所謂「海戦問題」解釈をめぐる議論状況 #3

最終回。

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ここまで,近年に至るまで解釈の主流をなしてきた二つの解釈指針について概観した。本節では,Whitaker 1994 において提出された新たな論点について述べる。*1

ウィッタカーは,DI 9 の解釈にあたって,DI 全体の構成,とりわけ 6-8 章との関係に注意を促す。すると,第6章で矛盾言明が導入され,7-8章において,先述の RCP の第一,第二の例外事例が語られる,という構成になっていることが分かる。再掲すると:

  • RCP: 全ての矛盾言明の対について,一方が真であり,他方が偽である。

このような経緯を踏まえれば,9章は RCP の第三の例外事例について述べている,と解釈できる。伝統的解釈が DI 9 を ¬PB の帰謬法による証明と見なしたのに対し,ウィッタカーは ¬RCP の帰謬法による証明と見なす。*2

ウィッタカーは,Ar. による RCP の措定とその例外の探究について,次のような説明を与えている。*3すなわち,RCP は問答法に関わる。問答法においては,最初に前提 (dialectical premiss) が質問の形で与えられ,しかも矛盾言明の対を平等に提示し選択させるという形式を取る。この質問に正答が存在することが問答法の成り立つ前提である。そして正答の存在を保証するのが他ならぬ RCP であり,RCP がどの程度普遍的であるかということが DI 7-9 の主題なのである。

後記

最後に個人的なメモをいくつか走り書きしておく。綿密に比較検討したわけではないが,総論としてはウィッタカー-ヴァイデマンの路線が穏当だろうと思う。少なくとも主題が RCP であるという点は動かしがたい。とはいえ帰謬法の仮定である論理的決定論が謎めいているのは事実で,*4個別の論点についてはアンスコムやヒンティッカの解釈から学べる点もあるように思われる。*5

その上で,DI 9 において PB が論点となるか否か,という点が問題になるが,私見ではこの点はヴァイデマンに軍配が上がるように思う。cf. Weidemann 1998: "[...] Zudem verkennt er [= Whitaker] völlig (vgl. S.114f.), daß dann, wenn das Bivalenzprinzip auch für singläre Zukuntsaussagen uneingeschränkt gültig wäre, für die aus solchen Aussagen bestehenden Kontradiktionspaare die Regel RCP ebenfalls uneingeschränkt gelten müßte (vgl. Ar. 1-II, 229-239)" (pp.164-5). ウィッタカーは当該箇所 (18a34-8) につき "κατάφασις" (18a37) の後に "ἢ ἀπόφασις" を補うことで PB の前景化を避けようとするが,この追加は写本上の裏付けが弱く (アンモニオスの注解とシリア語写本のみ。尤も写本状況をちゃんと調べていないので確定的なことは言えない),また内容としても畳語的になる。

いずれにせよ,両者の RCP と PB が事柄としてどういう関係に立つのかという点は,どちらの論考によっても十分掘り下げられていないように思われる。この点は Ar. のディアレクティケーの理解にも関わってくると思うので,考えてみたい。

文献表

  • Ackrill, J. L. (1963) Aristotle's Categories and De Interpretatione (Oxford: Oxford University Press).
  • Anscombe, E. (1956) "Aristotle and the Sea Battle" in Mind (257), 1-15.
  • Aristotle, Categoriae et Liber de Interpretatione, L. Minio-Paluello (ed.) (Oxford: Clarendon Press, 1989).
  • Hintikka. J. (1973) Time and Necessity: Studies in Aristotle's Theory of Modality (Oxford: Clarendon Press).
  • Knuuttila, S. (2015) "Medieval Theories of Future Contingents'', The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Winter 2015 Edition), Edward N. Zalta (ed.).
  • Weidemann, H. (1998) "Essay Review" in History and Philosophy of Logic 19, 161-165.
  • ―― (2012) "De Interpretatione", in Ch. Shields (ed.) The Oxford Handbook of Aristotle (Oxford: Oxford University Press), 81-112.
  • Whitaker, C.W.A. (1996) Aristotle's De Interpretatione. Contradiction and Dialectic (Oxford: Clarendon Press).

とりわけ重要と思われる未読の関連文献 (もとより包括的ではない):

  • Fine, G. (1984) "Truth and Necessity in De Interpretatione 9", History of Philosophy Quarterly 1, 23-47. *6
  • Frede, D. (1970) Aristoteles und die Seeschlacht: Das Problem der Contingentia Futura in De Int.9, Hypomnemata 27 (Göttingen: Vandenhoeck and Ruprecht).
  • ―― (1985) "The Sea-Battle Reconsidered. A Defence of the Traditional Interpretation", Oxford Studies in Ancient Philosophy 3, 31-87.
  • Weidemann, H. (2002) Aristoteles, Peri Hermeneias. Übersetzt und erläutert von H. Weidemann (Berlin: Akademie Verlag, 1994; 2nd, revised edition). *7

*1:この点,邦語文献としては,新版アリストテレス全集の『命題論』補注Bおよび訳者解説において,すでに詳しく紹介されている。それゆえここでは簡単に述べるに留める。

*2:但し先に見たように,伝統的解釈を採る Weidemann 2012 はウィッタカーのこの論点を踏まえている。なおウィッタカーの説明に従うなら,正確には "□p∨□¬p" が否定されるのであり,これは RCP と形式的には矛盾しないように思われる。だが後述の RCP の役割を考えれば,このことは論旨に影響しない。

*3:Whitaker 1996, pp.126-128.

*4:Weidemann 2012 は Ar. の議論を現代的な哲学的論理学の道具立てを用いて正当化する可能性を示唆している。

*5:ただ正直に言えば両者の解釈をあまり理解できている気がしない。全体として整合的な読み筋を提出できているのかもよく分からない。

*6:但し入手困難。

*7:旧版は大学に所蔵されている。また 2015 年に Sammlung Tusculum から同著者による注解が出ている。第9章に限らず DI を読む上で Whitaker と並べて参照する必要があるだろう。