「文法学」としての無矛盾律論 Jaulin (1999/2015) Eidos et Ousia, Chap.1 #1

  • Annick Jaulin (20152) Eidos et Ousia. De l'unité théorique de la Métaphysique d'Aristote. Classiques Garnier.
    • Chapitre 1. Le livre du philosophe. 21-74. [ici 21-52.]

Jaulin 1999 の第2版; ただし内容は変更なし.第1章で Γ を論じている.一旦 Γ4 を扱うところまで.


〈ある限りのあるもの〉の学知のパラドックス

  • 1 哲学者の学知の対象である〈ある限りのあるもの〉の内実を確定する最も確実な手段は,PNC を手がかりにすることだ.

疑問の余地のある類,不確かなカテゴリー

  • 2 哲学者の学知の対象については二重の困難がある:
    1. (i)〈ある限りのあるもの〉の学知がある,(ii) 全ての学知はある類に関わる,(iii)〈ある〉は類ではない,というトリレンマ (Aubenque).
    2. また通常〈ある〉がそれだと語られる諸カテゴリーが Γ2 に明記されていない.

二重のアナフォラ

  • 3 パラドックスaは,〈ある限りのあるもの〉=ウーシアーへの還元によって解消される (Owen 1957).これは Z1, 1028a10-15 でより発展した定式化がなされるプロトロジーの第一段階である.
  • 4 「ウーシアーの原理と原因」はウーシアーに等しい.というのも,「〈ある限りのあるもの〉の諸種と諸種の諸種」(1003b21-23) を探究すると述べられており,諸種の諸種もウーシアーでしかありえないからだ.
    • 〈ある〉と一の同一性に関する割り込みめいた (Kirwan) 議論は,「諸種の諸種」という奇妙な言葉づかいを正当化するためのものである.
      • 一の諸種は〈同〉〈類似〉など.哲学者の学知はこれも探究する.「諸種の諸種」はこうした類の諸種を指す言葉である.
    • すると,単なる σχήματα τῆς κατηγορίας ではなく,各カテゴリー内の系列 (συστοιχία τῆς κατηγορίας, I3) が問題になっていることになる.
      • 実際アリストテレスは「各カテゴリーにおける第一のもの」として与えられる「第一の一」によって「一へのアナフォラ」を定式化している (1004a25-30).この「第一の一」とは第一ウーシアーたるエイドス (Z) のことであり,エイドスこそ〈ある限りのあるもの〉が探究するピュシスである.
    • したがって,σχήματα τῆς κατηγορίας の秩序に基づく諸カテゴリーのウーシアーへのアナフォラ,および συστοιχία τῆς κατηγορίας の秩序に基づくウーシアーの第一ウーシアーへのアナフォラがあることになる.1003b22-1004a2 の竄入を想定する必要はない.

二つの哲学とその類について

  • 5 ここで素描されるウーシアーの区別は E1 の第一/第二哲学の区別に対応する: 自然学者のフュシスは勝義のフュシスではない.
    • 第一ウーシアーとウーシアー・シュノロスの区別は〈ある〉と一の諸類の区別 (= 形相の類と質料の類の区別) においてはたらいている.
      • 哲学は形相 (=「各カテゴリーにおける第一のもの」= 反対者の積極) の類を探究する.(このことが哲学という学知の統一性を保証する.)

諸公理の原理たる公理

反対者に関する公理

  • 6 〈ある限りのあるもの〉の学知の対象となるフュシスが反対者の類からなるという規定は,反対者に関する公理である PNC によって確証される.
    • PNC 探究が第一ウーシアー探究に付け加わっていることは,〈ある〉の学知が〈ある〉一般の学知である証拠とみなされてきた (例: Aubenque).
      • だが,そうみなす必要はない."τοῦ καθόλου καὶ τοῦ περὶ τὴν πρώτην οὐσίαν θεωρητικοῦ καὶ ἡ περὶ τούτων ἂν εἴη σκέψις" (1005a35-b1) は (Jaeger の修正を採らず写本通りに読むなら) τοῦ καθόλου = τοῦ περὶ τὴν πρώτην οὐσίαν であることを示唆する.
        • このようにみると Λ4 と Γ3 が接近する.

καθόλου な探究

  • 7 〔Γ3 冒頭の要約.〕
  • 8 部分的探究と異なり,哲学は類を類たらしめる構造を明らかにする.
    • Cf. Λ4: καθόλου な探究は κατ᾽ἀναλογίαν である: 諸カテゴリー・諸類からは類比的同一性 (i.e. 形相,欠如,質料) が取り出せるが,それは構成要素の同一性を含意しない.

構文論的公理

  • 9 質料と反対者は定義の κατηγορεῖν の原理であり,当のロゴスの分節規則を明らかにする.「同時に反対者がありはしない」は定義のロゴスの統語論的規則である.
    • 第一公理〔PNC〕は συλλογίζεσθαι の原理そのものである.ソクラテスにあって συλλογίζεσθαι の原理が〈何であるか〉であったのに対し (M4),アリストテレスの問答法は Top. の分析 (IV 3, 類から反対者へ; VI 6, 定義から種差へ) を経て συλλογίζεσθαι の規則を発見している.第一公理の定式化は問答法の改革のあとを示している.

問答法と〈ある〉の学知

  • 10 問答法には強いも弱いもない (contra Irwin).第一哲学は真偽ではなく類の諸属性を考慮する[^1].
  • 11 第一哲学と第二哲学の区別はまさしくソクラテスが始めた問答法的分割に由来する.問答法が学知としての第一哲学の方法を生み出すまでになったと言うこともできる.

部分的結論

  • 12 したがって,普遍的学知に逆説はない:〈ある限りのあるもの〉の学知は二重のアナフォラによって第一ウーシアー = ウーシアーの原因・原理に関わる.このことは συστοιχία τῆς κατηγορίας を含意しており,各カテゴリーは〈ある〉の二重の類 (反対者の類) とみなされることになる.
    • この結論は「諸公理の原理」を確立する文脈によって確証される.この公理は「第一」なものとして考慮されるが,その優位は反対者の構文 syntaxe の公理であることに由来する.哲学は各類の類比的構成を説明するのであり,類を超えて取り出されるこの類比は構文論的であって συλλογίζεσθαι の形式に関わる.
    • 「各カテゴリーにおける第一のもの」も類の構文と独立に取り出すことはできない.第一ウーシアーへの二重のアナフォラもこの構文の発見に依拠する.第一ウーシアーもウーシアーの構文論的形式であり,ウーシアーの〈ある〉の原因である.

第一の治療: 論駁: 言うこと

根源的論駁

  • 13 〔論駁的論証の導入部の要約.〕
  • 14 〔論駁的論証の戦略の要約.〕

意味表示の一性について

  • 15 論駁的論証の分析の導きの糸となるのは確定ないし意味表示の統一性の問題である.λόγος の本性には意味表示の確定性が含まれており,ある語を述べる人は定義 définition の営みを強いられる.問題となるのは ὄνομα ではなく πρᾶγμα すなわち λόγος であり,λόγος なしには διαλέγεσθαι すなわち真理探究も不可能である.
  • 16 〔καθ᾽ ἑνός と καθ᾽ ἕν の区別.〕
  • 17 καθ᾽ ἕν な「人間」は Δ6-7 の自体的な一や〈ある〉に相当する.
  • 18 自体的な一や〈ある〉である「人間」や「白」は類の尺度の単位であり (I 2; I 8), エイドス=第一ウーシアーの例でもある.このエイドスはウーシアー・シュノロスのロゴス (= プログラム) である.
    • こうした必然的分節の規則は言語の全領域ではたらく.言葉を話すとは,ものの〈ある〉の構成的属性の構文を分節して述べること articuler である.
  • 19 単なる付帯性は λόγος をもたないために述定の基体ではありえない.付帯性の集積によって一なるものが得られないことはソクラテスのような個体の事例 (1007b5-14) において特に明らかである[^2].
  • 20 意味の次元の話なので,人間がソクラテス同様に実在するかはここでは問題ではない.
  • 21 公理を否定したときに破壊されるロゴスは単なるアリストテレス的ロゴスではない: 付帯性も確定的な意味の単位なしには割り当て可能でない.

ἓν πάντα

  • 22 1007b18 以降の肯定/否定の問いと,1008b2 以降の表象や信念に関する問いも,やはり定義の問題に依存しており,また分節の問題でもある.
    • 肯定/否定の問題もあくまで構文的対立が問題になっている.(真/偽の概念が登場したときに初めて論点先取が疑われる (1008a34-b2).) この段階でも意味表示の単位の領域から離れてはいない.
    • 後の contradiction pragmatique (C&N) に関する議論も,やはり実践の分節を扱っている.

意味の分節について

  • 23 以上の議論では βαδίζειν, φθέγγεσθαι, εἰπεῖν が近づけられている.φθέγγεσθαι は分節された音声を発話することを指す.これは人間に特徴的である.
  • 24 « rien dire » と « pas dire » がほぼ同列に扱われていることも,ここから説明できる.
    • 言う dire とは不可分な要素の文法的分節であり,不可分な単位を知らなければ分節して述べることはできない.
    • アリストテレスはこの分節モデルを意味表示の領域に拡張しているのであり,その点で « rien dire » と « pas dire » は類比的である.
  • 25 アリストテレスの論駁は定義の理論に依拠している.