原理の獲得 (帰納・分割法・問答法) Delcomminette (2018) Aristote et la nécessité, ch.8.

  • Sylvain Delcomminette (2018) Aristote et la nécessité, Vrin.
    • 2ème partie. Science et nécessité.
      • Chapitre VIII. La connaissance des principes propres de la science. 213-242.

帰納

  • 142 学知の必然性は原理に基づく.では原理の必然性はどこから来るのか (さしあたり共通原理は措くとして.cf. §249-250).
    • この問いは II 19 で扱われる.II 19 はただの補遺などではなく,分析的アプローチを閉じるために必須である (§84).
  • 143 II 19 はアポリア的方法の三段階 (cf. B1. §239) をもつ.
    • まず,(a) 原理はいかにして知られるか (発生論),(b) それを知る ἕξις とはいかなるものか (基礎の問題),というアポリアが提起される.
      • a と b ははっきり区別される (Barnes).a は心理的可能性,後者は認識論的可能性を問う.
  • 144 次いでアポリアが展開される (διαπορήσειν ἄν τις 99b23).
    • (b) 原理認識は ἐπιστήμη か否か.
      • ἐπιστήμη だとすると無限背進する (I 3).
      • だが違うとすると何か.この問いは末尾に初めて答えられる (100b5-17).
    • (a) そうした ἕξις はつねに私たちのうちにあるか,それとも後天的か.
      • 前者はありえない: それと知らずに ἐπιστήμη よりすぐれた状態を得ることはできない.
      • だが後天的だとすると,なんらかの先行する認識から獲得する必要がある.それはいかにして可能なのか (99b25-32)? まずこの問題が扱われる (99b32-100b5).
  • 145 原理認識は先行する認識を前提する.ただし先行性は優越を意味しない (単に πρὸς ἡμᾶς).基礎づけではなく発生の問題になる.
    • ここで帰納 (ἐπαγωγή) が導入される.帰納は個別者から普遍への道と定義される (Top. I 12).この意味での帰納は既に APo. I 18 に登場している.
      • 場合によっては推理・推論を通じて帰納がなされうるが (Top. I 12; APr. II 23),その場合,事例全体は,完全枚挙ではなく (それは不可能である),むしろ種を介して把握される.
        • だがこうした過程は外延的な普遍理解を前提しており,普遍が必然性を含む APo. II 19 の文脈とは異なる.
      • むしろ II 19 の帰納は,単なる一般化ではなく,必然的なものを偶然的なものから切り離す,自発的心理的過程である.
        • 帰納はしばしば類似性 (ὅμοια) の知覚に依拠する (Top. I 18, 107b7-12).ここには類似性が偶然的でなくエイドス・ウーシアーの同一性に基づくという想定がある.
        • この場合,全個別者を考慮する必要はない.一事例で事足りる場合さえある (I 31, 88a11-17; II 2, 90a24-30).
  • 146 第一段階は感覚すなわち "δύναμιν σύμφυτον κριτικήν".これは原理認識に先行するが厳密でない (99a32-35).感覚は端的な端緒であり,(知的秩序 (§107) に属する全ての認識と異なり) 先行する認識を前提しない.
  • 147 第二に,だが感覚は直接には普遍ではなく個別者に関わる.普遍を取り出すには比較が必要であり,そのためには μονὴ τοῦ αἰσθήματος を可能にする記憶 (μνήμη) が必要である.
  • 148 第三に,同じものについての多数の感覚と記憶から (若干の動物,特に人間に) 経験 (ἐμπειρία) が生じる.これは λόγος であり最初の καθόλου とされる.ここで若干の問題が生じる.
    • 「同じもの」とは何か.同じ個別者か,同じ種か? ――普遍への道を辿っている限りで,後者がよりもっともらしい.
    • 経験の例: それまでに何人かを治したことがある人が,似た条件下にあるソクラテスに (当の条件について正確に知らないまま) 治療を施す能力をもつ場合 (A1, 981a7-12).
    • λόγος は notion と訳され (Tricot, Pellegrin),帰納はしばしば命題ではなく概念の獲得と解釈される.また Met. では λόγος は経験そのものではなく,経験が関連付ける諸事例が従う規則である.
      • だが Met. においてさえ経験はむしろ命題を対象とする (例:「これこれの治療がカリアスやソクラテスの苦痛を和らげる」): 経験をもつ人は ὅτι を知る (981a28-29; cf. APo. II 7, 92a38-b1).
      • そもそも「概念か命題か」は適切な二者択一ではない.「概念」は命題的構造と独立でなく,まずは述語としてはたらく.
    • 経験ですでに普遍に達するのか,それとも依然個別者も対象とするのか.
      • II 19 は前者を示唆する.原理が魂にある普遍から生じる (100a6-9) のであり,「第一の普遍 πρῶτον καθόλου」(100a16) が学知的普遍と区別されて後者の基盤となる.
      • だが Met. A1, 981a5-12 では技術や学知が普遍的判断を対象とする点で経験と区別される.
    • 以上の見かけ上の矛盾を解消するため,McKirahan は経験と原理認識の間に普遍把握に対応する中間段階を付け加え,καθόλου を単なる un « tout indifférencié » の意味に解する (cf. Phys. I 1, 184a24-26; Bolton 1991).
    • だが,経験の καθόλου を外延的に理解し (§128 の 1, 2),原理が必然性を含む (3, 4) と理解すれば,見かけ上の矛盾は解消される.
      • Cf. 経験によっては ὅτι しか認識できず,διότι, さらには εἶδος, を認識できない (A1, 981a10, 28-30).
  • 149 経験の段階について二点付記する:
    • 第一の普遍の獲得は感覚自体に影響する: 個別者を普遍者の特殊例として見ることができるようになる.
    • 専門的技能をもたない全領域について,成人は経験の段階にいる.私たちの一般概念の大半は経験の普遍であり,言語はこれを前提する (νοῦς を前提するわけではない).
  • 150 帰納の第四段階にあたる原理獲得 (ὅτι から διότι への移行) の方式はほとんど論じられていない.かつアリストテレスは少なくとも一見よくわからない戦列の比喩を用いる (100a10-b3).
    • 比喩の意味は Phys. VII 3, 247b1-248a9 を参照するとわかる: 知的性向の最初の獲得は,魂が本性上の動揺を脱して静止することでなされる.
      • したがって: まず最初の固定 (記憶) があり,次の固定 (経験) が続き,それから第三の固定 (知識・技術の獲得) が続く.
      • 技術・学知の普遍は,原因を与えることで,第一の普遍をさらに安定化する.
        • だが本質やエイドスに達するには,経験の普遍をそれに似た他の普遍と比較して上位の普遍 (類) に遡る必要がある.このプロセスはおそらくカテゴリーに達するまで続く.
    • Phys. I 1 で「普遍から個別者へ」と言われているのは,錯雑した経験の普遍が (APo. II 19 が記述する仕方で) 確定されていく過程を言うものである.
  • 151 最後にアリストテレスは第二の問いに答える (100b5-17).
    • 知性 (νοῦς) の導入はなんら第一の問いへの応答への補足ではない (contra 伝統的解釈); νοῦς は帰納の最終結果であり帰納の主体ではない.
    • だが,最後の段落は単なる術語の整理でもない (contra Barnes).むしろ,私たちが学知に優越する認識をもつという事実に依拠して,原理認識の可能性を示すものである.
  • 152 νοῦς は「知的直観」ではない.
    • まず先立つ仕事なしに得られるものではない.むしろ帰納という長い過程をへて獲得されるもの.
    • νοῦς が直接的 (immédiate) だというのは,単に無中項の (immédiats)・論証不可能な原理の把握であるという意味においてでしかない.
    • また論証の原理が問題である限り,原理認識も論弁性を免れない.
    • νοῦς の本性と働きについての議論は DAMet. に俟つ (§371, 401-405).分析的アプローチの文脈では可能性が示されれば十分である.
  • 153 II 19 の立場を「経験論的」(Barnes) と形容するのには慎重になるべきだ.
    • なるほど原理認識は感覚経験から得られる.だが原理認識の能力は魂があらかじめ有している.νοῦς が獲得されるのは,魂のうちに πάντα γίγνεσθαι しうる παθητὸς νοῦς が存するからである.
    • また帰納の順序は「私たちにとっての」順序であり,アリストテレスが学知を経験によって基礎づけているというわけではない.
    • また経験は原理獲得の必要条件だが十分条件ではない.

分割

  • 154 「第一の普遍」はなんらか自発的に獲得されるとしても,学知的普遍はそこからどうやって得られるのか.
    • 後者の過程は定義獲得に対応する.定義は突如得られるものではなく (ソクラテス以後の哲学的展開が示すように) 探求を要する.その方法は II 13 で論じられる.
  • 155 II 13 は "πῶς δεῖ θηρεύειν τὰ ἐν τῷ τί ἐστι κατηγορούμενα" の問いから始まる.ものの本質 (οὐσία) とは (必然性を含意する強い意味で) 普遍的に属する属性の連言である.
    • もの (例: 三) には,類を越えて妥当する属性 (例:〈ある〉) と,特定の類 (例: 数) のなかで妥当する属性 (例: 数,奇,第一) がある.本質は後者の連言である.
  • 156 本質に達するには αἱ διαιρέσεις αἱ κατὰ τὰς διαφοράς が有用である (96b25-26) とアリストテレスは言う.これは APr. I 31 や APo. II 5 で根本的に批判していたように見えるプラトン的分割法の復権である.
    • I 31: 分割法は (前提から結論が必然的に出てこないので) 論証ではない.
    • II 5: 分割法は定義を論証しない (し,他のいかなる方法もそうである).
    • だがこれらの箇所は,分割法を根本的に批判しているわけではなく,妥当する領域を限定するという「ほぼカント的な」意味で「批判」しているにすぎない (Pellegrin).
  • 157 分割法の有用性は,ἐν τῷ τί ἐστι な属性を順序づけ (97a29-34),網羅性を保証する点にある.
    • 網羅性に関しては二分法の是非の問題がある (II 13, 97a20-21 ↔ PA I 2-3).いずれにせよ (プラトンにとってさえ) 二分法は方法論的規定に過ぎず,Pol. 287c4-5 や Phlb. では再考に付されている.
  • 158 分割法は演繹的方法ではない.むしろ帰納に近い (APo. II 5):
    • アリストテレス帰納同様に個別者から定義することを勧める.
    • 帰納同様,論証の方法なしには〈何ゆえに〉を認識できない.
    • むしろ分割の美徳は明瞭さ τὸ σαφές にある.
  • 159 ただし分割法がうまくいくには予めある属性が τί ἐστι に属することを知っている必要がある (II 5, 91b28-29; 97a24-25).プラトニストはこの条件を守っていないとアリストテレスは考えた.
    • ではいかにして必然的属性を単なる偶然的属性から区別するのか.アリストテレスTop. を引いている (Eustr. In Apo. 210.9-22).

問答法と哲学

  • 160 原理探求における Top. の有用性 (I 1, 101a36-b4) はいかなるものか.
    • 解釈者には,この意義を重視しない人 (Brunschwig, Devereux, Barnes, Smith) と重視する人 (Le Blond, Owen, Berti, Couloubaritsis, Irwin, Bolton, Pietsch, Wlodarczyk) とがいる.
    • 本書は中間的な立場を取る.一方で Top. は VIII で規則が与えられるやり取りのためのものだが,しかし同時に,原理確立に寄与する道具を提供してもいる.
      • 哲学者と問答家は τῷ τρόπῳ τῆς δυνάμεως に異なる (Γ2); 両者の ἡ σκέψις は μέχρι τοῦ εὑρεῖν τὸν τόπον には同じだが,問答家はそれを論駁に用いる一方,哲学者は真理にしか関心を持たない (VIII 1, 155b3-16).つまり方法は同じだが目的が異なる.
  • 161 τόπος とは「命題を生み出す道具であり,所与の命題から,命題-結論関係を保存しつつつ,一個または多数の命題を決定しうるものを言う」(Brunschwig).つまり考察中の問題に関連する諸前提を探求する方法が問題になっている.
    • 問答法的対話の文脈において πρόβλημα は「これこれはかくかくか否か」の形式を取る (I 4, 101b32-33).答え手は一方を選び,討論中それを保持しなければならない.こうして言明形式になった問題と矛盾する命題を問い手は確立しようとする.これがエレンコスである.
  • 162 問題や前提はプレディカビリア (類,固有性,定義,偶有性) に属する.
    • プレディカビリアとは様相の観点からなされる結びつきの様式を指す.
    • プレディカビリアの分類の網羅性は「矛盾律の二重の適用」(Brunschwig) によって正当化される: 述語は本質に帰属するかしないかであり,また外延が一致するかしないかである.
      • 答え手は問題の主述の結びつきの様相に応じた矛盾命題を提示する必要がある.
  • 163 前提からの結論の導出は必然的であり,前提の様相は様々である.ゆえに問答法は APr. の様相推論理論を前提する.
    • Top. で推論が定式化されていない事実は,APr. が後の作品であるという結論を強いるものではない.Top. の目的は,推論の定式化ではなく,推論の構築を可能にする命題の発見手段を与えることだからだ.
  • 164 こうしたことはどう哲学に役立つのか.
    • プレディカビリアの各々は定義に応用できる (I 6; IV 1; VI 1; VII 3, 5).
      • 定義は対象に属する述語 (付帯性のトポイ),対象に関して「類的な」(γενική) 述語 (類のトポイ),および対象に排他的に属する述語 (固有性のトポイ) を含む.
      • それゆえ Top. は「定義の方法論」(de Pater) を与えるものとして読める.一定の諸属性の類的地位をチェックし確立することで,それらの連言として定義が確立する (κατασκευάζειν).もっとも厳密な分節・定式化は分割法を用いる必要がある.
  • 165 だが問答法の前提はあくまで思いなしの段階にある.ここからどうして原理が得られるのか (i.e., 問答法,ないしはその方法の哲学的応用,の認識論的基礎は何か (Bolton)).
    • Bolton: エンドクサ性には段階がある.エンドクサ間で衝突が生じた場合,最もエンドクソンなものに依るべきである.アリストテレスによれば,最もエンドクソンな前提は感覚知覚によって与えられる (経験論的).
    • Brunschwig (contra Bolton): 直ちに矛盾する命題はエンドクサとは呼ばれない.パラドクサならエンドクサでない (I 10, 104a10-12).
    • Berti (Brunschwig より穏健): エンドクサは偽でありうるし,別のエンドクサで論駁しうる.
      • Berti: 認識論的基礎はむしろ,各エンドクソンの他の大多数のエンドクサとの整合性に存する (EN VII 1, 1145b2-7; EN I 8, 1098b11-12; cf. アリストテレスの認識論的楽観主義―― EE I 6, 1216b30-35; Rhet. I 1, 1355a14-18; α1, 993a30-b4; EN I 8, 1098b27-29; X 2, 1172b36-1173a2).
  • 166 学知は感覚経験に基礎をもつが,経験は人間に共通であるためにエンドクサは一致する可能性が十分にある.この限りで Berti の「整合主義的」解釈と Bolton の「経験論的」解釈は合流する.
  • 167 必然性は経験のうちに「見いだされる」のではなく,哲学がそれを論弁的に捉え返す (la reprise discursive) ことで経験に導入される.原理の内容は経験から導かれるが,その原理としての地位はただ哲学によって確立される.その必然性の基礎は再び PNC である.経験から学知への移行は,経験への論理の導入に対応する.
  • 168 他方,いかなる点でこの過程の適用結果が ἀκριβλεστερον で ἀληθέστερον な νοῦς なのかは Met. Θ10 で初めて論じられる (§369-373).その前に,ここまでの議論から生成する世界に関するいかなる様相的解釈が生じるかを検討する.