感覚から言語へ Delcomminette (2018) Aristote et la nécessité, I-I

  • Sylvain Delcomminette (2018) Aristote et la nécessité, Vrin.
    • 1ère partie. L'idéalisme langagier d'Aristote.
      • (introduction). 21-24.
      • ch.1. Statut et fonction de l'analyse du langage. 25-40.

〔第一部序論〕

  • 6 〈プラトン-観念論 / アリストテレス-経験論〉という図式がある (ただし cf. ヘーゲル).
    • だが,この図式は厳密には間違っている: アリストテレスは「知識が (産出や妥当性に関し) 経験に還元される」とは言わない.
    • Cf. Met. A1, APo. II 19: ἐπιστήμη の ἐμπειρία との区別は,καθόλου なもの,λόγος, εἶδος1, αἰτία の把握による.
      • これら諸概念は必然性概念と連動する: 知識をもつのは必然性をそれとして把握するときである.感覚対象と知識の対象には深い溝がある.本書の1-2部では溝の埋め方を示す.
    • 〈ある〉,普遍性,必然性はすべて言語において主要な役割を果たす (動詞,量化,様相として).言語によってこれらは感覚対象に適用可能になり,感覚対象が知識の対象となる.
      • この意味でアリストテレス哲学は「言語的観念論 idéalisme langagier」だと言える.
        • 「観念論」なのは学知の対象が単なる「所与」ではなく思考による構造化という操作を経なければならないからであり,「言語的」なのは言語が当の操作の第一の手段となるからだ.
        • ここで「観念論」は方法論的立場であり,形而上学的立場ではない.
  • 7 言語の問題は著作に遍在する: Ar. は事物の「語られ方」に言及する.また DI (や Rhet., Po.) は言語自体を扱う.
    • オルガノン』は非常に早い時期に (2c B.C.-200A.D.) 現在の構成になった (Brunschwig 1989).
      • オルガノン』のグルーピングは「予備的」性格 (一般性,学説中立性) からある程度正当化できる (Burnyeat, A Map of Zeta).
      • だが,配列はそうでない.APr. I 1 は πρότασις から出発して,ὅρος, τὸ κατηγορούμενον, τὸ καθ᾽ οὗ κατηγορεῖται をそこから定義し,最後に συλλογισμός を定義する.ゆえに出発点は命題であり2,したがって Cat. ではなく DI から出発しなければならない.
        • Whitaker 1996 は,DI の主題は推論の部分としての命題ではなく矛盾言明対であり,ゆえに APr. ではなく Top., SE と結びつけて読むべきだと論じる.しかし,矛盾は三段論法においても決定的な役割を果たし,それは問答法においても前提されている.また命題は ἀντιφάσεως μιᾶς μόριον として定義されている.

第一章: 言語分析の地位と機能

言語と感覚経験

  • 8 DI 冒頭: " Ἔστι μὲν οὖν τὰ ἐν τῇ φωνῇ τῶν ἐν τῇ ψυχῇ παθημάτων σύμβολα, καὶ τὰ γραφόμενα τῶν ἐν τῇ φωνῇ. καὶ ὥσπερ οὐδὲ γράμματα πᾶσι τὰ αὐτά, οὐδὲ φωναὶ αἱ αὐταί· ὧν μέντοι ταῦτα σημεῖα πρώτων, ταὐτὰ πᾶσι παθήματα τῆς ψυχῆς, καὶ ὧν ταῦτα ὁμοιώματα πράγματα ἤδη ταὐτά." (16a3-8)
    • 言語外的実在 (πράγματα) は,言語 (τὰ ἐν τῇ φωνῇ / τὰ γραφόμενα) の介在なしに魂に触れる (παθήματα τῆς ψυχῆς).
    • 以上の事情について DA に参照が送られる.
  • 9 〔DA における感覚の一般的特徴づけ.〕
  • 10 感覚 (能力) は " τὸ δεκτικὸν τῶν αἰσθητῶν εἰδῶν ἄνευ τῆς ὕλης" (II 12, 424a18-19).
    • ここで εἶδος とは,感覚対象である限りの感覚対象の特性 spécificité (例: 色,音).
      • 例: 馬を見る時,受け取られるのは馬ではなく茶色.
    • 色は視覚そのもののうちに現れる.
      • さらに言えば,音の現実態と聴覚の現実態は同一であり,τῷ εἶναι にのみ――別のものの現実態であるという点でのみ――異なる (III 2, 425b25-426a8).
      • 感覚対象の現実態は,器官というよりは,感覚能力のうちにある3.感覚対象を受け取る能力が器官にあるのは,器官が第一現実態にある限りにおいてである.
        • 器官は μέγεθος をもつが,感覚は器官の λόγος τις καὶ δύναμις である (II 12, 424a27-28).
          • この λόγος の意味は,感覚が μεσότης だという主張から理解すべきである.感覚対象は両極端 (例: 黒-白) のスペクトルの間に位置する中間項であり,数学的関係として表せる特性であって,色付いた表面などではない.
        • それゆえ,感覚の現実化を質料への形相付与として記述するとき,質料とは物質的質料ではなく,単に可能態としての質料 (この場合,第一現実態にある感覚) である.
  • 11 感覚対象の現実態が感覚に存するとは,それを意識しているということである.感覚の感覚 (III 2 425b11) とはこの謂である.
    • これは共通感覚 (ἡ κοινὴ αἴσθησις) の一機能である4
      • もっとも,特定の感覚が別の感覚を感覚するとか,第六感があるとかいうことではない.むしろ,五感に共通の本性があるということだ.
  • 12 本書にとって重要な共通感覚の機能は,別々の感覚を一個同一の対象に結びつける機能である (DA III 1, 425a30-b4; Sens. 7, 449a5-20).
    • 私たちがこれを行うのは,可視的なもの,可聴的なもの etc. が共通の自然の異なる諸側面だと想定しているからである.そう想定できるのは,私たちの感覚自体が,同一の能力の異なる諸側面だからである.
    • 当の対象は五感を通じて部分的にしか把握できない.それゆえ κατὰ συμβεβηκὸς αἰσθητόν である.(ディアレスであることは感覚対象である白いものにとって付帯的.対象の側の付帯性とは逆.)
  • 13 感覚に与えられないものに現実の感覚を帰属するという述定 (ないしは言語的秩序における述定に相当するもの) の水準が,ここに介在してくる.それゆえここで真偽が可能になる.
    • それゆえ,これは δόξα の水準である,とアリストテレスは言う (DA III 1, 425b3).
      • もっとも,この発言は問題含みである.動物は δόξα を持たないが,色を獲物として知覚することはできる.これは δόξα ではなく単に φαντασία である.φαντασία は感覚と δόξα の混合ではない (428a24-26; cf. Sph. 264a4-b5); つまり内容へのコミットメント (adhésion, ὑπόληψις/πίστις) を含意しない.
  • 14 ディアレスと白い点を結びつけるには記憶 (μνήμη) が必要である.種的に同一の対象に関する現在の感覚と過去の感覚を結びつけることで「人間」「馬」etc. の観念が形成される (ἐμπειρία).
    • 経験は個別者を取りまとめるという弱い意味で普遍を扱うが (APo. II 19),学知はそれに加え,それらを本質的に結びつける λόγος (règle) ないし εἶδος を把握する (Met. A1).
  • 15 以上を踏まえて,DI の παθήματα とは何か? 単なる感覚ではない.
    • φωνή は単なる ψόφος ではなく,φαντασία を伴う σημαντικὸς ψόφος である (DA II 8).これは動物においても同様 (DI 2).
    • だが特に,人間の声は観念 (notions, νοήματα) の記号である.νοήματα は単なる φαντάσματα ではなく,経験から生じる「第一の普遍」である (cf. Met. A1, "ἐννοήματα").語の指示は主観的経験を越え出ている必要がある.これが規約 (convention) の条件である.
    • さらに,真/偽と独立な観念 (孤立観念 notions isolées) と,必然的に真/偽である観念が区別される.τραγέλαφος も前者に属する.
  • 16 だが τραγέλαφος の観念を「πράγματα の ὁμοιώματα」と言ってよいのか?
    • かまわない.まず πράγματα は「何であれ言語が対象とするもの」というほどの意味 (contra Modrak; cf. Hadot 1980 etc.).また複合観念もその諸部分は感覚対象そのもの.
    • なぜ "ταὐτὰ πᾶσι παθήματα τῆς ψυχῆς" と言えるのか? 文化間や個人間で違いがあるのではないか.――この疑問に応答するとすれば,単に権利上同一であるにすぎない,ということになるだろう.

言語の地位と言語の分析

  • 17 言語自体のレベルに移る.
    • DI では名辞と動詞が第一要素とされ,動詞は時制 (τὸ προσσημαῖνον χρόνον) と主語の存在 (τῶν καθ’ ἑτέρου λεγομένων σημεῖον) という形式面から特徴づけられる.動詞も孤立観念を表示するものの,そうした付加情報込みになる.
    • むしろ広義の名辞と孤立観念が対応する.孤立観念は命題的 (論弁的) 複合だけは容れない.言語の次元では命題的複合はまずもって「ある」「ありはしない」というコピュラによって表される.コピュラは何ものも表示せず,特定の複合/分割の表示を付加する (προσσημαίνει).
  • 18 言語による観念の記号化は規約的 (κατὰ συνθήκην) である.
    • 単に音声が受動状態のしるしであるというだけではない (それは動物の音声もそう).むしろ様々な仕方で何かのしるしとして措定されるということ.
      • なるほど,言語ごとの観念の切り分け方の恣意性にアリストテレスが気づいていたとは言えない.
      • だが,彼は語の多義性は鋭く意識していた (cf. Met. Δ).また,彼が作っている人工的な例 (εἴ τις θεῖτο ὄνομα ἱμάτιον ἵππῳ καὶ ἀνθρώπῳ ... 18a19ff.) は,切り分けの恣意性を示している.
      • この意味で,音声のみならず,言語が πράγμα と見なすもの自体が規約的である
    • また名辞だけでなく λόγοι も規約的 (DI 4).λόγοι の規約性は,それが含む名辞の規約性によるのみならず (contra Sedley),名辞のつながり方自体の規約性を含む.一つの言語の中では多様な種類の言説が可能である (Po., Rhet.).
  • 19 だが言説の可能性は,当の言語の構造にある程度従属する.
    • それではこの構造自体規約的か? 異なる言語の構造は根本的に異なるのか (例:「ある」の用法)? そうだとすると,ギリシャ語から根本概念を汲み取っているアリストテレス哲学は,「ギリシャ語の形而上学」(Benveniste 1958) にすぎないのか?
      • だが,歴史的には文法的カテゴリー自体が哲学的カテゴリーからの派生である (Aubenque 1982).またギリシャ語の脈絡内で動いていることは,必ずしも妥当性を相対化しない.
      • むしろ,言語の偶然性ゆえに,哲学は言語の分析なしに済ますことはできないのである.

  1. 21n2: forme ではなく spécificité と訳す (cf. Couloubaritsis 1991).

  2. 23n4: πρότασις を「前提」でなく「命題」と解する点につき Crivelli & Charles 2011.

  3. 27n1: Slakey 1961 や Sorabji 1992 に反対 (↔ Burnyeat 1996).

  4. Cf. Brunschwig 1991, 1996; Gregorić 2007.