所謂「海戦問題」解釈をめぐる議論状況 #1

アリストテレス『命題論』(De Interpretatione) 第9章 (以下 DI 9) は所謂「海戦問題」を扱う章として知られる。しかしその解釈は,古代から現在に至るまで,論争の的となっている。

DI 9 の論証は,大別して,以下の2通りの仕方で解釈されてきた。

  1. 二値原理 (以下PB) の無制限な (とりわけ未来の単称言明への) 適用を許すと決定論が導かれる。しかるに,決定論は偽である。よって,PB は無制限に適用できない。
  2. 『「P or not-P が必然である」ならば「P が必然であるか,not-P が必然であるかのいずれかである」』とすると,決定論が導かれる。しかるに,決定論は偽である。よって,云々。

以下,1 を「伝統的解釈」,2 を「様相的解釈」と呼ぶことにする。勿論,細部に種々のヴァリエーションは存在し,また両者のどちらにも当てはまらない解釈も存在する (e.g. 後述のウィッタカーによる解釈)。いずれにせよ,決定論が偽であることを前提した帰謬法であるという点は,概ね争いがない。*1

本記事では, DI 9 の解釈をめぐる議論状況を,以下の構成で整理する。(長くなるため記事を分割する。)

  1. 中世の解釈史瞥見
  2. 現代における伝統的解釈
  3. 様相的解釈
  4. 問答法との関係

1

初めに,古代・中世における DI 9 の諸解釈を概観する。*2PB の妥当性の制限を Ar. の結論とする「伝統的解釈」は,全ての中世の著述家によって支持されていたわけではない。とはいえ,解釈指針として極めて古いことは確かである。ボエティウス (ca. 480-524) の報告によれば,ストア派は Ar. の主張を「未来に関する偶然的命題は真でも偽でもない」と解したという (Periherm. II, 208.1-4)。

ボエティウス自身はこの理解を斥け,むしろ,Ar. によれば,未来に関する偶然的命題は「非決定的に (indefinitely)」真または偽なのである,とする。この術語はアンモニオス (ca.435-445-517/526) の注解にも登場するが,現代においてはそれ自体解釈が分かれる語である。一つの解釈によれば,この語は,未来の偶然事に関わる矛盾言明の対には真理値が「決定的に」分配されて (definitely distributed) いない,という意味である。つまり,未来に関する偶然的命題は,「真または偽である」という選言的性質 (disjunctive property of being true-or-false) を持つ。この場合 PB は一定の制限を受ける。もう一つの解釈によれば,未来に関する偶然的命題は,未だ truthmaker が与えられていないがゆえに「非決定的」である。この場合 PB は維持される。

アベラール (1079-1142/4) は,このうち後者の解釈におけるアンモニオス-ボエティウスと大筋で一致した仕方で DI 9 を解釈する。多くの中世の著述家同様,アベラールはむしろ「確定的/非確定的 (determinate/indeterminate)」という言葉遣いをする。アベラールは実然的言明への PB の適用を認め,他方,全ての言明が「確定的に」真または偽であるという,より強い原理の適用は退ける。なお「(非)確定的」という観念は第一義的には truthmaker に適用され,次いで言明に適用される。アベラールの関心は,未来の偶然的命題が現在真であることは確定的か,という論点にあり,彼はこれを否定する。*3

これに対して,「伝統的」解釈は,マリオ・ダル・プラが編纂した――そして誤ってアベラールに帰されてきた―― 12 世紀の匿名の注解において提出されている。この注解の著者は,未来の偶然的命題はただ選言的にのみ (tantum sub disjunctione) 真または偽である,と述べる。アルベルトゥス・マグヌスやトマスも同様の見解を採り,またファーラービーやイブン・ルシュドも同じ解釈を行っている*4。他には,スコトゥス,ウォルター・バーレー,オッカム,アイィーのペトルス,レヴィ・ベン・ゲルションがこのグループに属する。他方でビュリダンはアベラールと同様の解釈を採る。

なお,これらの著述家は必ずしも Ar. に賛同しなかったようである。クヌーティラによれば,「神学者たちは大抵,神の全知と預言が無制限の二値性を前提すると考えていたので,未来の偶然事に関する議論は,アリストテレスの見解の歴史的解釈――そのほとんどは伝統的解釈に従う――と,神学における――大抵はアベラール的路線に従った――体系的議論とに分かれていた。」(Knuuttila 2015, p.15.)

*1:例外として Hintikka 1973 はもう少し複雑な解釈を提出している。

*2:本節の内容は Knuuttila 2015 に全面的に依拠する。

*3:したがって結局,アベラールの解釈は一種の様相的解釈であるように思われる。cf. Hintikka 1973, p.147: "A sense of the variety of answers to the question concerning Aristotle's problem is perhaps evoked by a comparison of Abelard's and Miss Anscombe's discussions with the others."

*4:尤もファーラービー自身は,未来の偶然的命題は真または偽であるという見解を持っていた。