DI における様相の論理的分析 Delcomminette (2018) Aristote et la nécessité, ch.4

  • Sylvain Delcomminette (2018) Aristote et la nécessité, Vrin.
    • 1ère partie. L'idéalisme langagier d'Aristote.
      • Chapitre IV. Le nécessaire et le statut des modalités. 77-106.

未来の偶然的事象の問題

  • 49 必然性の問題が出現するのは前章に見た矛盾言明の文脈である.DI 9 では未来の偶然的事象が例外と思われる事例として扱われる.この章は多くの注釈を受けてきたが,しばしば「論理的」文脈から切り離されて論じられてきた.
  • 50 問題の導入部 (18a33-b9) では:
    • まず RCP1 が二値原理・PEM・PNC として詳述される.これらはあたかも互いを含意するかのように書かれており,むしろあくまで単一の原理 RCP が念頭にあるように思われる.
    • つづいて対応説的真理観が述べられる (cf. Γ7).「それは白い」が真なら,必然的にそれは白い.
      • これは因果的必然性ではない (Frede 1985);〈ある〉ことが真理の原因なのであり (Θ10) その逆ではない.むしろ真の定義から出てくる論理的必然性である.
  • 51 これら二原理の連言から決定論が帰結するように見える.
    • 2つ目の原理の必然性は "p" → p という条件的必然性 (necessitas consequentiae) にすぎないが,二値原理と合わさることで (条件的な,しかし決定論を確立する) 必然性が生じる.
    • こうした決定論は純粋に論理的であり自然学的 (§200) ではない.因果性も時間もこの議論には寄与しない: この議論は過去・現在・未来に等しく妥当する (cf. DI 9, 18b9-16).ただ未来の場合にのみ未来が開かれているという私たちの考えと衝突するだけである.
  • 52 アリストテレスはまず PEM の拒否による解決を斥ける (18b17-25).論点は二点あるが明確ではない:
    • 第一の論点: PEM を拒否すれば RCP も拒否される.
      • アリストテレスはここで RCP に無条件の妥当性を帰属しているように思われる.それゆえ,アリストテレスが二値原理を棄却しているというよくある解釈も誤っている.
    • 第二の論点 (海戦): 対応説的真理定義の必然的帰結.
      • これも二値原理を拒否しても解決しない: そうした解決によれば,未来のある時点でも,当の事象が起きている,ないし起きていないと考えられており,かつ起きているわけでも,起きていないわけでもない,ことになってしまう.
  • 53 ここからアリストテレスは,彼にとって最も受け入れがたい帰結を導く (18b26-35).
    • これはストア派の怠惰論証の起源とみなしうる (cf. Cic. De fato 28-29).ただしやはり論理的決定論であり自然学的決定論ではない.
    • またアリストテレスは熟慮不可能性の問題を強調している.熟慮の不可能性は倫理学の不可能性に等しく,ゆえに受け入れがたい.
    • アリストテレスはこれに付け加えて,実際に発話したか否かは問題でないとノベル (18b36-19a6).
  • 54 続いてアリストテレスは,決定論に反対する二つの議論を立てる (19a7-22).
    • 第一に,私たちは現に熟慮を経験している (モラルサイコロジー的論点).
    • 第二に,現に偶然的事象が存在するというエンドクソンに訴える.
    • いずれも貧弱な議論.私たちの錯覚でない保証はどこにあるのか?
      • アリストテレスは「論のために論じる」(cf. Γ4-5) 人しかそのように論じないと思ったのかもしれない.哲学は経験を説明するものでなければならず,経験と無関係に理論を立てることはできない.
  • 55 では論理との衝突はどうなるのか.この点に答える前に,残りの部分を見ておく.
  • 56 アリストテレスはまず重要な区別を行う (19a23-27).
    • Vuillemin は,アリストテレスが,「あるものが,あるときに,(必然的実体と同じ資格で) 必然的にある」という le principe de la nécessité conditionnelle を述べていると主張する.
    • だが,Vuillemin 説はアリストテレスの他の箇所の主張に反する (DC I 12, 281b9-12; Θ4, 1047b12-14; 9, 1051a5-12).
    • 「立っているとき,座っていることが可能である」は sensu diviso には真だが sensu composito には偽.
      • このスコラ的区別は既に SE でなされている.
    • ゆえに DI の「あるときにあることが必然である」も sensu composito に p\rightarrow p の必然性を述べているにすぎない (≒ Williams 1980; Fine 1984).
  • 57 続いてこの区別が解決を与えることが述べられる (19a27-32): PEM は sensu composito に解されるべきであり sensu diviso に解されるべきではない. p\lor\lnot p の必然性からは p の必然性も \lnot pの必然性も出てこない.したがって決定論は帰結しない.
  • 58 以上事物の側で言われたことが言明の水準でも当てはまる (19a32-39).
  • 59 結論部 (19a39-b4) も二値原理の拒否ではない.そうした解釈は従前の議論とも他の議論とも整合しない.結論部で言われているのはどちらがどちらの真理値を取ることも必然的でないということに過ぎない.
  • 60 二値原理は妥当だが全ての命題が真理値をもつわけではない,選言の真理は一方の選言肢の真理を含意しない,ということになる.
    • Quine はこれを "Aristotle's fantasy" と呼んだ.
    • だが,トートロジーは命題の結びつきの必然性を述べるにすぎず,その必然性を結びつく命題に移し替えることはできない.ゆえに sensu composito な二値原理から sensu diviso に全命題が既に真ないし偽になることは帰結しない.
    • このように理解するとき,論理学は,個々の命題の真偽と独立に命題感の関係を研究するというラディカルな統語論的純粋性をもつことになる.以上の解釈は APr. とも整合する (§90).
  • 61 以上の解釈は大筋でアンモニオス・ボエティウスのそれに対応する (cf. Gaskin 1995).また結局のところ,「アリストテレスが (今日理解される意味での) 二値原理を拒否している」といういわゆる「伝統的解釈」(Frede) にも近い.
    • だが二点で異なる.
      • 第一に,アリストテレスは二値原理 (いわんや PEM) を棄却するつもりだったわけではない.彼の論点は,諸原理を in sensu composito に理解すべきだということにすぎない.それゆえ他著作とも整合する.
      • 第二に,論理的原理について未来の事柄が例外をなすわけではない.未来の事柄は未だ真理値をもたないという論理外的要素を持つに過ぎない.
  • 62 上記第二の論点が意味するのは,過去や現在の必然性が論理外的要素だということである (§185-187).それゆえ,必然性に関する過去と未来の非対称性は,ここではなく第三部で扱う.論理学はいかなる決定論も含意しない.

様相の地位

様相命題とその否定

  • 63 とはいえ単純命題の必然性が複合命題の必然性に基礎づけられることはありうる (後述; PNC).以下ではさしあたり必然的な単純命題がありうることを事実として認めておく,
    • 以下では「p は必然/可能/不可能である」形式の命題をつづめて「必然/可能/不可能命題」と呼ぶことにする.
    • 様相は結びつきを修飾する: τό ... εἶναι ὡς ὑποκείμενον γίγνεται への προσθέσεις (DI 12, 21b26-30). 「ある」が二項を主語とする述語となるというのと同様の特殊な意味で (19b19-20, §21),様相表現はコピュラを主語に取る述語となる.
  • 64 それゆえ様相命題の否定はコピュラではなく様相表現に係る (12, 22a8-10).
    • このことは矛盾命題について否定が結びつきに係るということの例外をなすわけではない.結びつき自体が様相表現によって規定されているからだ.

諸様相命題の随伴関係

  • 65 DI 13 でアリストテレスは様相命題の随伴関係 (consécution, ἀκολούθησις),つまり異なる様相表現をもつ命題間の含意関係,を論じる.δυνατόν, (偶然 contingent: ἐνδεχόμενον,) ἀδύνατον, ἀναγκαῖον.
    • アリストテレスはまず矛盾と反対の概念を用いて最初に四分類を行う (DI 13, 22a24-31).
  • 66 最初の四分類は正確でなく「可能」の両義性 (可能/偶然) に依存している.同値性にもとづく厳密な分類は後に与えられる (22b24-28).
  • 67 後の分類において同じグループの命題は同値なので,どの様相表現も別の様相表現で言い直せることになる.
    • だがプリミティヴな様相は必然性だと想定される (23a18-20).この仮説は形而上学を見なければ完全には理解できない (§362).
    • といって偶然が重要でないわけではない (cf. APr. I 13).必然との区別において偶然は重要.

単純命題における様相の地位

  • 68 述語同様,様相も〈ある〉を含むものとしても含まないものとしても捉えることができる (22b33-23a26).必然的/可能/不可能な「ある」を意味表示する場合 (様相の存在論化 ontologiser),様相は命題ではなく「もの」を特徴づける.
    • ただしこの「もの」は言語外的ではなく,言語により構造化されたものである: カテゴリーがものの分類というよりものについての観点の分類である (§35) のと同様,様相も様相的命題が記述する限りのものに妥当する.
  • 69 それゆえ Abélard 以来の de dicto / de re 様相の区別はアリストテレスには適用できない2
    • アリストテレス的様相は,結びつきに係る点からすれば de dicto に見えるが,若干の推論規則が,様相が述定自体に係りうることを前提している (§104) 点からすれば de re に見える.多くの解釈者はこれをアリストテレスの混乱とする.
    • だが,de dicto / de re の区別自体中立的なものではない.
      • むしろ,主語との結びつきと独立に述語を捉えうるということを前提している.
      • アリストテレスはこの前提を認めない (§22-23, 29): dictum と独立な res は存在しない.述定は述定機能が組み込まれている限りでのみ必然的でありうる.
        • 「全ての人間は必然的に可死的である」は,(i) 「全ての人間」と「可死的」に必然的な結びつきがあると言おうと,(ii)「可死的」が「全ての人間」の必然的述語であると言おうと,同じことである (cf. §105).
  • 70 だが様相の存在論化によって様相概念は形而上学的地位を得る.この点でも論理学は存在論に先立ち,その基礎となる.

  1. 原語は la loi de l'alternative. 厳密に言えば Delcomminette はこれを RCP と区別しているが (前章 p.170 n.1),ここを含め基本的にはこの語によって実質的に RCP (= la loi de l'alternative, logiquement plus forte) のことを指しているように思われる.

  2. 重要な論点.議論が成り立っているかどうかは §104 まで見てから要検討.