アレクサンドロス『「形而上学」注解』Γ1, 239.4-240.30
Alex. In Met. 239.4-240.30 (Γ1).
[239.4] 1003a21 〈ある〉限りの〈あるもの〉と,それに自体的に属する事柄を観照する,或る学知がある.
[239.6] アリストテレスははじめに,〈ある〉限りの〈あるもの〉をめぐる或る学知があるということを受け入れる.これは,〈ある〉限りの〈あるもの〉と,それに自体的に属する事柄とを観照し論証する学知である.というのも,いかなるものの学知であれ,全てそれに自体的に帰属する事柄を論証するものだからである.そして彼は,〈ある〉限りの〈あるもの〉をめぐる何らかの学知があるということを続けて示すだろう.他方ここでは,上述のことに付け加えて,この学知が他の全ての学知とは別のものでもあると述べる.それから彼は,この学知が知恵であり,目下の議論がそれをめぐるものだと示す.彼がこのことを示すのは,最高の諸原理と諸原因が――知者はそれらに携わるのだが――,第一にそれ自体として或る自然本性の原理であること,それからこの自然本性の原理であることを示すことを通じてである.というのも,〈ある〉限りの〈あるもの〉にはそのような諸原理があるからである.
[239.16] さて,〈ある〉限りの〈あるもの〉をめぐる学知が,それ以外の諸学知とは別のものであることは,各々の学知が,或る〈あるもの〉(τὶ ὂν) と,〈あるもの〉の部分をめぐって論究することからして,明らかである.というのも,算術は数をめぐって論究するが,数は或る〈あるもの〉であり,幾何学は線と平面と立体をめぐって論究するが,これらもそれ自身或る〈あるもの〉どもである.それと同じ仕方で,他の諸学知の各々も,〈あるもの〉の或る部分に携わり,それに自体的に帰属する事柄 τὰ τούτῳ ὑπάρχοντα καθ᾽ αὐτά を観照するのだ (というのも,ここで「付帯的な事柄 τὰ συμβεβηκότα」とはそのことを意味しているから).というのも,このことは個別的な事柄をめぐる学知に固有であるから.或る〈あるもの〉に携わるのでも,〈あるもの〉の部分に携わるのでもなく,むしろ端的に〈ある〉限りの〈あるもの〉――それのゆえに或る〈あるもの〉どもは〈あるもの〉である――に携わる学知があり,そしてこの基礎に置かれるものをもつために,個別的な事柄をめぐる諸学知とは別のものであるだろう.
[239.25] 〈ある〉限りの〈あるもの〉をめぐる或る学知があるということを受け入れ,またそれに他の諸学知に対する違いがあるということを示して,その後に彼は,第一の諸原理と最高の諸原因が――それらについて知恵は探究をなすのであり,知恵に関して目下の論が私たちにあるということによって,いま私たちはそれらを探求しているのだが――,それ自体として他の何かの諸原理ではなく,むしろ〈ある〉限りの〈あるもの〉の諸原理であるということを示す.そうだとすれば,〈ある〉限りの〈あるもの〉についての学知であると私たちが述べてきたものは,知恵であるだろう.というのも,或る自然本性の自体的な諸原理と諸原因を観照することが属する学知には,諸原理が属するこの自然本性を観照するものであることも属するだろうから.このことは次のように示される.第一の諸原理と最高の諸原因が――いま彼,すなわち知者かつ第一哲学者によって探求されている諸原因はそれであると彼は述べているが――それ自体として或る自然本性の諸原理であるべきであり,付帯的に諸原理であってはならないということを受け入れる.というのも,全ての原理と全ての原因は何かの原理・原因であり,そして,支配的な仕方で原理であり原因なのは,次のものである――すなわち,付帯的にではなく自体的に,或るものの原理・原因であるものである.したがって,第一の諸原理も,この上なく原理なので,付帯的にではなく自体的に或る自然本性の原理であると語られるだろう.
[240.3] 個別的に知られる事柄のどれにもそうした諸原理はない.というのも,それらのどれにも第一の諸原理はないからである.というのも,それらの各々には別の原理があるから.その証拠は,それらについての諸学知がそれらの事柄の諸原理をもつ一方,別の原理をもっており,同じ原理をもっていないことである.したがって,第一にして最高の諸原理は,別の事柄の諸原理である.
[240.7] 何が付帯的な諸原因であり何が自体的な諸原因であるかを,彼は『自然学』講義において示した.すなわち,何かに自体的にあるのでも第一の仕方であるのでもなく,むしろ他のものへの参照 (ἀναφοράν) に即してあるから.そのような仕方で,二直角と等しい三つの角をもつことは,二等辺三角形の原因ではなく,むしろ付帯的であると私たちは述べる.なぜなら,このことは,他の先に上っている (προαναβεβηκότος) 第一のもの,すなわち三角形,の自体的な原因だから.しかしまた,何ごとかの自体的にある原因に付帯する事柄もある.ちょうど鋳造家ポリュクレイトスのように.そしてこれらは付帯的な原因であると語られる.このうち最後のものは全く原因であるとは語られないのに対し,第一のものは何ごとかの第一の原因であると語られるが,それらのものの第一の原因であるとは語られない.第一の諸原因は,第二の仕方で付帯的にあるものの原因であると語ることもできず (というのも,第一原因そのものであるので,原因でないことはできないから),また第一の仕方でそう語ることもできない.なぜなら,付帯的な仕方で,〈ある〉限りの〈あるもの〉の原因であるなら,より上に上っている (ἐπαναβεβηκότος) 他の何かの自体的原因であるだろうから.しかし何ものも〈あるもの〉を超えはしない.それゆえ,第一の諸原因は,自体的な諸原因であり,〈ある〉限りの〈あるもの〉の諸原因である.
[240.21] 彼自身は第一に,何ごとかの自体的な諸原因があるということを受け入れる.というのも,諸原因があるなら,何ごとかの諸原因であり,そして真に諸原因であるなら,自体的であるから.そしてこのことを受け入れて,その後に,最高にして第一の諸原理がそれについてあり,私たちが探求するところの,その自然本性が,〈ある〉限りの〈あるもの〉であるということを導入する.このことを彼は次のような論を用いて確立した.彼らは〈あるもの〉どもの諸構成要素を探求することでそうした諸原理を探求しており,また〈あるもの〉どものそうした諸構成要素は,〈あるもの〉どもの付帯的でなく自体的な諸構成要素であるものどもであるのだが,それと同様に,〈あるもの〉のそうした第一の諸原因と諸原理を探求する私たちも,支配的かつ自体的にその諸原理であるようなものどもを探求しなければならない.だが,言葉づかいが簡潔であるがゆえに不明瞭である.
さしあたり目立つ (Alex. の創意が見られる) 点としては:
- 「これは,〈ある〉限りの〈あるもの〉と,それに自体的に属する事柄とを観照し論証する学知である.というのも,いかなるものの学知であれ,全てそれに自体的に帰属する事柄を論証するものだからである πᾶσα γὰρ ἡ οὑτινοσοῦν ἐπιστήμη τῶν ἐκείνῳ καθ᾽ αὑτὰ ὑπαρχόντων ἐστὶν ἀποδεικτική.」ἀπόδειξις 系の単語は Γ1 本文には登場しないので,ここでの「観照」との併置は踏み込んだ解釈.
- 「他の諸学知の各々も,〈あるもの〉の或る部分に携わり,それに自体的に帰属する事柄 τὰ τούτῳ ὑπάρχοντα καθ᾽ αὐτά を観照するのだ (というのも,ここで「付帯的な事柄 τὰ συμβεβηκότα」とはそのことを意味しているから).」1003a25 τὸ συμβεβηκός への注釈.この一語に関する論争状況は Cassin & Narcy が触れている.
- 付帯性/自体性に関する Phys. 2.3 の援用.付帯的原因を (1)〈2R-二等辺三角形〉事例と (2)「鋳造家ポリュクレイトス」事例に分類し,第一原因はどちらでもないので自体的だと述べる.(ただし (1) はそのまま Phys. に登場する例ではない (むしろ APo. の例).したがって Phys. の枠組みでどこに分類される (と Alex. が考えている) かは要検討.)