『オルガノン』の統一性と予備学的性格 Burnyeat (2001) A Map of Met. Z, Ch.5
- Myles Buryneat (2001) A Map of Metaphysics Zeta, Mathesis Publication.
- Chap.5 "The Organon As 'Logical'", 87-125.
本書の大きな論点の一つは,「Z巻の叙述を logical / metaphysical な水準に区別できる」ということ.前者の水準の識別がアリストテレスに正当に帰しうるものであることを裏付けるために,本章では,『オルガノン』全体の統一性とその予備学的性格を論証する.個々の主張内容自体は必ずしも斬新ではないが,論拠を慎重に選択しツボを押さえたまとめ方をしている,という印象を受けた.注を含め細部にいろいろ面白く有益な議論があるが,一切省略して骨子だけまとめる.
前章までで論じたように,Z4-6 およびその他の logical subsections は,λογικῶς に−−形而上学的原理を捨象した,比較的一般性が高く,質料・形相に言及せず,むしろ『オルガノン』以来馴染みのある概念を用いた−−議論を行っている.これはアンドロニコス的な「科学的研究の準備として学ぶべき」『オルガノン』観と結び付けて考えられる.これを本章はより詳しく擁護する.
アリストテレス自身は『オルガノン』の主題を λογική と呼んではいない.むしろ弁証術と分析論の二つの領域を考えている.語 λογικός は主題ではなく議論の manner ないし relative level を意味する.−− その上で,『オルガノン』が他の諸論考とは別の一グループをなしていると考えるテクスト内在的根拠はあるだろうか? −− ある.このことを本稿は示す.
著述形式
『オルガノン』の著作の著述形式は互いに似通っている.
- Cat. 1-4 はぶつ切りのメモ書きである (e.g. 小辞の欠如).この点『原論』冒頭の定義に似る.またテーゼの提示−論証−再提示という順序が儀礼的に行われている点もエウクレイデスの証明に似る.
- De Int. も最初に術語を導入しこれを説明するところから始める.
- Top. も主題を手短に述べた後に定義を始め,II巻になって始めて冒頭に行った区別を実用する.
- APr. も Top. と似た仕方で叙述する.
- SE は Top. の補遺.APo. も APr. の続き.
なぜエウクレイデス的に定義と予備的道具の導入から始めるのか.おそらく日常的経験から乖離した,他に導入のしようがないタイプの主題だからだ.
時系列
『オルガノン』は他著作より時系列的に早い,としばしば考えられている.だが,『オルガノン』が質料と形相に言及していない理由付けとしては,これは見込みがない.理由は3つ.
- 質料と形相の概念は Rhet., Poet., EE, ME, Pol. にも不在である.これら全てが「初期著作」だとは考えられない.
- 質料概念はプラトンの創意である.少なくとも Phlb. 54c の ὕλη は「木材」ではありえない.また πέρας-ἄπειρον の分析,Tim. の受容者,一と不定の二,はすべて質料形相分析のパターンを有している.アリストテレスはまたアルキュタスやデモクリトスの議論にも同様の二要因分析の萌芽を見ている.
- 『オルガノン』を書くまで自然学・形而上学を手がけなかったという証拠はない.
そもそも未公刊著作である以上修正・付記はつねに可能であったし,実際行われたと思われる (cf. Solmsen, Barnes).それにも拘らず『オルガノン』に質料・形相概念が不在であるのだから,当然,意図的に除外したのだ,ということになる.『オルガノン』の場合,倫理学・政治学とは事情が異なる.質料・形相概念が relevant な箇所はあるからだ (典型的には APo. II 11).個別諸学からの中立性はどの論理学著作にも見られる.
『オルガノン』とアリストテレスの知識の図式
観照的・実践的・製作的知識の中で,『オルガノン』はどこかに位置するだろうか.
- Top. はあらゆる問題に対する議論構築の方法を提供する.これは観照的知識とは考えにくい.だが,製作的でもない.なぜなら,製作的知識は何らかの善と相関的であるのに対し,弁証術は弁論術と同様に価値中立的 (value-neutral) だから.また実践的知識でもない.なぜなら,倫理学・自然学が特定の目的に仕えるのに対し,弁証術・弁論術は内容中立的 (content-neutral) だから.
- 『分析論』も Top. と同じく内容中立的である.方法論であって実質的な知識ではない.もっとも『分析論』は Top. より直接的に科学に役立ちはする.しかし「弁証術的」手続きと呼ぶべき議論は各所に見いだせる (Phys. I, Met. B, GC I, NE VII etc.).これらのテクストは,ソクラテス以前の哲学者やプラトニストであっても自分の議論に用いうるような道具を提供している.
- Rhet. は実質的な知識を色々用いているので『オルガノン』に含まないほうがよい.
- De Int. は Whitaker が示したように Top. の予備論考である.
- Cat. は難しい.General ontology を有するという意味では metaphysics である.ただし Metaph. と同水準の「第一哲学」ではない.科学的説明も原因への言及も殆どないからだ.では何か,というと,おそらく全くの初学者向けの入門書だったのではないかと思われる.なお『トピカの前の論考』という標題は尤もらしい.
学習順序
結局『オルガノン』は Top. と『分析論』の二つの方法論的著作からなると言える.論理学的諸著作は文体論的・概念的にまとまりをなしている.知識の三区分には当てはまらず,むしろ生徒が実質的知識を得るための予備的論考である.かつ相互参照の様子からして,(失われた著作を考慮しても) これで全部だという印象を受ける.
いくつか留保が必要.第一に,「予備的」というのは,実際の学習過程において必ず先に全部仕上げないといけないというわけではない.しかし何を学ぶにしても『オルガノン』は道具となる.第二に,学習の順序は著作が書かれた順序と一致しない.そもそも,草稿である以上,時間的順序を一義的に決める努力には見込みがない.GC I 3 や Meteo. I 1 に見られる temporal phrases を用いた諸学の順序付けは,あくまで体系的順序を示していると考えるべきである.この体系的順序において,『オルガノン』は最初に,第一哲学は最後に来る.
Z の論理学的小節
3章で論じたように,Z の論理学的小節は,もっぱら『オルガノン』の概念を援用しているだけでなく,幾つかの箇所ではそのうち特定の箇所の議論を援用している.これらの箇所が「論理学的」といえるのは,実質的知識 (質料・形相概念) を用いない点においてであって,『オルガノン』が「論理学的」なのと同様である.加えて,これらの箇所は,論点を示すために中立的・非アリストテレス的な実例を用いている.
かくして論理学的諸小節は「本質存在は形相である」という結論を準備することになる.この結論の受容はプラトニズムを去ってアリストテレス哲学に就くことを意味する.他方,「論理学的」議論はプラトニストにより馴染みのある議論であって,ここで効果的な議論ができれば,プラトニストを鞍替えさせるのに役立つかもしれないのである.