Γ巻における分析論の改訂 Irwin (1977) "Discovery of Metaphysics"

  • T. H. Irwin (1977) "Aristotle's Discovery of Metaphysics" The Review of Metaphysics 31(2), 210-229.

いつの間にか大学から JSTOR で Rev. Met. の電子版が読めるようになっていた.

〈あるもの〉全体を扱い公理を正当化するという Γ のプロジェクトが『分析論』と矛盾するという問題を発展史的に解消する論考.前者は後者の原理論の真・必然という部分は保ちつつ,「(i) 知性によって把握される,内在的に必然的な (ii) 論証の原理である」という要件を外したものだ,と論じる.大筋で Owen ラインに従うもので,Nussbaum (1982) とも同じ圏域にある (ただし知性の位置づけについて Irwin はやや保守的).


Γ4 の「〈ある〉限りの〈あるもの〉の学知」=「第一哲学」は論理学著作の領域的科学観に反するように見える.これは単なる言葉上の (verbal) 相違ではない; ここには重要な衝突がある.まず APo. の学問観を叙述し,それが含む困難に注意する.それから第一哲学がこの学問観とどう衝突するかを示す.最後に第一哲学がなぜ哲学的進歩と言えるかを示す (なお Γ が論理学著作より後である点につき Owen に従う).

I〔論理学著作における普遍学の拒否〕

アリストテレスによれば,命題の ἐπιστήμη を持つ人は,導出体系とは独立に (i.e. 内在的に) 必然的に真なる前提からそれを導出できなければならない.これは,p の正当化 qp よりいっそう正当化されている必要があること,および循環と無限背進を避けるべきことから出てくる.第一原理に向かう議論は帰納を含む.観察と経験が正しい第一原理の源泉である.同様に,問答法的議論からも原理に到達しうる.

ここから第一原理の学,および普遍学の拒否が説明できる:

  1. 第一原理の論証は不可能.特に PNC は全ての論証で前提されており,ゆえに,その論証は循環する.
  2. 学知の課題は特定領域の φαινόμενα の説明だとする限りで,普遍学は不可能.普遍性に留まるだけでは何も説明できない (GC 316a5-13).

普遍的学知 (universal science) は不可能でも全学科に関連する問いの普遍的な研究 (universal study) は可能で,それは問答法である.

II〔論理学著作の学知観の矛盾〕

こうした見解から,論理学著作内に答えがない問題が生じる.

  1. まっとうな第一原理にどうやって行き着けるのか.これを全て把握する「直観的知性」(νοῦς)1 の状態には,普通の帰納では到達しきれない.観察は信念しか生まない (APo. 88b30-89a4).問答法は一般的信念と対話者の同意に依存する.要するに,どんな合理的方法も原理に原理の地位を与えることはできない.したがって,学知が到達不可能か,アリストテレスの学知観が誤っている.
  2. 公理は「類比によって共通」だとされる (APo. 76a37-b2).ゆえに算術には算術の,天文学には天文学の PNC があることになり,各々の PNC を別々の νοῦς の働きが捉えることになる.
  3. 学知は公理のほか「論理学的」問答法の成果 (e.g. カテゴリー論) にも依拠している.それらも「類比によって共通」だとすると,なおさら奇妙である.
  4. また問答法の成果であるカテゴリー論は知識でなく信念にすぎない.

アリストテレスの窮境は,厳密な知識を感覚的世界の探究から得ようとする『分析論』の反プラトン的なねらいから出てきている.アリストテレスは,(i) 彼が知識に課していた諸条件が誤っているとするか,または (ii) 問答法を過小評価していたとする必要がある.そして『形而上学』では,(i) (ii) 両方が認められるのだ.

III〔『形而上学』における学知概念の改訂〕

Γ 冒頭の哲学論は学知のスコープと方法に関する論理学的著作の制約に違反する; 方法に関する違反からスコープに関する違反が説明できる.

第一哲学の一部に「推論の第一原理」就中 PNC のような公理の研究がある.この公理は論証はできない.「論駁的論証」はできるが,それは問答法的な議論である.そうした研究を「学知」と呼ぶのはなぜなのかが問題になる.

単に緩い言い方をしているわけではない.実際 Γ でも問答法と哲学は峻別されている: カテゴリー,一,同,異 etc. の研究は問答家ではなく哲学の仕事である (1003b19-1004b17).

B でも問答家は一般的属性を単にエンドクサから研究すると論じられている (995b24).だが,PNC についての議論が依拠するのは単なるエンドクサではない.PNC 擁護論は学知の二つの条件を満たしている:

  1. 合理的に否定し得ない真なる前提から説明されている.
  2. 合理的に否定し得ない前提から必然的に導かれている.

だが,議論は論証的ではない: 前提はもはや「本性上よりよく知られる」「内在的に必然的な (intrinsically necessary)」ものではなく,したがって知性による把握を要しない.『形而上学』にあっては,非論証的知識が見出されているのだ.

もちろんここで「必然的」という語に「有意味な発話のために不可避の」と「内在的に必然的な」の両義性が隠れているという反論はありうる.とはいえ,単なる信念以上のものにするのに内在的必然性が必要ではないとアリストテレスが気付いたのだと言うべきだ.かくして知識は『形而上学』にあっては論証と直観的知性なしに到達可能なものになっている.

IV〔改訂の意図の実証〕

だが,第一哲学が扱う他の原理にも同様のことが言えるのか,PNC が特殊事例なのはないか,という疑いもありうる.(1) PNC が第一哲学の議論の範例を意図したものか,(2) その意図は成功しているか,を問いうる.このうち (2) はあまりに複雑なのでここでは詳論しない.(1) に対する肯定的回答の粗描に留める.

第一哲学はあるものをある限りで探究する.主体に属性を述定することは思考と言語にとって必然的なので,任意の主体がもつような属性は,思考と言語に必要なものである.ある限りのあるものについて何かを証明するとは,何かが属性をもつ主体である限りで,何らか特定の諸属性を持たねばならない.それを示すことは,思考と言語にとって必然的なことを示すことであり,それゆえやる価値がある.

議論の詳細と成否は議論の余地がある.アリストテレスは任意の〈あるもの〉が実体を参照して語られるとし (1003b5-19),PNC 擁護論は実体の優位性を擁護する.意味する人は一つのものを意味する必要があり,一つのものを意味するには実体的 (本質的) 属性によって確定的に特定される特定の主体を参照する必要がある (1007a23-33, b16-18).この存在論を拒否すると有意味な発話を拒否することになる.プロタゴラス主義者は確定したことを言わないよう要求するが,それは何も言わないよう要求することである (1007b18-29).これを避けるにはものが特定の仕方であるとと言う必要があり (1008b2-10),彼らの議論は崩れる.完全に感覚に依拠する人々は自己矛盾し有意味な発話の可能性を失う (1008a5-22, a38-b19, 1010a1-8).アリストテレスはこの態度の背景にあるものを探る (1010b1-1011a2).或る人々は完全な変化の存在から有意味な発話の可能性を掘り崩すが,アリストテレスによれば変化の認知も一定の安定性の認知を前提する (1010a10-b1).アリストテレスはまた,発話という意図的行為のみならず,意図的行為一般の条件にも訴える (1008b10-30).最後に,プロタゴラス説は自己論駁的だと論じられる (1012b13-28).

これらは Tht. の議論の後裔であって (182c-183b, 179a10-b9, 170c2-171c7),アリストテレスはそれを第一哲学の特定の目的のために用いている.

以降の巻でも学知的議論によってこのプログラムが遂行されている.例えば Z-H ではカテゴリー,本質,質料と形相,実体,可能態と現実態を扱う.そこでは Cat.Top. の問答法的議論以上のことが目指されている (1029b13-14); どう語るべきかだけでなく,どうあるかを示さねばならない (1030a27-b7).

Γ4 の方法は「超越論的論証」と呼んでよいものだ.そうした議論の価値は最初の条件の堅固さ (firmness) に依存する.Γ の条件は堅固である.Z 以降の議論の条件についてアリストテレスは述べていないし,ここでは論じられない.だがこの問いは,『形而上学』に関する幾つかの重要な問題を提起する.

V〔結論〕

形而上学の方法論からすると分析論の認識論は改訂を要する.まず PNC は問答法的議論から正当化できるので,直観的知性が必要でなくなる (Γ は知性に言及しない).

同様に,自然学・倫理学でも,前提を注意深く選べば,学知の名に値する問答法的議論ができるかもしれない.この点については『自然学』『倫理学』の注意深い研究が必要であろう.

また Γ の議論に鑑みれば,学知を作るうえで無限後退や循環が必ずしもまずいわけではないのではないか,とも思えてくる (cf. EN 1145b6, EE 1216b27).もっともアリストテレスはこの問いを論じていない.

アリストテレス形而上学を発見 (discovery) した (発明 invention ではなく: 扱う問題は既に Cat., Top.先行者の議論に表れている).形而上学を自然学的に扱ったプレソクラティクスや問答法を最高の学知としたプラトンを斥けて,アリストテレスははじめ諸科学を立てた.が,諸科学の基礎たる存在論が問答法に基づくという難点があった.これに応じたのが『形而上学』なのだ.


  1. 214n5: Kosman (1973), Lesher (1973) の moderate view はアリストテレスの要件を充分に満たすものではない.