9月に読んだ本

  • ヴェルナー・イェーガー『ギリシャ哲学者の神学』神沢惣一郎訳,早稲田大学出版部,1960年.
  • 平野千果子『人種主義の歴史』岩波新書,2022年.
  • ノエル・キャロル『ホラーの哲学』高田敦史訳,フィルムアート社,2022年.

イェーガー『ギリシャ哲学者の神学』

Die Theologie der frühen greichischen Denker (1953) の邦訳.もともとは 1936 年のギフォード講義であり,英語版 The Theology of the Early Greek Philosophers は 1947 年に出ている.

原題に見られるとおり,初期ギリシャ思想を宗教的側面に着目して ("modus deum cognoscendi et colendi" (p.230) として) 論じる.いまとなっては当然の視角だが,Jaeger 自身は本書を,一方では科学的側面を重視し神学的側面を軽視する前世代の Burnet や Gomperz の仕事に対抗し,他方ではギリシャ宗教史に哲学的思索を含める Wilamowitz (1932) Die Glaube der Hellenen II の指針を承けて積極的な哲学史的探究を行ったものと位置づけている (pp.10-12).(この主題で Cornford が引かれていないことは奇妙に思える.)

扱われる思想家はヘシオドス (序論),ミレトス派 (第二章),クセノファネス (第三章),パルメニデス (第六章),ヘラクレイトス (第七章),エンペドクレス (第八章),アナクサゴラスとディオゲネス (第九章),ソフィストデモクリトス (第十章) だが,パルメニデスの前にオルフェウス教の神統記 (第四章) と魂論 (第五章) が扱われる.ところどころに魅力的な解釈があり,テクストを各論的に検討する際には今なお参照の価値があると思う.

平野『人種主義の歴史』

植民地史を専門とする歴史家による人種主義に関する概説書.主に15世紀から現代までの西洋の人種主義をグローバルな観点から扱う.まず序章で人種主義は大きく集団間に遺伝的につづく序列関係を想定する立場と定義される (この定義によればアイヌ差別はもとより部落差別も一種の人種主義である).第一章では大航海時代が扱われ,ビトリアの議論および「バリャドリ論争」(ラス・カサス対セプルベダ) にも触れられる.なおイスラーム圏では9世紀ごろからアフリカ人奴隷が存在し,すでに15世紀半ばにはヨーロッパにも存在したとも指摘される.

第二章では啓蒙期の人種論が扱われる.ベルニエ,リンネ,ビュフォン,ブルーメンバッハ,による人種の分類・序列づけ (ブルーメンバッハによる「コーカサス人種」概念の確立) を見た上で,人種主義の観点からするモンテスキュー,ルソー,ディドロの批判的な読み直しの動向が紹介される.第三章では19世紀における人種理論の展開 (キュヴィエ,ゴビノー,ノット&グリドン,ノックス) と「ホッテントット」イメージの広範な形成が叙述される.

第四章では遺伝学・解剖学およびナショナリズムへの合流が語られ,第五章では20世紀の事象として人種植民地支配・ナチズム・パンアフリカニズムに触れられる (コンゴ自由国のジェノサイドや「黒い恥辱」キャンペーンなどいくつかのショッキングな事実について新たに学んだ).

キャロル『ホラーの哲学』

The Philosophy of Horror or, Paradoxes of the Heart (1990).ホラーという作品ジャンルに関する美学研究.(1) ホラーとは何か,(2) なぜ人はホラーを怖がるのか,(3) ホラーはどのように組み立てられるのか,(4) なぜ人は怖いホラーをわざわざ鑑賞するのか,に一章づつを充てて論じる.著者によれば:

  1. ホラー作品とは,鑑賞者にホラーの感情 (アートホラー) を喚起する機能をもつ作品である.
    • アートホラーは,何らかのモンスターに対する感情である.
    • モンスター X にアートホラーを抱く iff.
      • 何らかの異常な身体的興奮を感覚する状態にあり,
      • 当の状態が以下の思考によって引き起こされる.
        • X が存在することが可能であり,かつ
        • X が身体的 (ないし道徳的・社会的) に危険であり,かつ
        • X が不浄である (cf. ダグラス『汚穢と禁忌』).
      • かつ (大抵の場合) この思考は,X に触れることを避けたいという欲求を伴う.
  2. 一般にフィクションについて以下のトリレンマがある: (a) 私たちは本当にフィクションに心を動かされている,(b) 私たちはフィクションが描写する対象が現実のものではないと知っている,(c) 私たちの心を動かすのは私たちが現実にあると知っているものだけである.
    • ホラー作品についても「アートホラー」に限定して同じトリレンマが成り立つ.
    • ホラーに関して,(a) を否定する説 (ウォルトン的なフリ説),(b) を否定する説 (錯覚説) はいずれもうまくいかない.
    • むしろ (c) を否定し,対象が現実的であるという信念はアートホラーに必要ではなく,単に思考を抱くことだけが必要であると考えるべきである (思考説).
  3. ホラーの最も一般的なプロットは「複合型発見型プロット」であり,これは〈登場-発見-確証-対決〉の系列からなる.またこれの部分列をなすプロットもある.
    • もう一つは (マッドサイエンティストやネクロマンサーが登場する)「越境者型プロット」であり,典型的には〈実験の準備-実験-実験が失敗した証拠の蓄積-モンスターとの対決〉からなる.
  4. なぜホラーに惹かれるのか,これまでホラーというジャンルが存続しているのか (ホラーのパラドックス)?
    • 不安や願望 (例: 抑圧された性的願望) に訴える説明はうまくいかない (ホラー一般には適用できない).
    • イデオロギーに訴える説明も同様に,個人を引きつける理由を説明できない.
    • むしろ,ホラーの物語は,未知なるもの (モンスター) が既知になるプロセスをたどることで,鑑賞者の好奇心を満たす点に魅力がある.
      • 物語形式を取らないホラーについても,その魅力は,私たちの分類図式から逸脱したモンスターに対する好奇心に由来する.

訳者が指摘しているように,「ホラー」で指すものが言語/時代で異なるために,本書の horror は日本語で言うところの「ホラー」とは若干のずれがある.とはいえ例えばいわゆるJホラーには議論が妥当しないかというと必ずしもそんなことはなく,多くの作品がキャロルの枠組みで十分よく説明できるのではないかと思う.他方モンスター中心で定義することで除外される (何らかの仕方で恐怖を本質的な構成要素とする) 作品についていかなる理論がありうるかは当然気になるところではある.ホラーのパラドックスに関する「好奇心」説にはまだ納得しきれないものの明確な反論は思いつかない.

ホラー論の基礎になる心の哲学的な部分では,感情の認知説を前提したうえで,アートホラーが信念を要件とするか単なる思考を要件とするかという議論がなされている.これは結局はより一般的な感情ないし認知の捉え方の一例なので,アートホラーの一例だけからはなんとも言えない面はある.例えば2章の結論を受け入れるにしても,信念が構成する恐怖 (ないし感情一般) と,アートホラーを含む,単なる思考が構成する恐怖 (ないし感情一般) の関係如何といった問題がただちに出てくるように思う.