対立の諸形式の明確化の歴史 Lloyd (1966) Polarity and Analogy, Ch.2
- G. E. R. Lloyd (1966) Polarity and Analogy: Two Types of Argumentation in Early Greek Thought, Cambridge University Press.
- Part One: Polarity.
- Chapter 2. The analysis of different modes of opposition. 86-171.
- Part One: Polarity.
内容に鑑みて 'opposition' の訳語を改める.
- 「対立項」(opposite, ἀντικείμενον)「対立」(opposition, ἀντικεῖσθαι) には様々な意味がある.
- アリストテレスは命題の反対 contraries,矛盾 contradictories,小反対 subcontraries を区別する.
- 項についても反対と矛盾は区別できる.
- またより広義の項の対立 (対比 contrast・対立構造 antithesis) もある.
- 例: 月-太陽,天-地,王-女王,王-臣民.
- では,アリストテレス以前には,対立のタイプはどの程度まで区別されていたのだろうか.
- 東ティンビラ族の ka-atuk 分類を例に考える.
- この分類は明確な原理をもつ.
- 類似性: 黒色,夜,黒い動物は全て atuk カテゴリーに属する.
- 対立構造: 火が ka に属するために,薪は atuk に属する.
- この分類形式は,対立構造のタイプの区別を許さない.
- ka と atuk は概ね排他的と見なされるため,対比の諸形式が反対対立に同化されうる.
- また ka と atuk は網羅的(ないし少なくとも極めて包括的).
- この分類は明確な原理をもつ.
「両極的表現」の使用
- ホメロス以来の初期ギリシャ文学は,「両極的表現」を用いるという文体的特徴を共有している.
- 例:「可死者と不死者」「男と女」「若者と老人」「奴隷と自由人」「陸と海」「陰に陽に」.
- 単なる強調の場合もある: δόλῳ οὐδὲ βίηφιν (Od. 9.408).
- より興味深いのは以下の場合.
- ある一般的観念の表現: 「陸と海」で地上全体を表すなど (Op. 101).
- 選択肢,とりわけ選択式の質問の提示: "θεός νύ τις, ἦ βροτός ἐσσι;" (Od. 6.149)
- 対立項の一方しか厳密には文脈に関係しない場合もある: "τὸν δέ τις ἀθανάτων βλάψε φρένας ἔνδον ἐΐσας ... ἠέ τις ἀνθρώπων" (Od. 14.148f.; 通常 φρήν をかき乱すのは神のみ).
- 個々の対立項は一義的でない: それらが示すカテゴリーは概して流動的.
- 時に中間項が言及される: 左-中間-右など.また両極端の選択肢の中間が推奨される場面 (e.g., Od. 15.70f.).
- ホメロスなどにおける選択式の質問は,後代の哲学者のそれと違い,総じて説得のために行うものではなく,単に情報を引き出すためのもの.
ピュタゴラス派とヘラクレイトス
- プレソクラティクスの対立項の使用にはいかなる論理的前提が見いだせるか.
- ピュタゴラス派.
- ヘラクレイトスは (1) 諸対立間の類比を把握している点,(2) 無矛盾律に違反したとされる点,で重要.
- 多くの対立は「一」「一個同一」「共通 ξυνόν」とされる(例:昼-夜 (fr. 57),上り道-下り道 (fr. 60),円周の始点-終点 (fr.103)).つまり,諸対立はある一般法則の実例である.
- 「ヘラクレイトスは無矛盾律を破った」というアリストテレスの示唆を現存断片は裏付けるか.
- 現存断片にはっきりした違反はない: しばしば自己矛盾は単に表層的.
- 断片には,(i) 反対の述語を同一の主語に述語付けるもの,(ii) 反対項の対を「同一」とするもの,(iii) 特定の主語に特定の述語を肯定すると同時に否定するもの,がある.
- (i) "θάλασσα ὕδωρ καθαρώτατον καὶ μιαρώτατον, ἰχθύσι μὲν πότιμον καὶ σωτήριον, ἀνθρώποις δὲ ἄποτον καὶ ὀλέθριον." (fr. 61): 観点の違いが後段で明記される.Fr. 67 も同様に観点の違いを補って理解できる.
- (ii) "ὁδὸς ἄνω κάτω μία καὶ ὡυτή." (fr. 60): 字義通りの主張は異論の余地がない.Fr. 88 も交替する変化を述べたもの.
- (iii) "ὅλα καὶ οὐχ ὅλα" (fr. 10): これも観点の違い.
- 故意に晦渋な述べ方をしたのは確かだが,無矛盾律に違反する意図はない(そもそも無矛盾律はまだ定式化されていない).ヘラクレイトスの断片は,対立項を限定なしに扱うことで生じる混乱をよく示す.
- ヘラクレイトスの表現は,矛盾の本性に関する論理的問題という議論の領域を開いた.
- ただし,十分な分析は以降も長きにわたってなされず,対立語の曖昧な使用は後々まで混乱の元となった.
エレア派の議論: パルメニデス・ゼノン・メリッソス
- 対立間の類比に比べ,対立の種類の区別は明確にされない傾向にあった.だがパルメニデスやその後のエレア派の議論には区別に関する前提が見られる.
- 「真理の道」fr. 2: "εἰ δ' ἄγε, τῶν ἐρέω, κόμισαι δὲ σὺ μῦθον ἀκούσας, αἵπερ ὁδοὶ μοῦναι διζήσιός εἰσι νοῆσαι· ἡ μὲν, ὅπως ἐστίν τε καὶ ὡς οὐκ ἔστι μὴ εἶναι, πειθοῦς ἐστι κέλευθος, ἀληθείῃ γὰρ ὀπηδεῖ, ἡ δ', ὡς οὐκ ἔστιν τε καὶ ὡς χρεών ἐστι μὴ εἶναι, τὴν δή τοι φράζω παναπευθέα ἔμμεν ἀταρπόν· οὔτε γὰρ ἂν γνοίης τό γε μὴ ἐὸν, οὐ γὰρ ἀνυστόν, οὔτε φράσαις."
- 選択肢の形式に要注目.
- 選択肢は排他的・網羅的である: 第三の「思いなしの道」はここや fr. 8 では言及されない.
- だが οὐκ ἔστι μὴ εἶναι と χρεών ἐστι μὴ εἶναι は矛盾項ではなく反対項.
- このどちらかを選ばないといけないというのは結論ではなく前提.
- 選択肢の形式に要注目.
- 「真理の道」fr. 2: "εἰ δ' ἄγε, τῶν ἐρέω, κόμισαι δὲ σὺ μῦθον ἀκούσας, αἵπερ ὁδοὶ μοῦναι διζήσιός εἰσι νοῆσαι· ἡ μὲν, ὅπως ἐστίν τε καὶ ὡς οὐκ ἔστι μὴ εἶναι, πειθοῦς ἐστι κέλευθος, ἀληθείῃ γὰρ ὀπηδεῖ, ἡ δ', ὡς οὐκ ἔστιν τε καὶ ὡς χρεών ἐστι μὴ εἶναι, τὴν δή τοι φράζω παναπευθέα ἔμμεν ἀταρπόν· οὔτε γὰρ ἂν γνοίης τό γε μὴ ἐὸν, οὐ γὰρ ἀνυστόν, οὔτε φράσαις."
- 対立項の選択肢を提示するという技法は後のプレソクラティクスの議論にも頻出する.
- ゼノンは「多」を否定することで「一」を擁護する (Parm. 128cd).
- ここには「一」と「多」が排他的な選択肢だという前提がある.
- また「多」の否定にも対立項が用いられる (多は有限かつ無限,大かつ小).ただし「多」の意味が必ずしもはっきりしないために議論は部分的に失敗している.
- メリッソスも「一/多」「ある/ありはしない」を論じる.やはり「一のみがある」の証明という建設的目的のために多の批判を用いている (fr. 8).彼は多を明示的に自然の対象と同一視している.
- ゼノンは「多」を否定することで「一」を擁護する (Parm. 128cd).
- エレア派の扱う理論は総じて極めて不正確である.
- 論駁対象となる「仮設」(例:「多」) も,擁護する仮設 (「一」「ある」) も厳密でない.明確に定義された命題ではなく,あいまいで一般的な概念にすぎない.しかしそれが真/偽な命題のように扱われている.
- また,議論は単純化した論理的前提に基づいている: あらゆる対立項を相互排他的・網羅的と見なしている.
ソフィスト時代の対立項に基づく議論
- 一と多,「ある」と「ありはしない」といった対立項は,プラトンが矛盾の本性についての問いを明確化する以前から,様々な思想家を当惑させてきた.
- 一と多: Ph. 185b25ff.; Sph. 251a-c.
- 「ある」と「ありはしない」: クセニアデス (DK 81).
- その特殊事例として: 虚偽の主張の不可能性の問題.クラテュロス (Crat.),エウテュデモス・ディオニュソドロス (Euthyd.),アンティステネス (Top.).
- とりわけゴルギアス『ないについて』は S.E. および MXG に詳細な説明が残っている.
- 主張は「何もありはしない,あるとしても知りえない,ありかつ知りうるとしても他人に教えられない」.
- 論証形式は,特定テーゼが正しければ選言が真となると主張し,選言肢をつぶしていくというもの.
- この形式はゴルギアス自身に帰してよい (cf. Hel., Pal.).
- 論証の妥当性は選択肢の網羅性に依存する:「生成した/永遠の」「一/多」「ある/ありはしない」.
- だが後二者は,エレア派同様,やはり意味が曖昧.
- ゴルギアスの議論は,エレア派に多くを負うものの,エレア派の議論といくつかの点で異なる.
- 形式面では,しばしば第三項が登場する:「ありかつありはしない」「永遠かつ生成している」.
- だが観点の違いなどは考慮されず,単に両立しないとして斥ける.
- 目的も,「一」の擁護ではなく,「一」と「多」をともに斥けることである.
- 形式面では,しばしば第三項が登場する:「ありかつありはしない」「永遠かつ生成している」.
- ゴルギアスの議論は Hel. や Pal. とは異なり単なる παίγνιον ではない.
- ただし,ゴルギアスはエレア派の議論の提起する困難を探究はしても,解決はしなかった.
- 選択肢の提示と対立項の論駁というエレア派の技法は,より広い弁論の文脈でも用いられた.
- e.g., Pal.
- そうした τόπος ἐκ τῶν ἐναντίων は形式的には誤りだが,説得の目的に用いられた.
- そのほか,対立項にまつわる主要な論争として,(1) 理性と感覚,(2) νόμος と φύσις の論争がある.
- まとめ: プレプラトニックな論証形式について,以下のことが言える.
- このように,プラトン以前には対立項の種別化が見られない.就中,反対と矛盾が区別されない.
プラトン
- プラトンの (特に初期) 対話篇には対立項の選択肢の提示が頻出する.
- だがプラトンは,類似の形式の議論をパロディ化し批判してもいる.
- Euthyd. のエウテュデモス・ディオニュソドロスはエレア派の質問技法を用いている.
- 275d3f.: "πότεροί εἰσι τῶν ἀνθρώπων οἱ μανθάνοντες, οἱ σοφοὶ ἢ οἱ ἀμαθεῖς;" そして両方の選択肢を論駁する (議論は両義性に訴えている).
- 276d7f.: "πότερον γὰρ οἱ μανθάνοντες μανθάνουσιν ἃ ἐπίστανται ἢ ἃ μὴ ἐπίστανται;" 議論は同様に進む.ソクラテスは "μανθάνουσιν" の両義性を指摘し,議論を παιδιά と呼ぶ (278b).
- "οὐκοῦν ὃς μὲν οὐκ ἔστιν, βούλεσθε αὐτὸν γενέσθαι, ὃς δ᾽ ἔστι νῦν, μηκέτι εἶναι." (283d) 後者の選択肢は ἀμαθῆ という限定が省略されている.
- 虚偽の不可能性 (283ef.).
- 以降は質問相手がクレイニアスからソクラテスに移る.
- プラトンはどうしてこんな議論を長々とパロディ化するのだろうか.
- ある時期にはこうした議論が効力をもったのかもしれない.
- ただ,Euthyd. にはこうした議論に関する一般的な論理分析はない.
- また,ソクラテスの批判の眼目は,議論の誤謬ではなく,瑣末さにある.
- とはいえ,論理的な論点は (史上初めて) 提示されている: κατὰ ταὐτὰ ἅμα.
- Euthyd. のエウテュデモス・ディオニュソドロスはエレア派の質問技法を用いている.
- そして Phd., Resp., Sph. では,反対項が同一主語に帰属しうる条件が明示的に論じられている.
- Phd. 102e7ff.: "οὐδ᾽ ἄλλο οὐδὲν τῶν ἐναντίων, ἔτι ὂν ὅπερ ἦν, ἅμα τοὐναντίον γίγνεσθαί τε καὶ εἶναι, ἀλλ᾽ ἤτοι ἀπέρχεται ἢ ἀπόλλυται ἐν τούτῳ τῷ παθήματι."
- 語ではなく物の関係に注目している.これが魂の不死性の前提をなす.
- Resp. 436b8ff.: "δῆλον ὅτι ταὐτὸν τἀναντία ποιεῖν ἢ πάσχειν κατὰ ταὐτόν γε καὶ πρὸς ταὐτὸν οὐκ ἐθελήσει ἅμα".
- 二つの異論が提示され退けられる: (1) じっと立っているが頭と手を動かしている人 (部分が異なる),(2) 回っている独楽 (直線面では静止しているが円周面では動いている).
- この議論も魂論の冒頭に位置し,語の論理的関係ではなく物の関係に強調点がある.
- とはいえ重要な論理的論点は登場している.
- Resp. 453bff.: 両性の自然本性の違いに基づく教育上の性差別の批判.「同じか対立項か」という誤った二項対立.
- Sph.:
- エレアの客人は,類の全結合・全分離とともに部分的結合という第三の選択肢を提示する.
- そして,τὸ ὄν, στάσις, κίνησις, τὸ ταὐτόν, τὸ θάτερον につき,(1a) 運動は静止でない,(1b) 運動はある,(2a) 運動は〈同一〉ではない,(2b) 運動は同一である,(3a) 運動は異なる,(3b) 運動は異ではない,(4a) 運動は〈ある〉ではない,(4b) 運動はある,と述べる.
- 意味が違うので両方を主張することに問題はない (256a10ff.).
- そしてこの見解はパルメニデス (fr. 7) に離反する: "ἡμεῖς δέ γε οὐ μόνον τὰ μὴ ὄντα ὡς ἔστιν ἀπεδείξαμεν, ἀλλὰ καὶ τὸ εἶδος ὃ τυγχάνει ὂν τοῦ μὴ ὄντος ἀπεφηνάμεθα" (258d).
- 五つの類の分析は,(1) 見かけ上の矛盾した言明が実際には矛盾していないこと,(2) 矛盾の見かけは意味の不確定性から来ていること,(3) だがそれらの類の真の関係を発見するのは難しくもやりがいがある仕事だということ,を明らかにする.
- ただし,ここで対立項に関する完全な論理的理論が得られているわけではない:「ある」の諸義は十分には分析されない.
- Phd. 102e7ff.: "οὐδ᾽ ἄλλο οὐδὲν τῶν ἐναντίων, ἔτι ὂν ὅπερ ἦν, ἅμα τοὐναντίον γίγνεσθαί τε καὶ εἶναι, ἀλλ᾽ ἤτοι ἀπέρχεται ἢ ἀπόλλυται ἐν τούτῳ τῷ παθήματι."
- 属性をもたないことと,反対の属性をもつこととは,多くの対話篇で区別される.だが一般的な仕方で明示的に区別されるのは Sph. 257b が最初である.プラトンはここで,対立項としての (qua) 対立項の諸種を区別する重要な一歩を踏み出したということができる.
分割法: プラトン・アカデメイア・アリストテレス
- だが,非排他的な対立項の二択を迫る議論は Phd. や Tim. にまで見られる.この方法は分割法としてアカデメイア派がさらに展開した.
- 幾人かはこれを論証の方法として用いた.プラトンの場合はどうか.
- Sph., Plt. の分割法について,以下の事実は明らかである.
- 多くは二分法が用いられていること.
- イデアの自然な関節 (Phdr. 252e) に沿うべきとされること (cf. Plt. 262b, e, 265a).
- 二分法以外の形式の必要も認知されていること (Plt. 287c).
- ただし,どの程度まじめに行っていたのかについては,評価が分かれる (Skemp ↔ Stenzel).
- Sph., Plt. の分割法について,以下の事実は明らかである.
- アカデメイア派の実践については特にアリストテレスが資料になる.
- アリストテレスが PA などで διαίρεσις や διχοτομία として批判するもののほとんどは,Sph. ないし Plt. に見いだせる.
- アリストテレスは,分割法が証明法として用いられたと報告し,これを批判する (APr. I.31): 分割法は弱い推論であり,証明すべきことを前提している.
- 他方,定義の発見には有用だとして,用いるべき分割法の種類を論じてもいる (APo. 91b28ff., 96b25ff.).
- 就中: 分割は類を尽くす必要がある.これができるのは "ἂν ᾖ ἀντικείμενα ὧν μή ἐστι μεταξύ" (97a19ff.).
- エレアの客人はこれを示唆していたが,一般的規則として明記してはいなかった.
- 就中: 分割は類を尽くす必要がある.これができるのは "ἂν ᾖ ἀντικείμενα ὧν μή ἐστι μεταξύ" (97a19ff.).
- ただしアリストテレスの生物学著作は動物論における分割法の限界を示す.PA I.2-3 では二分法は完全に放棄される: 二分法はある面で不可能であり別の面では不毛である.
アリストテレス
- 『オルガノン』や Met. では四種類の対立項が区別される:
- 相関的対立項 (例: 二倍と半分),
- 反対項 (例: 善と悪),
- 積極項-消極項 (例: 視覚と盲目),
- 矛盾 (例: 座っている-座っていない).
- これにより中間項を容れる種類の対立項とそうでない対立項が区別される: 真の中間項 (例: 灰色) を容れるもの (2),どちらも真に述定されないという意味での中間項を容れるもの (1, 3),どれも容れないもの (4).
- アリストテレスは,対立項のみならず,対立言明の諸種の完全な分析も行っている (APr. I.46; II.15 (対立正方形)).
- こうした形式的分析は,議論の諸方式と関連する.
- 例: 帰謬法.これは LEM の適用例をなす.APr. では,偽だと示されるべき命題が反対ではなく矛盾でなければならないとしばしば指摘される (cf. エレア派の多の否定からの一の導出).
- 対立する選択肢の提示はアリストテレス自然学にも見られる.
- SE 174a40ff. では非網羅的選択肢の提示を弁論の技法として推奨している.