プラトン的ソフィストとの突き合わせ Dancy (1975) Sense and Contradiction, Chap.III
- R. M. Dancy (1975) Sense and Contradiction: a Study in Aristotle, D. Reidel.
- Chapter III. On Antiphasis' Character and Upbringing. 59-73.
アリストテレスの論敵は PNC に反対するのみではない.よく見ると,PNC が極めて一般的に不成立である,とも主張している (sec. I).そこで,論敵が用いうるような,プラトンが伝えるソフィストの議論を見る (sec. II).その幾つかは第一論駁に (ch. IV),幾つかは第二論駁に (ch. V) 関係する.
I. 論敵の主張
論敵は単に PNC を否定するだけでない.例えばヘラクレイトスによれば,全てが全ての述語を持ち,かつ欠いている (1005b25, 12a24-26, a34-b1).こうしたより破局的なテーゼを,アリストテレスはしばしば論敵に帰している (最初は 1006a28 または a30-31).
PNC の全面的瓦解 (breakdown) と部分的瓦解をアリストテレスは一箇所で区別している:
ἔτι ἤτοι περὶ ἅπαντα οὕτως ἔχει, καὶ ἔστι καὶ λευκὸν καὶ οὐ λευκὸν καὶ ὂν καὶ οὐκ ὄν, καὶ περὶ τὰς ἄλλας φάσεις καὶ ἀποφάσεις ὁμοιοτρόπως, ἢ οὒ ἀλλὰ περὶ μέν τινας, περί τινας δ᾽ οὔ. καὶ εἰ μὲν μὴ περὶ πάσας, αὗται ἂν εἶεν ὁμολογούμεναι. (1008a7-12)
最後の謎めいた一節が,部分的瓦解についてアリストテレスが述べている全てである.法則が成り立つ範囲においては,アリストテレスと論敵は一致している,という意味だと思われる.そこで,一致しない範囲へと議論が進められる.ところで,ここでさえアリストテレスは,特定の述語に関する一般的な PNC 不成立を問題にしているように思われる: 特定の述定が特定の主体に関して PNC に違反するという場合は考慮されていない.
Γ5 では論敵の主張がプロタゴラス主義と結びつけられる:
ἔστι δ᾽ ἀπὸ τῆς αὐτῆς δόξης καὶ ὁ Πρωταγόρου λόγος, καὶ ἀνάγκη ὁμοίως αὐτοὺς ἄμφω ἢ εἶναι ἢ μὴ εἶναι: εἴτε γὰρ τὰ δοκοῦντα πάντα ἐστὶν ἀληθῆ καὶ τὰ φαινόμενα, ἀνάγκη εἶναι πάντα ἅμα ἀληθῆ καὶ ψευδῆ (πολλοὶ γὰρ τἀναντία ὑπολαμβάνουσιν ἀλλήλοις, καὶ τοὺς μὴ ταὐτὰ δοξάζοντας ἑαυτοῖς διεψεῦσθαι νομίζουσιν: ὥστ᾽ ἀνάγκη τὸ αὐτὸ εἶναί τε καὶ μὴ εἶναι), καὶ εἰ τοῦτ᾽ ἔστιν, ἀνάγκη τὰ δοκοῦντα εἶναι πάντ᾽ ἀληθῆ (τὰ ἀντικείμενα γὰρ δοξάζουσιν ἀλλήλοις οἱ διεψευσμένοι καὶ ἀληθεύοντες: εἰ οὖν ἔχει τὰ ὄντα οὕτως, ἀληθεύσουσι πάντες). (1009a6-15)
ここではプロタゴラスの主張と PNC の不成立が等価だと示されていることになっている:
- () 現れているものは真である.ゆえに,あなたがソクラテスはカモノハシだと考え,私がそうでないと考えるなら,私にとって,あなたが考えていることは偽だと思われる.したがって,それは偽である.ゆえに,ソクラテスはカモノハシであり,かつ,ないことになる.
- 二人の人の間に不一致があることが本質的である.その一方で,論証で用いられてはいるものの,一方の見解に他方が気付いていることは本質的でない.
- ただ,ここからは PNC の部分的瓦解しか帰結しない (大多数の命題について言えるとしても).ただ,この限界を乗り切るやり方はあると思う (後述).
- () 同じことがあり,かつない.ゆえに,ソクラテスがカモノハシであり,かつ,ない.ゆえに,私やあなたに思われるとおりにある.
- この議論が成り立つためには PNC の全面的瓦解が必要である.
II. いくらかのソフィスト的議論
ここでは歴史的プロタゴラスを解釈したり,アリストテレスの論敵がプロタゴラスなどの代理だと主張するつもりはない.だが,プラトンがプロタゴラスに結びつける一連の考えを検討することは,意味がある.
Euthyd. 285dff. では,ディオニュソドロスが ἀντιλέγειν はありえないと言い,ソクラテスがその見解と論証をプロタゴラスとその一派に結びつける.論証は「偽なことは言いえない」という前提に基づいている.このテーゼは Tht. 166a-c でもプロタゴラス擁護に用いられている.Euthyd. のディオニュソドロスの考えは,大雑把にはこうである: ひとが互いに ἀντιλέγειν するなら,どちらかが偽なることを言うことになるが,それは不可能である.ゆえに ἀντιλέγειν は不可能である.
逆にディオニュソドロスの結論を拒否するなら,両方とも真なることを言っていることになる.そしてこれが論敵の主張である.
Euthyd. において,ひとが互いに対立しうる可能性の拒否は,様々な混乱に基づいて生じている.対話者の一人クレイニアスは,彼の友人が無知であると考える.ディオニュソドロスはこれに応じて,かれは友人に無知であってほしくないと思っており,ゆえに友人がある仕方であってほしくないと思っている.つまり友人にあってほしくない,つまり消滅してほしい,と思っている (282c3-d8).ディオニュソドロスは明らかにライプニッツ則に訴えている.述語が「無知」ではなく,例えば「人間」なら,この結果が得られる.こうした「本質的述語」は第二論駁で主要な役割を果たす.
〔『エウテュデモス』と『クラテュロス』の読解: ここでは省略.〕
以上三種のソフィストが見られる.クレイニアスが無知であるとしよう.あなたがかれについて言うことは真であり,私が彼について言うことは偽だとする.このとき,
- Crat. 429c-430a のクラテュロスは,「クラテュロスは実際には賢くないのだから,「クラテュロスが賢い」と君が言うとき,それは単なる雑音に過ぎない」と言う.矛盾言明対の一方は無意味なので,PNC は決して適用されない.(このパターンについてはあまり論じるつもりはない.)
- Euthyd. のディオニュソドロスないしエウテュデモスは,「君たちはどちらも正しく,別々のクレイニアスについて語っているのだ」と言う.矛盾言明対とされるものは別々のものについての命題である.このソフィストは一種の主観主義者である.
- Euthyd. のエウテュデモスは,「君たちはどちらも正しく,同じクレイニアスについて語っており,クレイニアスは賢くかつ賢くないのだ」と言う.これは論敵である.
第二についてアリストテレスが論究しないのは,主観主義が言及に値すると思っていないからだろう.第二者と論敵は,偽なる言明の可能性を排除している点で共通している.この排除の要因のひとつは,命題の主語 (what a statement was about) の同一性を,誤って命題の述語 (what the statement said about it) の同一性に依存すると見ている点にある.後に見るように,この点を衝くのがアリストテレスの戦略である.