アリストテレスの性向は狭義の関係項である Harari (2011) "The Unity of Aristotle's Category of Relatives"

  • Orna Harari (2011) "The Unity of Aristotle's Category of Relatives" The Classical Quarterly 61(2), 521-537.

  • Cat. 7 の関係項の最初の例示には,不完全述語のほかに完全述語も含まれる: ἕξις, διάθεσις, αἴσθησις, ἐπιστήμη, θέσις.また「奴隷」「大きい」.
  • 以下では,優勢解釈に反対し,ἕξις や διάθεσις が狭義の関係項であると論じる (関係項概念は統一的).
    • 検討する基準は: ケンブリッジ変化,(第二定義の) 認知的対称性 (Sedley).
      • ケンブリッジ変化については: (1) 性向・状態は能動・受動に依存するために関係項である,(2) 外的/内的属性の区別は関係かどうかに無関係,(3) またこの点で性向・状態は数的同一性と同じ.
      • 認知的対称性基準を性向・状態は満たす.
        • また認知的対称性基準の措定はイデア論批判の一部とみなせる.

I

  • 性向・状態が関係項であることの説明は二通りある: 主体に相対的とする解釈 (フィロポノス,Ackrill),ソフトな関係性と見なす解釈 (Sedley).
    • だが前者は Top. 4.4, 125a33-37 に反する: 魂との関係は知識にとって偶然的.
    • かつ後者も誤り: 性向・状態もケンブリッジ変化を被る (i.e., ハードである).Phys. 7.3 からこのことを論証する.

II

  • Phys. 7.2, 244b5-10 では,感覚的な質のみが性質変化 (ἀλλοίωσις) を被り,形や性向などの他の質は被らないと主張される.7.3 ではこの主張が論証される:

ἔτι δὲ καί φαμεν ἁπάσας εἶναι τὰς ἀρετὰς ἐν τῷ πρός τι πὼς ἔχειν. τὰς μὲν γὰρ τοῦ σώματος, οἷον ὑγίειαν καὶ εὐεξίαν, ἐν κράσει καὶ συμμετρίᾳ θερμῶν καὶ ψυχρῶν τίθεμεν, ἢ αὐτῶν πρὸς αὑτὰ τῶν ἐντὸς ἢ πρὸς τὸ περιέχον· ὁμοίως δὲ καὶ τὸ κάλλος καὶ τὴν ἰσχὺν καὶ τὰς ἄλλας ἀρετὰς καὶ κακίας. ἑκάστη γάρ ἐστι τῷ πρός τι πὼς ἔχειν, καὶ περὶ τὰ οἰκεῖα πάθη εὖ ἢ κακῶς διατίθησι τὸ ἔχον· οἰκεῖα δ’ ὑφ’ ὧν γίγνεσθαι καὶ φθείρεσθαι πέφυκεν. ἐπεὶ οὖν τὰ πρός τι οὔτε αὐτά ἐστιν ἀλλοιώσεις, οὔτε ἔστιν αὐτῶν ἀλλοίωσις οὐδὲ γένεσις οὐδ’ ὅλως μεταβολὴ οὐδεμία, φανερὸν ὅτι οὔθ’ αἱ ἕξεις οὔθ’ αἱ τῶν ἕξεων ἀποβολαὶ καὶ λήψεις ἀλλοιώσεις εἰσίν, ἀλλὰ γίγνεσθαι μὲν ἴσως αὐτὰς καὶ φθείρεσθαι ἀλλοιουμένων τινῶν ἀνάγκη, καθάπερ καὶ τὸ εἶδος καὶ τὴν μορφήν, οἷον θερμῶν καὶ ψυχρῶν ἢ ξηρῶν καὶ ὑγρῶν, ἢ ἐν οἷς τυγχάνουσιν οὖσαι πρώτοις. περὶ ταῦτα γὰρ ἑκάστη λέγεται κακία καὶ ἀρετή, ὑφ’ ὧν ἀλλοιοῦσθαι πέφυκε τὸ ἔχον· ἡ μὲν γὰρ ἀρετὴ ποιεῖ ἢ ἀπαθὲς ἢ ὡδὶ παθητικόν, ἡ δὲ κακία παθητικὸν ἢ ἐναντίως ἀπαθές. (Phys. 7.3 246b3-20)

  • すなわち:
    • 身体的卓越性は性質変化を被らない.むしろ,それらの獲得・喪失は感覚可能な質の性質変化に依存する.
    • また,卓越性・悪徳は固有の受動状態 (i.e. 生物の生成消滅がそれに依存するような受動状態) と関係する.
      • 魂の性向についても類比的な議論が成り立つ (248a7-15).
  • 身体・魂の性向は (1) 感覚可能な質に依存するが還元不可能,(2) 感覚可能な質は状態の第一の基体をなす (246b16-17),(3) 性向は,それをもつものに,感覚的性質に関する一定の傾向性をもたせる.
    • これら三点から,身体・魂の性向は Top. 4.4 の関係項のクラスに属する.((1) (2) ゆえに主体の属性になり,(3) ゆえに関係的になる.)
  • (3) を "ἐν κράσει καὶ συμμετρίᾳ θερμῶν καὶ ψυχρῶν" から理解し数的関係性との類比を見て取るのは一見自然だが,そうした説明が生物と環境の関係に当てはまるかは自明でなく,またアリストテレスが量ではなく質的特徴に着目している点を見落としている.関係的性格はむしろより広く "ποιεῖ ἢ ἀπαθὲς ἢ ὡδὶ παθητικόν" というところから発している.
    • 魂の性向 (徳・知性的性向) についても同様のことが言える (247a-b).Cf. DA 2.5: τὸ πάσχειν には反対者による属性の消滅・現実的なものによる可能的なものの保存の二義がある.知性的状態も後者の意味では対象に依存する.
  • 以上の解釈の帰結として:
    1. Cat. 7 と Met. Δ15 は緊密に結びついている: 前者の冒頭で挙げられているものは全て Δ15 に登場する.「より大きい」「二倍」は数的関係項,性向や状態は能動-受動関係,知識や感覚は測られるものと尺度の関係.
    2. 性向や状態を関係項に含めることは Cat. の教説の未成熟を意味しない.
    3. 性向について性質変化を認めないことは性向がハードな関係項であることを含意しない: 能動性や受動性は可能態の現実化として生じるのであり,狭義の性質変化によって生じるのではない.
      • ゆえに,性向の変化が否定されるのは,それが外在的 (extrinsic) 属性であるからではない.そもそも性向は外在的属性ではない (可能態の現実化だから).
        • 数的関係項も同様に可能態の現実化によって生じる (1021a10-21).ゆえに,内在的/外在的属性の区別はアリストテレスの説明をうまく捉えていない.

III

  • Sedley の認知的対称性解釈には以下の問題がある.
    • 〈有翼のもの〉〈可知的なもの〉が確定的知識の対象たりえないと前提してしまっている.
      • 主人が他人を従属させるという属性を指すように,〈有翼のもの〉が翼をもつという属性を指すと言えるかもしれない.
      • 知識の種が関係項でないことは,〈可知的なもの〉が関係項でないことを含意しない.
    • また〈可知的なもの〉の特定によって知識という類そのものが性質になるわけではない.
  • むしろ,以下のように解釈すべき.
    • Top. 6.4, 124a26-31: 関係項が認知的対称性の原理を満たすのは,相関項なしに定義できないから.
    • SE 31: 関係項は相関項と切り離されたときには同じ意味にならない.
      • Cf. Phys. 7.4, 248b17-20: 等,一,二は同名異義的.
        • これらは「多く」や「二倍」の相関項.
    • これに対して,有機的部分の類と種は同名異義的ではない.「翼」の意味は動物種ごとに異なりはしない.それゆえ,部分が確定的に知られる一方で全体が不確定なままでありうる.ゆえに認知的対称性を満たさない.
  • この解釈においては,〈有翼のもの〉と〈可知的なもの〉は類比的でない.後者は相関項を捨象した場合と具体的事例に適用された場合で意味が異なる (SE 31).それゆえ,知識やその他の性向・状態は認知的対称性を満たす.
  • したがって,アリストテレスの関係性はプラトンのそれと比べてそれほど狭いものではないことになる.
    • 相関項を捨象すると確定的な意味を持てないということを前提するアリストテレスの認知的対称性原理からは,プラトンがしたようなイデアの措定による属性の同義性の説明に反対する動機が読み取れる.