『自然学』I.2 の諸論証 Clarke (2019) Aristotle and the Eleatic One, Ch.2-3
- Timothy Clarke (2019) Aristotle and the Eleatic One, Oxford University Press.
- Chap.2-3 (pp.19-57).
2. エレア派一元論の論駁
2.1 序論
- Phys. I.2, 185a20-b25 の批判を扱う.
- どういう批判か,
- いかなる解釈を前提しているか.
- 二つの憂慮の検討: 論点先取,uncharitable であること.
2.2 批判の第一系列:〈あるもの〉の諸方式
- 第一系列は二つの議論からなる: カテゴリー論を用いたジレンマの構築 (185a20-32),メリッソスの無限論の問題 (185a32-b5).
2.2.1 〈あるもの〉は多様に語られる
- 最初の議論は次のテーゼに依拠している.
- 相互依存テーゼ: 実体の存在は非実体の存在に依存する.逆もしかり.
- 問題:「〈あるもの〉は多様に語られる」は,(i) 語「あるもの」の多義性を示しているのか,(ii)〈ある〉方式の多様さを示しているのか?
- 多義性の除去のために語っていると解釈してしまうと,相互依存テーゼと衝突しなくなってしまう.
- むしろ,〈あるもの〉の〈ある〉方式がいかなるものかを問題にしているのだ.
2.2.2 論証のターゲット
- 二つの sub-questions からなる.
- 「全てのものは (i) 実体か,(ii) 量か・質か (pl.) ……?」という問いは,存在者一元論に向けられたものではない.むしろ本質一元論に向けられている.––本質一元論者はどれかを選ばないといけない.
- 「全てのものは (iii) 一つの実体か,(iv) 一つの質か……?」は存在者一元論を念頭に置いている.
2.2.3 相互依存の帰結
- 「実体と量と質があるとすれば……」(185a27-9) は (i) および (iii) を攻撃する (← 相互依存テーゼ).
- 続く 185a29-32 は (ii), (iv) を攻撃する.
2.2.4 論点先取
- しかし,パルメニデスの一元論は「XはYでありはしない」と理解可能な仕方で言えないことから導かれる,としばしば解されている.
- その通りだとすれば,カテゴリー間の区別に基づくこの批判は論点先取ではないか.
- 応答: アリストテレスがそう考えていた証拠はない.かつ,よりよいパルメニデス理解がありうる.
2.2.5 メリッソスの無限な〈一〉に対して
- 続くメリッソス批判 (185a32-35) は,彼の主張が〈あるもの〉が無限という量の担い手である (→ 量的性質が別個にある) ことを含意する,というものである.
- 一般に,〈あるもの〉への属性の帰属が一元論に反するという批判の特殊例とみなせる.アリストテレスからすれば,エレア派の〈あるもの〉観はナイーヴで不当に制約されているのだ.
2.3 批判の第二系列:〈一〉の諸方式
- 次いで「〈一〉も多様に語られる」と言われる.これも多義性ではなく〈一〉の諸方式を指す.
- 例:「エレア派は「一」を「連続的」の意味で使っている」ではパズルにならない.「連続的であるという仕方で一である」なら,存在者一元論との関係で問題が生じる.
- 三つの選択肢が検討される: (1) 連続的であることで,(2) 不可分であることで,(3) 説明規定において,一である.
2.3.1 連続性
- Cf. B8.22-5.
- アリストテレスの批判は (b9-11),連続的なものは (可能的に) 無限に分割できる,というもの.
2.3.2 部分と全体
- 直後に (b11-16),部分と全体は単一か複数か,という論点に言及される.これはアリストテレスにとってのありうる問題として提起される (解答: どう解決されようと,一元論的な「部分=全体」ではありえない)*2.
2.3.3 不可分性
- B8.22.
- 不可分性は広がりをもつことと両立しない (b16-19).
- さらに「質的属性と両立しない」と言っているようにも見えるが,それは変 (e.g. Λ7, 不可分な神は善である).もっぱらエレア派が帰する属性を念頭に置いていると読む.
2.3.4 説明規定上の〈一〉
- Cf. B8.4: μουνογενές.
- 万物が説明規定上一つなら,F と not-F (e.g. 〈善い〉と〈悪い〉) が同一だという「ヘラクレイトス的」帰結が出る (b19-25).
- ここに隠れている前提は,「〈ありはしないもの〉を語る・考えることはできない」(cf. B2.7-8) というもの.このとき,「善」「悪」はなにか〈あるもの〉を指示することになる.
- さらに言えば,反対者だけでなく,全ての属性が同一 (最後の一文).ヘラクレイトス主義より極端.
2.4 アリストテレスの批判はフェアーか
- エレア派に存在者一元論・本質一元論を帰してよいか.
- とはいえ,より charitable に再構成できたのではないか (cf. A3 の自然学者の説の再構成).
- 実際 Z1 では実体一元論として定式化される.I.2 の論駁は実体一元論には効かない.
- この憂慮は二点から解消できる.
- ここでは原理の存在が問題となっているのだから,実体一元論は無関係.
- 加えて,属性を〈あるもの〉と見なさない形而上学的ナイーヴさも (特に後の〈基体–形相–欠如〉理論との関係で) 問題になる.
3. 一と多の問題
3.1 序論
- 「同じものが一でも多でもある」ことに関する後代の議論について,補説が挟まれる (185b25-186a3).
- 「後代の人々も……困惑した」という表現は,エレア派も一と多の問題を扱ったことを含意する.
- 事実メリッソスとゼノンの議論が残っている.
- 後代の人々は二つの問題を見ていた: 述定問題,全体–部分問題.
3.2 述定問題
- 述定問題:「ソクラテスは人だ・白い・音楽的だ」から,一つのもの (ソクラテス) が多 (人 etc.) だという帰結が生じる.
- 解決1: ἐστί の削除 (リュコフロン).
- 解決2: copula + adj. の動詞化 (未詳).
- アリストテレスの診断: 一か〈ある〉を単一の仕方で捉えているのがそもそもの間違い.
- 一:「或る仕方で一,他の仕方で多」を許容しない.
- 〈ある〉: X is F を同一性としか見ていない.
- この問題は Pl. Sph. 251a5-c6 にも登場する (晩学者).
- ただし晩学者は単に,単一のものが複数の属性を持たないと結論する.
3.3 全体-部分問題
- しかし最終的に,後代の人々は一が多であると認めた,とされる.
- 言語の修正で問題が解決されたのであれば,これは変である.
- むしろ,部分と全体が同一だと前提していたために,真正の困難が生じたのだと考えられる.
- 「或る仕方で一,或る仕方で多」(e.g. 可能態/現実態) を認めれば,困難はない.
3.4 補説の眼目
- 「一」の多様性は,基礎に置かれる基体の理論の前提となる.