『前書』の推論の図示の再構成 Netz (2023) "Aristotle's Three Logical Figures"

Reviel Netz (2023) "Aristotle's Three Logical Figures: A Proposed Reconstruction" Phronesis 68, 62-77.


ギリシャ数学のアリストテレス論理学への影響は夙に指摘されてきた (Einarson 1936; Smith 1978).実際,(1) アリストテレスは当時の数学に通じており (Vitrac 2002),(2) 特に4世紀には数学的活動の活発化があった.(3) また文字付きの図の使用はもっぱら数学に特徴的である.

APr. の現存写本にアリストテレスの図はない.伝達過程で失われたか,そもそもテクストの外部にあったかだ.再構成の試みはしばしばなされてきた.図を添える最古の例はアンモニオスの注解に見られる.

現代の再構成のうち in passing な提案としては Kneale 1962, 71-2; Rose 1968, 113-16. 相当な労力を払っている唯一の例として Wesoly 2012, 198. だが,これらはどれも同時代の数学的実践という脈絡を無視している.

非空間的対象を扱うギリシャ数学の脈絡は複数あるが,図示の原則はどれも同じである.現存著作として: エウクレイデス『原論』6-7巻 (数),同5巻 (比例量),エウクレイデス以前の Sectio Canonis (音 note).特に音楽とは似ている: ギリシャ音楽理論は二つの音とその音程 (interval) とを考察し,アリストテレス論理学は項と二項からなる前提とを考察する.比例理論も同様の構造をもつ.

現存写本の図示は二通りある.第一に,項が線で表され,各線は互いに並行であり,各々の横にアルファベットのラベルがある.例:

ἦν δὲ καὶ ὡς ὁ Γ πρὸς τὸν Β, ὁ Γ πρὸς τὸν Δ, ὥστε μετρεῖ ὁ Γ καὶ τὸν Δ. πολλαπλάσιος ἄρα ἐστὶν ὁ Δ τοῦ Γ. (Sectio Canonis 1)

Netz 2023, 66.

第二に,項を足し引きする必要がある場合.音に音を足すと音程という存在論的に異なる対象ができるのとちがって,量に量を足すと別の量ができる.『原論』5.1 が例を提供する (Vat. Gr. 190 75v.)〔省略.〕

これらの例は広く見られ,一貫しており,かつアリストテレスの時代に近い.同様の表記は後代にも見られる (e.g. Archim. Sph. Cyl. 1.2).

APr. でラベルをもつ二項の組み合わせが語られることはまれである (例: 'ἡ Α Β πρότασις' (25a14)).むしろ単一の項が語られることが多い.

幸いアリストテレスは諸格の空間的特徴について手短に述べてくれている.第一格について:

καλῶ δὲ μέσον μὲν ὃ καὶ αὐτὸ ἐν ἄλλω καὶ ἄλλο ἐν τούτῳ ἐστίν, ὃ καὶ τῇ θέσει γίνεται μέσον· ἄκρα δὲ τὸ αὐτό τε ἐν ἄλλῳ ὂν καὶ ἐν ᾧ ἄλλο ἐστίν. (25b35-7)

μέσον はまずは論理的な意味だが,ここでは空間的にも中間であると注記されている.だから ἄκρα もまた,三つの平行線の一本目と三本目として理解できる.これらは後に μεῖζον/ἔλαττον と呼ばれる.これらは論理的位置を示す 'major/minor' と解されてきたが,むしろ線の長さに言及していると考えるのが尤もらしい.

次いで第二格について:

... τὸ μὲν σχῆμα τὸ τοιοῦτον καλῶ δεύτερον, μέσον δὲ ἐν αὐτῷ λέγω τὸ κατηγορούμενον ἀμφοῖν, ἄκρα δὲ καθʼ ὧν λέγεται τοῦτο, μεῖζον δὲ ἄκρον τὸ πρὸς τῷ μέσῳ κείμενον· ἔλαττον δὲ τὸ πορρωτέρω τοῦ μέσου. τίθεται δὲ τὸ μέσον ἔξω μὲν τῶν ἄκρων, πρῶτον δὲ τῇ θέσει. (26b35-39)

ここでは線の位置と長さは一致しない.μεῖζον/μέσον/ἔλαττον はもっぱら長さを指す.πρῶτον/πορρωτέρω という言葉づかいは,線が左から右に整列していることを示唆する (上下なら上下と書いただろう).

第三格について:

μεῖζον δʼ ἄκρον τὸ πορρώτερον τοῦ μέσου, ἔλαττον δὲ τὸ ἐγγύτερον. τίθεται δὲ τὸ μέσον ἔξω μὲν τῶν ἄκρων, ἔσχατον δὲ τῇ θέσει.

このときは線が〈大→小→中〉と並ぶ.

APr. I 4-6 には各々についてのコメントがある.用いるアルファベットは各々で一貫している: (ラテナイズすると) A, B, C (第一格); M, N, X (第二格); P, R, S (第三格).アルファベットの順序は論理的配置ではなく空間的配置に基づく (第三格では S が中項).「第二」「第三」という書き方も,諸格の図が一所に集められて数字か何かが振られていたことを示唆する.アリストテレスの「三格」とは,以下のように再構成できる単一の図にほかならない.

Netz 2023, 71.

こうしたごく素直な視覚化がこれまで理解されてこなかったのは驚きだ.イメージに対してテクストが重視されてきた一例かもしれない.加えて,図が有効 (efficacious) でないといけない――論理的主張の妥当性の判定に役立つものでないといけない――という考えもあっただろう.実際,古代後期や中世の視覚的ツールは,上記のものより有用である.有効でない図をどうしてわざわざ描かないといけないのか?

それでも,この図は役に立つ:

  • 3つの対からなる6つの組み合わせが存在することを明確にできる.
  • 記憶のツールとして役立つ: 長さと配列の意味が分かっていれば,格の全体構造を把握できる.言い換えれば,議論の参照先を特定するのに役立つ (のであり,それ以上ではない: 幾何学よりは Sectio Canonis の例に近い).
  • だが,より正確には: ギリシャ数学者は 'A' 'B' 'C' が何を指すかの mnemonic として線を使っていたのではなく,むしろ,線があって初めて抽象的対象への指示が成り立つと考えていた.線の機能はむしろ semiotic である.
    • 「まず 'A' が抽象的対象を指示し,その mnemonic として線がある」のではない.むしろ,まず線が抽象的対象を指示しており,その線に 'A' というラベルがついているのである.

二つの比較が可能である:

  • クリュシッポスの論理学はもはや文字を使わない.それは,もはや図を使っていないからだ.これはクリュシッポスが同時代の科学に背を向けていたことの一例をなす.
  • Kneale and Kneale 1962, 61 は 'letters as term-variables' の使用をアリストテレスの革新とした.これは間違いで,ある意味ではむしろ線が変項をなす.項の表象としての文字の用法はほとんど近代代数を待つ必要がある.

アリストテレスの描く図はどんな文脈をもち,どんな物質に具現化されていたのだろうか.I 4-6 では第二格が M, N, X, 第三格が P, R, S で示されていたが,後にはこれらの格を A, B, C で示している.このことは,(1) 主な記号論的ツールがラベルでなく線であることを確証するほか,(2) 議論の対象となっている図がただ一つでないことも示している.リュケイオンにはパピルス,白板,蠟版などの人工物に溢れていて,口頭で学習や研究がなされていたとするのが一番ありそうだ.