「形而上学」という枠組みがはらむ問題 Aubenque (1962) Le problème de l'être chez Aristote, Intro, Ch.I

  • Pierre Aubenque [1962] (2013) Le problème de l'être chez Aristote: Essai sur la problématique aristotélicienne. Presses Universitaires de France.
    • Introduction. La science sans nom.
      • Chapitre I. Μετὰ τὰ φυσικά. 21-44.

アリストテレス以後の形而上学の忘却〕

「ある限りのあるものと,それにそれ自体として帰属するものどもとを考察する,或る学知がある」(Γ1, 1003a21).今となっては陳腐に聞こえるかもしれないこの主張は,当時は全く陳腐ではなかった.おそらく学知が存在するという断言自体が,主張というよりむしろ,まだ成就していない願いを示している.

そうした学知には先行者がない.こんにち存在論と呼ばれるものはアリストテレス以前の学知の分類には見えない:

  • プラトニストは思弁的学知を問答法的/自然学的/倫理学的なものに三分類した (Cic. Acad. Post. I.5.19).
  • クセノクラテスはそのうち問答法を論理学に置き換えた (Sext. Adv. Math. VII.16).
  • アリストテレス自身,大ざっぱな分類としてではあるが, Top. I.14 でこれに従っている.

奇妙なことに,この「形而上学」なき1三分類はアリストテレス主義のあとも維持され続けた (DL VII, 39-40 (ストア派の格言); DL 序文).それゆえ,少なくとも伝統の修正という点でアリストテレスは失敗したことになる.独りテオフラストスのみが,ただしアポリア的形式において,形而上学的問題を引き継いだにすぎない.

ストラボンとプルタルコスが伝える,以後『形而上学』が辿る文字通りの忘却と復活の数奇な運命は,ある知的椿事のしるしだと見なさざるを得ない.今日この物語は一種の「広告」(Robin) とみなされる傾向にある.アリストテレスの学問的著作がストラトンの頃からアリストテレスの学派にもその他の対立学派にも知られていなかったというのはありそうにないからだ (後者はアリストテレス著作に言及しているように思われる).だがストラボンの物語には少なくとも,ペリパトス学派の凋落と,特に形而上学的思弁に関する彼らの完全な沈黙とをよく説明するという利点はある.おそらくはより深い理由のある忘却と再発見の歴史を,半神話的形式に翻訳したのであろう.たとえストラボンとプルタルコスの物語を文字通りに受け取るとしても,テオフラストスが蔵書を無名のネレウスに遺贈した次第は説明を要する.本当に遺贈があったとすれば,それはリュケイオンから重要なテクストが失われないだけの写しの流通があったからだ.またアリストテレスの写本が本当に洞窟に行き着いたとすれば,それは誰もそれに関心を持たなくなったからだ.いずれにせよリュケイオンが存続している以上,偶然著作が失われたとは考えにくい.紛失が忘却を説明するどころか,忘却が紛失を説明する.しかし忘却こそまずもって説明されるべきことなのである.(なるほど完全に忘れ去られたわけではない.エピクロス派やキケロは若干の学内著作を知っている.だが『形而上学』を含む多くの著作については問題が残る.)

忘却の理由は複数考えられる:

  • 所有者に知的資質が欠けていた,ないしはより実証的な精神を有した,がゆえに,著作の繙読ひいては形而上学研究の素地が失われた.
    • だが,学知を理解できなかったということは,学知の不在2の説明にまではならない.
  • クセノクラテス的三分類の存続は形而上学の根本的忘却の原因にして結果である.
    • 忘却されていなければ三分類は改訂されただろう.
    • 他方,三分類の網羅性により,哲学の別様の組織化は心理的に不可能になった.

だが,アリストテレスが自身の弟子にさえ形而上学への関心をもたせることに失敗したというのは奇妙であり,アリストテレス自身がそう仕向けたのではと思わせる.

Jaeger の発展史仮説 (形而上学から歴史学倫理学・生物学へ) はこれを説明する.なるほど PA I.5 の一節 ("καὶ ἐνταῦθα θεούς") はその証拠に見える.だが,σοφία は生成消滅するものに関わらないという EN VI.13 の主張は,むしろそうした学知からの離反を示すように見える.

Jaeger 仮説の結果は正しいにしても,それをどう解釈すべきかは別問題である.実証的研究が優位に立ったことは,哲学の放棄ではなく,その意味の変貌をも意味しうる.だが,弟子がそれを形而上学の放棄として誤って解釈したということはありうる.

〔第一哲学 = 神学 ≠ ある限りのあるものの学知.「形而上学」は多義的である〕

ここまで同一視してきた語「形而上学」と「ある限りのあるものの学知」,および「第一哲学」の関係は本当は考察に値する.

"μετὰ τὰ φυσικά" の史上最初の言及はダマスカスのニコラオス (1c 前半) による.この語は DL の書誌には見いだせないため,ニコラオスにこの語が帰属されてきた.またそれゆえに,単なる非アリストテレス的・外在的呼称だと考えられてきた.だが,順序の考慮が外在的だとは限らない.また古代において当の順序は恣意的とはみなされていなかった.事実また Kant もこれを哲学的に解釈している.

古代の解釈は前置詞 μετὰ の理解に応じて二通りある:

  1. プラトン的解釈: μετὰ は対象の階層秩序を示し,ὑπὲρ φύσιν ないし ἐπέκεινα τῶν φυσικῶν を意味する.この語はヘレンニウスに見えるが,ルネサンス期の竄入とされる.だが同様の理解は既にシンプリキオスに見いだせる (In Phys. 1.17-21; 257.20-26).
    • これを新プラトン主義的として斥ける向きもあるが,アリストテレスが第一哲学に与えた定義 (Met. E1) とも対応する.
      • 「感覚的事物を離れた (παρά) 不動で永遠のものが存在するか」はすぐれて神学の問題である.
      • もとより 超越 (ὑπέρ) は単なる離在ではないが,優越性は既に「第一」という表現に含まれている.また τιμιωτάτη という規定もなされる.
  2. 自然学の「後に来る」という時系列的解釈.
    • この順序はなんら恣意的ではない.
    • 最初の言及はアレクサンドロスに見いだせる:「τῇ τάξει πρὸς ἡμᾶς に後」(In Met. B 171.5-7).πρὸς ἡμᾶς は全く外在的ということではない.アスクレピオスも同様に τῇ φύσει-ἡμῖν の区別を用いて理解し順序に哲学的正当化を与える (In Met. 3.28-30).

このように,古代の注釈者はこの標題の正当化に心を砕いた.そしてまた,これが第一哲学 = ある限りのあるものの学 = 神学であると疑わなかった.だが,なぜ「形而上学」という語が新たに必要になったのだろうか.MA 700b7 には "τὰ περὶ τῆς πρώτης φιλοσοφίας" という書名が出ている.またテオフラストスも ἡ ὑπὲρ τῶν πρώτων θεωρία という表現を用いている (Met. I.4).最初の編纂者たちには,眼前のテクストにこの書名を与えることを適当と見なさなかったのだと思われる.

アリストテレス自身の「第一哲学」の呼称は,哲学の諸領域を区別しようという考慮から生じている.学知の数についての B の問いに Γ では "τοσαῦτα μέρη φιλοσοφίας ἔστιν ὅσαιπερ αἱ οὐσίαι" (1004a3) と答えられる.これに続いて,"ὥστε ἀναγκαῖον εἶναί τινα πρώτην καὶ ἐχομένην αὐτῶν. ὑπάρχει γὰρ εὐθὺς γένη ἔχοντα τὸ ὂν καὶ τὸ ἕν· διὸ καὶ ἐπιστῆμαι ἀκολουθήσουσι τούτοις. ἔστι γὰρ ὁ φιλόσοφος ὥσπερ ὁ μαθηματικὸς λεγόμενος· καὶ γὰρ αὕτη ἔχει μέρη, και πρώτη τις καὶ δευτέρα ἔστιν ἐπιστήμη καὶ ἄλλαι ἐφεξῆς ἐν τοῖς μαθήμσιν" と言われる:〈第一哲学:哲学一般::算術:数学一般〉の関係にある.

他方「ある限りのあるものの学知」は Γ の冒頭で「部分的に語られる学知」と対照される.幾人かはここに矛盾を見て取る (Colle は 1004a2-9 を削除すべきと考える).だが,両者を同一視しなければ,問題は生じない.実際のところ,アリストテレスのテクストを見る限り,第一哲学は,ある限りのあるものの学知の部分である,ということは明白である.

学知の分類を見ても,第一哲学 (神学) は第二哲学 (自然学) と並置され,数学が中間に置かれる.各々は固有の類をもつ (離在・可動/離在・不動/非離在・不動).E巻に言う τὸ τιμιώτατον γένος を扱う神学は,系列の初項の学だが,(もはや) 系列の学ではない.ある限りのあるものの学との対比は E でも保持される.神学は神の本質を基礎措定として受け入れその諸属性を論証する.

上記の「第一哲学」解釈はこの語のほかの全出現箇所から確認できる.神学と明確に同定されない箇所でも自然学と対置されている (Γ3, 1005b1; Phys. I.9, 192a36; II.2, 194b9ff.; DA I.1, 403b16; Z11, 1037a15; PA II.7, 653a9; PN 1, 464b33).第一哲学は純粋状態における形相の学であり,それは神的事物の領域にしかない.もしこれがなければ,自然学が哲学の全体 (PA I.1),あるいは少なくとも第一哲学 (E1) となっただろう.ある限りのあるものの学知は,こうした神学と自然学の争いに直接絡んでこない.ゆえに,「第一哲学」という題名は Λ にしかぴったり当てはまらない (cf. De Caelo I.8, 277b10; Simpl. ad loc.; MA 6, 700b7).

唯一の例外として K では「第一哲学」がある限りのあるものの学知を指している.ある限りのあるものと離在するものは同一視される ("τοῦ ὄντος ᾗ ὂν καὶ χωριστόν").この同一視は古代から現代に至るまで『形而上学』の統一的解釈のよりどころとなってきた.だが K の真正性は,文体上の特異性ゆえに,19 世紀以来疑われている (Spangel, Christ).

かりに編纂当時すでに K が他の巻と結びついていたとしても,編纂者が「第一哲学」を一義的に神学の意味で解したのは間違いない.しかるに『形而上学』は Λ の後半を除いてほとんど神学的問題を扱っておらず,むしろ感覚的事物を対象としている.

それゆえ編纂者は,伝統的三分類 (論理学・自然学・倫理学) にも,アリストテレス的枠組み (数学・自然学・神学) にもない,名無しの学知に直面した.そしてそこから「形而上学」を生み出したのである.この標題は,ZHΘ と Λ に共通する「自然学以後」という性格を表す点で,記述的価値をもつ.だが同時に,「自然学を超え出た」学知との多義性も抱え込んでいる.

注釈者たちは μετά の両義性を覆い隠してきた.だが,『形而上学』に単一の学知を見て取る統一的視座は,「探求されている」学知を (『形而上学』の大半には見当たらない) 神学と同定するか,さもなければ未だ一定の地位を勝ち得ていないある名無しの学知と同定する必要がある.注釈者たちは前者を選んできたが,アリストテレスの歩みに忠実なのは後者だと思われる.


  1. 原注 22n4: 19世紀ドイツの論者 (Ritter, Prantl) は (おそらくヘーゲルの影響下で) 形而上学を論理学に分類したが,テクスト上の根拠に欠ける.

  2. 26n1: 例えばストア派には形而上学的契機が見いだされるにせよ,固有の領域を有する自律的学知としての形而上学は存在しない.