法について考えを変えている:「純粋な問答法」は確かにそうだが,普遍学は客観的に真な第一原理に到達する.
この心変わりは多くの永続的で困難な問題を提起する.それらは,自分野に対して理にかなった程度に自覚的などんな哲学者にも関わるような問題である.普遍学はまず「固有の原理」が大事だというアリストテレスの主張と衝突する.普遍学についての彼の主張が合理的かどうかを知るには,そうした科学が何を主張するのか,それらの主張は他の学問領域について何を含意するのか,主張と含意が合理的か,を知る必要がある.合理的だったと示すのが私の目的である.
7. 問題の起こり
以降の流れを説明する.2-7章は実質的に B 巻入門である.アリストテレスは普遍学について重要なパズルを提示している: (1) 問答法は,アリストテレスの問いを論じるのに使える唯一のやり方だが,適切な結果を生み出せないように見える.(2) 普遍学はありえないと考える理由がある.(3) どれが実体かの評価基準が決められない.(4) ゆえに,質料と形相のどちらが実体かも決められない.
これらはアリストテレス自身の以前の見解から生じる問題である.初期著作の読者は,まさに B の問題を感じるはずだ,と私は論じる.実体論の問題 (3, 4) は部分的には方法の問題 (1, 2) から生じる.このつながりを示すために,方法の問題 (ch.2) の直後に実体の問題 (ch.3-4) や質料・形相の問題 (ch.5) を論じ,それから問答法と科学の対比を検討する (ch.6-7).
問答法への方法論的疑念は,実際の建設的問答法的議論の結果を検討すると出てくる.そこで,Cat., Phys. I-II を検討する.問題は,(1) それらが特定の特定の結論を指示するにはあいまい (indefinite) すぎること,(2) もしはっきり (definite) しているとしても,それは常識的見解を明らかにするだけであること.――実体論の場合,(1) 彼の議論は適切な実体の候補を特定するに十分でない.また,(2) 実体や原因に関する彼のデモクリトスやプラトンの議論への批判は,それらが高々常識に一致しないと述べているに過ぎない.それゆえ彼が B で問題を提示したのは理にかなっている.
8. 問題の解決策
なるほどアリストテレスは Γ と ΖΗΘ の連続性を強調してはいない.しかし Γ は実体論を第一哲学の中心的課題と見なしている.だから,実体論が第一哲学の議論の規則に従っているかは問われてよい.では,その規則とは何か.
普遍学=「第一哲学」は純粋に問答法的でも純粋に論証的でもない.普遍学がうまくいくには,適切な種類の問答法的議論のために,信念の適切な部分集合を選ぶやり方が必要である (これに基づく議論を「強い問答法」(strong dialectic) と呼ぶことにする).また普遍学の結論が形而上学的実在論の諸条件に適すること,合理的な水準の経験主義と衝突しないことも示されねばならない.
第一哲学は問答法的だが,前提は選択されている.「ある」の学知は,現実が学問的探究の対象であるために必要な諸特徴を記述する限りで普遍学である.Γ では対象が (i) 本質を持つ (ii) 実体でなければならないと論じられ,PNC 否定論者や主観主義者に対する反論の中で,そうした対象の必然的諸特徴が探究される.
学問的探究の対象があるという前提からする問答法的議論は,任意の一般的信念から出発するものではなく,帰結も単なる一般的信念の集合ではない.そうした議論は問答法的だが単に問答法的であるわけではなく,客観的諸原理に通じている.このようにして形而上学的実在論的要求も満たされる.
次いで ZHΘ でこの一般的な着想が適用される仕方を検討する.Z では,実体に関する初期の主語基準 (subject-criterion) を大まかに認めた上で,強い問答法によってこれを修正し,本質としての実体という考えを追加で支持する理由を与えている.なお初期の見解や通常の信念と乖離した他の議論については強い問答法を同様の仕方で見出すのは困難である (種の第一性,神が唯一の真正の実体であること).
最終的にアリストテレスは,実体は質料ではなく形相であり,第一実体は個別の形相だという結論に至る.ここでは経験的考慮も用いられており,第一哲学への適合如何を見るには Phys. との対比が有用である.第一哲学は経験的な問いに答えるものではないが,どの経験的な問いが重要 (relevant) か,経験的な問いへの答えからなにを結論すべきかを示す.第一哲学,および中核巻の議論についての正しい見方を得られれば,中核巻の議論は第一哲学の規則にしたがって合理的構成となる.そしてその解決は,単に実体についての困難の解決であるのみならず,いかにして実体についての問答法的結論が客観的原理を記述しうるのかという困難の解決ともなる.
9. 解決の適用
強い問答法の適用範囲を探るため,DA,Eth.,Pol. を検討する.強い問答法をやっていると理解することで,解釈の前進が見込める (詳細略).