『カテゴリー論』の関係概念 Mignucci (1986) "Aristotle's Definitions of Relatives"

  • Mario Mignucci (1986) "Aristotle's Definitions of Relatives in Cat. 7" Phronesis 31(2), 101-127.

1.〔関係項 (P1) は関係的属性である〕

Cat. 7 冒頭の πρός τι の定義は以下の通り.

(A) Πρός τι δὲ τὰ τοιαῦτα λέγεται, ὅσα αὐτὰ ἅπερ ἐστὶν ἑτέρων εἶναι λέγεται ἢ ὁπωσοῦν ἄλλως πρὸς ἕτερον. (6a36-37)

その例は:

(B) οἷον τὸ μεῖζον τοῦθ’ ὅπερ ἐστὶν ἑτέρου λέγεται, —τινὸς γὰρ μεῖζον λέγεται,— καὶ τὸ διπλάσιον ἑτέρου λέγεται τοῦθ’ ὅπερ ἐστίν, —τινὸς γὰρ διπλάσιον λέγεται·— ὡσαύτως δὲ καὶ ὅσα ἄλλα τοιαῦτα. (6a37-b2)

問題は τὸ μεῖζον および τὸ διπλάσιον が何を指すか.

  • 〈より大きいもの〉(what is larger) などを指すとすると,(B) の主張は:「対象 b より大きい対象 a は,b との関係で,それである (i.e., より大きいものである) と言われる」.このとき a は関係項 (relative) となる.
    • だが,この考えには問題がある.まず,同一性関係を考えると,全てが関係項になってしまう.
    • また,a に個体が入ると,個体が関係項にならないという主張 (8a16-18) と矛盾する.
      • たしかに,「オルダスはオルダスである限りで (qua) は関係項でなく,より高いものとして考える限りでは関係項である」という応答は考えられる.だが,この応答はアリストテレスの真意を汲めていない.通常 "a qua F is G" は「"a is G" が "a is F" から推論できる」ということしか意味しない.したがって,オルダスがより高い限りで関係項なら,オルダスは関係項である.
  • むしろアリストテレスは,「関係項」(relative) を関係的性質の意味で用いている.「関係項」には二つの意味がある: (1) 個体オルダスは何かに関係している (is related to) が,(2) 関係的 (relational) ではない.二つの意味は緊密に関係する: a が何かに関係する iff. a が関係的性質をもつ.こうしたつながりは以下で言及されている.

(C) πρός τι οὖν ἐστὶν ὅσα αὐτὰ ἅπερ ἐστὶν ἑτέρων λέγεται, ἢ ὁπωσοῦν ἄλλως πρὸς ἕτερον· οἷον ὄρος μέγα λέγεται πρὸς ἕτερον, —πρός τι γὰρ μέγα λέγεται τὸ ὄρος,— καὶ τὸ ὅμοιον τινὶ ὅμοιον λέγεται, καὶ τὰ ἄλλα δὲ τὰ τοιαῦτα ὡσαύτως πρός τι λέγεται. (6b6-11)

冒頭は定義 (A) であり,山がその例になる.だが,山が関係カテゴリーにあるわけではないし,大きい限りで関係カテゴリーだと言うことも意味をなさない.むしろ,〈大きい〉という属性が関係項なのである.

ゆえに τὸ μεῖζον や τὸ διπλάσιον も〈より大きい〉〈二倍の〉という属性を指す.τοῦθ’ ὅπερ ἐστίν は本質などの形而上学的存在者を指すわけではなく,ここではたんに「他のものとの関係で」という意味である.「より大きい」はアリストテレスにとっては何かより大きいことを意味する (属性と関係の厳密な区別がないため).属性 F が関係的属性であるとは,F を一義的に決定する関係へと拡張できるときである.したがって,ここで定義される関係項のクラスを P1 とし,\lambda x\lambda y(R_F(x,y))F を確定する関係とすると:

  • (1) \lambda x(Fx) \in P1 \Leftrightarrow \lambda x(Fx) = \lambda x\exists y(R_F(x,y))

ただし = は内包的同一性を表す (外延的同一性だけだと当の属性が構成的関係に内在的に関連することが保証されない).

2.〔第二実体の部分を除いた第二定義が存在する〕

関係的属性とそれを構成する関係との結びつきは,章末に登場する別の定義 (P2-関係項) と対比すればよりよくわかる.新たな定義は,第二実体の部分が P1-関係項だと思われるという問題があるために必要とされる.P2-関係項は,あやしい第二実体を取り除いたP1-関係項の部分クラスである.

(D) ἔστι τὰ πρός τι οἷς τὸ εἶναι ταὐτόν ἐστι τῷ πρός τί πως ἔχειν (8a31-33).

この第二定義の「ある」の意味はあいまいであり,さらなる情報を求める必要がある.アリストテレスは続いて第二定義のある帰結を述べる.これは Top. VI 4, 142a26-31 でも言及される.

3.〔第二定義の内容の検討〕

(E) ἐκ δὲ τούτων δῆλόν ἐστιν ὅτι ἐάν τις εἰδῇ τι ὡρισμένως τῶν πρός τι, κἀκεῖνο πρὸς ὃ λέγεται ὡρισμένως εἴσεται. (8a35-37)

ὡρισμένως には大した意味はない (Top. の対応箇所には登場しない).伝統的解釈では:〈a is F (F は P2-関係項) だと知っていることは,正確に言ってどの b に a が関係するかを知っているということを含意する.〉だがこれは内容上誤った主張である (例: 1515798 がどの数の二倍かを知っているとは限らない).むしろ,ここで言われているのは,〈a is F だと知っていることは,どの b に a が関係するかについて何らかの情報を持つことを含意する〉程度のことである.

属性 F の知識とは何か.ありうる応答は三つ: (1) F の定義を知ること,(2) F について〜ということを知ること,(3) F が〜について真だと知ること.

  1. 「定義を知る」の場合,P2-関係項でないP1-関係項 (例: 第二実体の部分) にも当てはまってしまうので,不適切.
  2. 2つ目を定式化すると: (4) K_{n}(\ulcorner\phi(\lambda x(Fx))\urcorner)\rightarrow K_n(\ulcorner\phi(\lambda x\exists y(R_{F}(x,y)))\urcorner)
    • ただし K_n(\ulcorner A\urcorner) :「n は A だと知っている」,\lambda x(Fx): P2-属性,\phi: 属性の属性.
  3. 3つ目を定式化すると: (5)\forall x(K_{n}(\ulcorner Fx\urcorner)\rightarrow K_n(\ulcorner\exists y(R_{F}(x,y))\urcorner))

(5) は (4) の特殊事例 (\phi に「A について真」を代入すればよい).(4) で言われているのは,「知る」という文脈の内部で,個体の述語としてふるまう限りの \lambda x(Fx)\lambda x\exists y(R_{F}(x,y)) が置換可能だということ.

4.〔関係的属性を知るとは,属性が何について真かを知ることである〕

(4) と (5) のどちらが適切な解釈かは検討の余地がある.(E) につづく箇所では次のように言われる.

(F) φανερὸν μὲν οὖν καὶ ἐξ αὐτοῦ ἐστίν· εἰ γὰρ οἶδέ τις τόδε τι ὅτι τῶν πρός τί ἐστιν, ἔστι δὲ τὸ εἶναι τοῖς πρός τι ταὐτὸ τῷ πρός τί πως ἔχειν, κἀκεῖνο οἶδε πρὸς ὃ τοῦτό πως ἔχει· εἰ γὰρ οὐκ οἶδεν ὅλως πρὸς ὃ τοῦτό πως ἔχει, οὐδ’ εἰ πρός τί πως ἔχει εἴσεται. (8a37-b3)

τόδε τι は何らかの個体 a を指すと読むのが自然である."τόδε τι ὅτι τῶν πρός τί ἐστιν" は a が特定の関係的属性をもつという意味になる.この読みは難しいが 8b4-5 から確証される (τόδε τι ... ὅτι ἔστι διπλάσιον).したがって (F) の主張は:

  • (7) K_{n}(\ulcorner Fa\urcorner)\rightarrow K_n(\ulcorner\exists y(R_{F}(a,y))\urcorner)

具体例は以下の通り.テクストの構造は厳密に並行的.

(G) καὶ ἐπὶ τῶν καθ’ ἕκαστα δὲ δῆλον τὸ τοιοῦτον· οἷον τόδε τι εἰ οἶδεν ἀφωρισμένως ὅτι ἔστι διπλάσιον, καὶ ὅτου διπλάσιόν ἐστιν εὐθὺς ἀφωρισμένως οἶδεν, —εἰ γὰρ μηδενὸς τῶν ἀφωρισμένων οἶδεν αὐτὸ διπλάσιον, οὐδ’ εἰ ἔστι διπλάσιον ὅλως οἶδεν· (8b3-7)

8b6 の読みは二つある (D は「二倍」を表す):

  • Marcianus 201 (X cent.): εἰ γὰρ μηδενὸς τῶν ἀφωρισμένων οἶδεν αὐτὸ διπλάσιον. すなわち:
    • (M1) K_{n}(\ulcorner\lnot\exists y(R_{D}(a,y))\urcorner),または
    • (M2) \lnot\exists y(K_{n}(\ulcorner(R_{D}(a,y))\urcorner))
  • Ambrosianus L 93 (IX cent.): εἰ γὰρ μή τινος τῶν ἀφωρισμένων οἶδεν αὐτὸ διπλάσιον. すなわち:
    • (A1) K_{n}(\ulcorner\exists y\lnot(R_{D}(a,y))\urcorner),または
    • (A2) \lnotK_{n}(\ulcorner\exists y(R_{D}(a,y))\urcorner)

近代の校訂者はみな前者を選ぶが,(A2) で読むほうが (7) と平仄が合う.このように考えれば,(4) より (5) のほうがよい解釈となる.

5.〔ὡρισμένως εἰδέναι の意味〕

続いて (G) と厳密に並行的な例が与えられる.

(H) ὡσαύτως δὲ καὶ τόδε τι εἰ οἶδεν ὅτι κάλλιόν ἐστι, καὶ ὅτου κάλλιόν ἐστιν ἀφωρισμένως ἀναγκαῖον εἰδέναι διὰ ταῦτα, (οὐκ ἀορίστως δὲ εἴσεται ὅτι τοῦτό ἐστι χείρονος κάλλιον· ὑπόληψις γὰρ τὸ τοιοῦτο γίγνεται, οὐκ ἐπιστήμη· οὐ γὰρ ἔτι εἴσεται ἀκριβῶς ὅτι ἐστὶ χείρονος κάλλιον· εἰ γὰρ οὕτως ἔτυχεν, οὐδέν ἐστι χεῖρον αὐτοῦ)· ὥστε φανερὸν ὅτι ἀναγκαῖόν ἐστιν, ὃ ἂν εἰδῇ τις τῶν πρός τι ὡρισμένως, κἀκεῖνο πρὸς ὃ λέγεται ὡρισμένως εἰδέναι. (8b7-15)

概ね主張の繰り返しである.ただし b9-13 の挿入文は興味深い.伝統的解釈では,(i) 関係項を ὡρισμένως に知るとは,特定の個物 a が属性 F を持つと知ることであり,かつ (ii) a が関係するものを ὡρισμένως に知るとは,a が F の特徴となる構成的関係に立つ特定の b を知ることである.つまり:

  • (10) K_{n}(\ulcorner Fa\urcorner)\rightarrow K_n(\ulcornerR_{F}(a,b)\urcorner)

この見解は上述の解釈と整合的だが,議論が論点先取になる.

別の解釈も可能である.ὡρισμένως と対置される ἀορίστως εἰδέναι A は,(i) 単なる ὑπόληψις であり,(ii) 厳密な知識でなく,(iii) ¬A と整合するとされる.ὡρισμένως は単なる強調であり,以下を保証するにすぎない:

  • (12) K_{n}(\ulcorner A\urcorner)\rightarrow A

このとき 8b9-13 の役割は,(5) の後件を単なる信念に置き換えることはできない,ということの明確化にある.ただしこれを結論とする議論を完全にうまく再構成できるわけではない.

5.〔第二実体の部分は P2-関係項ではない〕

(J) τὴν δέ γε κεφαλὴν καὶ τὴν χεῖρα καὶ ἕκαστον τῶν τοιούτων αἵ εἰσιν οὐσίαι αὐτὸ μὲν ὅπερ ἐστὶν ὡρισμένως ἔστιν εἰδέναι, πρὸς ὃ δὲ λέγεται οὐκ ἀναγκαῖον· τίνος γὰρ αὕτη ἡ κεφαλὴ ἢ τίνος ἡ χεὶρ οὐκ <ἀναγκαῖον> ἔστιν εἰδέναι ὡρισμένως· ὥστε οὐκ ἂν εἴη ταῦτα τῶν πρός τι· εἰ δὲ μή ἐστι τῶν πρός τι, ἀληθὲς ἂν εἴη λέγειν ὅτι οὐδεμία οὐσία τῶν πρός τί ἐστιν. (8b15-21)

第二実体の部分は (5) を満たさないため P2-関係項ではないとされる.だが,なぜ (5) を満たさないと言えるのかは問題である.あらゆる場面で本当にそう言えるかは疑わしいが,ある種の尤もらしい思考実験は提示できる〔省略〕.