アレクサンドロス『「形而上学」注解』Γ巻序文 (237.4-239.3)
Alex. In Met. 237.4-239.3 (Prooemium). テクストは CAG (Hayduck).また Madigan の英訳を随時参照する.
序文は ΑαΒ の振り返り + Γ巻の梗概.
[237.4] アリストテレスは,形而上学という論究 (πραγματεία) において――それは知恵であり第一哲学であって,彼はそれを神学とも呼ぶのがならいであったが――〈ある〉限りの〈あるもの〉について観照することを提案し,また,提示された論究が,必然的な事柄の認識を取り扱う技術や知識の論究でも,有用なことどもを取り扱う技術や認識の論究でもなく,むしろ,人々が探求する事柄そのものを1,認識と知識それ自体のために探求しているのだと示し,当の論究が観照的であり第一の諸原理と諸原因の論究である (というのも,それらがこの上なく〈あるもの〉どもだから) ことを,第一の諸原理が何であるかを探求する前に示し,諸原因の論を一般的な仕方で動かし,また彼以前の人々の,諸原理に関する考えを叙述し検討してそれらに反対し,何らかの諸原理が第一のものであって,諸原理へと上る道 (ἄνοδος) は無限には進まないと示し,それら諸原理に対して,知恵に提示されることどもの発見に有用かつ必要な仕方で,〈あるもの〉と諸原理とそれらに付け加わる事柄についての諸アポリアを提起し,諸アポリアの後に,提示されているΓ巻を始め,そこでついに,彼自身に思われることどもを述べ,立証し,アポリアとされたことどもを解決する.
[238.3] 彼はこの巻で,彼が哲学や第一哲学とも呼ぶ,知恵とが何をめぐってあるのかを示す.そして第一に,知恵が一般的な〈あるもの〉をめぐって (περὶ τὸ ὂν καθόλου) あることを確立し (συνίστησιν),また〈一〉は〈ある〉と基礎に置かれるものに即して同じなので,それをめぐってもあることを確立する.しかし知恵は〈一〉の下にある事柄 (τῶν ὑπὸ τὸ ἕν) についてもある.それらは〈同〉〈等〉〈類似〉である.しかしまた〈一〉と対立するものどもについてもある,それらは〈多〉である.というのも,反対の事柄についての学知は,同一の学知に属するから.また上述のことどもと対立する事柄についてあり,しかしまた全ての反対の事柄についてある.というのも,全ての反対のものどもは他性 (τὴν ἑτερότητα) の下にあり,他性は〈多〉のもとにあり,〈多〉と〈一〉は対立する事柄だから.全ての反対の事柄と対立する事柄についてあるなら,そこから,全ての〈あるもの〉についてもあることは明らかである.というのも,全ての〈あるもの〉どもはそれらのうちにあるから.というのも,反対の事柄であるか,反対の事柄からなるから.しかし全ての〈あるもの〉をめぐってあるなら,全ての自体的かつ共通の仕方で〈ある〉限りの〈あるもの〉に属する事柄をめぐってもある.そうしたものどもは諸公理でもある.彼はそれらに関して,諸公理のなかで最も共通であり最もよく知られるのは,矛盾言明がともに成り立つことが可能でないことであると示す.
[238.17] このうち彼は第一に,知恵が〈あるもの〉をめぐるものであることを受け入れつつ (λαβὼν),〈あるもの〉が,〈一〉に由来し〈一〉に関係する事柄として (ὡς τὰ ἀφ᾽ ἑνός τε καὶ πρὸς ἕν),多様な仕方で語られることを示す.〈あるもの〉が〈一〉であると語られる仕方で,〈ある〉限りの〈あるもの〉の学知は一つであると思われる.それゆえに,提示されている学知は,それの観照をめぐるものでもあり,全ての学知のうち第一にして最も権威ある学知である.彼はまた,知者と同じ事柄をめぐって,問答家とソフィストもある,と述べるであろう.というのも,共通の仕方で〈ある〉限りの〈あるもの〉に帰属するものどもについて,この人々も言論をなすのだから.というのも,この人々の論究は,他の技術や学知の論究のように,或る一つの類をめぐるものであるわけではないから.しかし,彼らの一方は虚偽を述べており,虚偽を通じて議論を試みている (ἐπιχειρητικός) のに対し,他方は尤もらしくかつ通念である事柄を通じて議論を試みている.他方で知恵は,知識となる仕方で (ἐπιστημονικῶς),これら〈ある〉限りの〈あるもの〉に共通の仕方で属する事柄を観照するものである (θεωρητική).アリストテレスは,矛盾言明が同時に真かつ偽であることは可能でなく,全てについて矛盾言明の一方の片割れが真であり他方が偽である必要があるということを示して,ヘラクレイトスとプロタゴラスに反対するだろう.彼らは反対言明の中間に何かがあると考えていた.いまや私たちは,提示されている議論自体を始める.
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テクストが壊れている.Bonitz の αὐτὰ ἅ という修正案を採る (Madigan もこれを採る (n.2).ただし英訳はやや自由訳).なお Madigan は ‘μετιοῦσα … ἀρχῶν’ が ‘do not appear in MSS of Alexander’ とするが,誤り; Hayduck は “Ascl. MS: om.A” としか記しておらず,実際少なくとも M 写本には存在する (https://www.digitale-sammlungen.de/en/view/bsb00083419?page=218,219).↩