ヘレニズム期の περιτροπή の背景をなす論争状況 Burnyeat (1976) "Protagoras and Self-Refutation in Later Greek Philosophy"

  • M. F. Burnyeat (1976) "Protagoras and Self-Refutation in Later Greek Philosophy" The Philosophical Review 85(1), 44-69.

プロタゴラスの尺度説は自己論駁的だ」という議論は長い歴史を有する: Tht., Met. Γ, セクストス.このうちセクストスの文脈をここで検討する.

懐疑主義者たちは他の哲学者たちの独断主義を批判し判断保留を勧めた.他方で他の哲学者,就中ストア派もこれに対する弁明を行った.プロタゴラスの自己論駁をこうした論争の脈絡に位置づけると,論争とその方法の興味深い特徴が浮かんでくる.

プラトンによれば,『真理』冒頭の尺度説は相対主義の一形式を導入している.範例的なのは知覚的事例だが,プロタゴラスは非知覚的事例にも尺度説を拡張している.

だが,アリストテレスやセクストス,および総じて後代の資料は,相対主義ではなく主観主義として理解している.すなわち「全ての判断は端的に真である」.主観主義は PNC に明確に違反しているが,相対主義はそうでない.また自己論駁との関係でも違いが出てくる.本稿ではセクストスにおける議論を検討する.つまりアリストテレス以来の主観主義な装いをしたプロタゴラスに取り組む.プラトンに関しては続く論文で扱う.

πᾶσαν μὲν οὖν φαντασίαν οὐκ ἂν εἴποι τις ἀληθῆ διὰ τὴν περιτροπήν, καθὼς ὅ τε Δημόκριτος καὶ Πλάτων ἀντιλέγοντες τῷ Προταγόρᾳ ἐδίδασκον. εἰ γὰρ πᾶσα φαντασία ἐστὶν ἀληθής, καὶ τὸ μὴ πᾶσαν φαντασίαν εἶναι ἀληθῆ, κατὰ φαντασίαν ὑφιστάμενον, ἔσται ἀληθής, καὶ οὕτω τὸ πᾶσαν φαντασίαν εἶναι ἀληθῆ γενήσεται ψεῦδος. (Sext. Emp. M 7.389-90)

"περιτροπή" とは何を意味し,議論の形式と妥当性について何を含意しているのか.

περιτροπή は Bury に従うなら自己論駁・反転を意味する.Cornford はより生き生きと "turning the tables" と訳し一種の固有名と理解している.だが続いて "καὶ χωρὶς τῆς τοιαύτης περιτροπῆς ..." と述べられているように,περιτροπή はこの議論のみならず,ある議論の種類を指している.実際 περιτροπή / περιτρέπειν はセクストスにありふれている.

περιτρέπειν は turn around or over を意味し,したがって論駁を意味する.特に "p" から "not-p" を導き "p" が偽だと結論する種類の議論を指す傾向にある (PH 2.64, 78, 88, 91, 185-196, 3.19; M 7.440, 8.55, 9.204).その場合テーゼが単一の推論によってそれに矛盾する命題へとひっくり返されるのであり,これがこの動詞の意味であるように思われる.実際 "p" περιτρέπεται εἰς "not-p" とか περιτρέπειν ἑαυτόν という用法も見られる.

ただし注意すべき点として,当該の議論は (p → not-p) → not-p という形式にはなっていない (前提が一つではない):

  • もし (A) 全ての現れが真であり,
  • かつ (B) 全ての現れが真であるわけではないと思われる,
  • ならば,(C) 全ての現れが真であるわけではない.

では,なぜ (A) が自己論駁的だと言えるのだろうか.

セクストスは単一前提の反転の事例も色々挙げている.例えば懐疑主義者は,自ら独断主義に陥っているという批判を躱すために,「何ごとも決定しない」「これより一層あれであるということはない」という定式もそれ自体に適用されキャンセルするということを認める (PH 1.13-15).「真理はない」も自己論駁的である (M 7.399),など.

だが,(B) は独立の前提として立てられており,そしてそれは正しい (偶然的事実だから).実際のところ,セクストスが伝える様々な反転は,自己論駁の〔単一前提版〕より複雑なヴァージョンを含んでいる.特に興味深いのは,ストア派との論争に端を発する以下の議論である:

  1. 懐疑主義者が「基準はない」という基準を用いるなら,「彼は自己論駁するのであり,またいかなる基準もないと主張することで,彼はこの主張の証明にある基準を用いているのだ」(M 7.440).
  2. 懐疑主義者が徴表 (signs) の非存在を論じるとき,彼は徴表の非存在の徴表を生み出しており,それによって徴表が存在するということを認めているのだ (M 8.282).
  3. 懐疑主義者が「証明は存在しない」ということを証明しようとするとき,まさにそれによって証明が存在するということを認めている.したがって証明の非存在のテーゼ (λόγος) は自己論駁する.
  4. 懐疑主義者が理由 (αἴτιον) なるものがない理由に言及するとき,彼は自己論駁している.「理由なるものはない」と言う行為において,理由なるものがあると彼は主張しているのだ.

これらの場合には見解はその内容から直接反証されるわけではない; 見解と対立しているのは,むしろそれを提示するやり方である.

だが,反独断主義者はいかなる見解も弁護する必要がないと思われるかもしれない.セクストスの応答によれば,論争のなかで懐疑主義者は基準や証明といった概念の直接的論駁を行っており,ストア派はそちらに応答しなければならない.他方で懐疑主義者のほうは自らの結論に与しておらず,対立する見解と同じくらい支持できることが示せれば十分である.

一方で,見解とその提示方法との対立について言えば,Mackie 流に二つの可能性を考えることができる.実践的自己論駁 (pragmatic self-refutation) は命題がその特定の偶然的な提示方法によって反証されるときに起こる (例:「私は書いていない」と,囁くのではなく,書くとき).他方で操作的自己論駁 (operational self-refutation) は,それを反証しない提示方法が存在しないときに起こる (例:「私は何も述べていない (say)」と喋る・書く・内語するとき).ストア派の反論は実践的自己論駁にみえる.懐疑主義者はただ言明する (bare assertion) こともできるからだ.

もっとも,ただ言明するだけだと,懐疑主義者は対立する相手以上に信じられることはない.それゆえ ἰσοσθένεια 原理に反することになる.したがって懐疑主義者は,反転を被るか,しっぺ返しを食らうか,の割りに合わない選択を迫られることになる.しかしこの選択肢があること自体が実践的自己論駁であることの証拠になる.

とはいえ,実践的自己論駁と精確に同一視することはできない.Mackie は理由つきの命題とそれだけでの言明を同等とは見なさないだろうし,理由は存在しないと「言うことにおいて」理由が存在すると主張している,という語法も私たちは認めないだろう.こうした言葉づかいが示しているのは,ストア派による批判において,περιτροπή とは懐疑主義者の主張が,彼がそれを言うことによって反証されているという考え方であり,その際,彼がそれを言うということは,彼がその立場を支持する推論を含んでいる (inclusive of, not ... exclusive of) のである.

「言う」という言葉をこのようにゆるく使うのは混乱のもとではあるが,利点もある:「何ごとも証明できない」と述べてからそれを証明する人というのは,「ごめん――私は決して「ごめん」とは言わない (I'm sorry, I never say 'sorry')」などと言う人と同様ではない.後者は自分が述べていることを,それに加えて (as well as) 反証してもいる,というだけであるが,理由を与えるということは見解の提示と並列的な独立の活動ではない.

しかしストア派による自らの立場の要約は完全に混乱している.「(1) 証明が存在するなら,証明が存在する.(2) 証明が存在しないなら,証明が存在する.(3) それゆえ証明が存在する」(PH 2.186; M 8.281, 466, 9.205).冗長なだけでなく,前提 (2) は自己論駁からは出てこない.

また,テーゼの論証行為が現実に当のテーゼを反証するためには,当の論証が本当の論証になっていなければならない.

こうしたこと全てが,ストア派が ἀξίωμα という概念において命題の主張行為と主張される命題とを区別していなかったのではないかという Kneale, 172-174 の疑念を確証しうる.ἀξίωμα は例えば時制や指標詞 (token-reflexives),発語内的効力を捨象していない.結果として条件文の扱いなどで問題が生じるが,それはさておき,ここでの問題は,反転を招く要因がどれなのか明確に分からないという点にある.

ここで思い出すべきは,この時期の論理学は依然として問答法・討論 (disputation) とのつながりを失っていないという点である.議論において懐疑主義者に可能なのは,議論を断ってテーゼを拒否する反論者に対する優位を主張しないか,証明を与えようとして反論者の見解に与してしまうか,のどちらかである.そしてどちらにせよ懐疑主義者は敗者となる.そうだと分かってしまえば,論理的反省が問答法に大きく傾いている人々が,反転の精確な要因を見つける必要はないと考えるのはもっともだろう.

ヘシオドスに関する議論 (M 10.18) が以上の描像の証拠となる.いわく,カオスが最初に生じたという彼の説は自己論駁的である,なぜならカオスが何から生じたのかに彼は答えられないからである.歪な議論に見えるが,問答法的状況を考えればそうではない.前後を読むにこの議論は元々エピクロス派の物語から来ている.したがって語 περιτροπή とそれが示す方法はストア派の独占物ではない.フィロデモスやエピクロスその人も自己論駁に論及している.問答法的文脈はセクストス自身のストア派に対する議論からも示唆される (M 8.296, PH 2.132-133).明らかに περιτροπή は後期ギリシアの論争にありふれている.

プロタゴラス説の扱いに戻る.(A) は (B) から論駁される.(B) は問答法的文脈においては保証される.不一致なしに論争はないからである.それゆえ論証の妥当性を損なうことなく論証から省くことができ,この意味で (A) は自己論駁される.この種の,討論の場にテーゼを持ち込むことが反転を引き起こす場合を,問答法的自己論駁と呼ぶこともできよう.

主観主義は真正な不一致の可能性を否定する.それこそ問答法的文脈において自己論駁的である理由である.だが討論という個人間の営みに相当することは一個人のなかでもできる; その事実を無視すると,見解の形成における理由の役割も無視することになる.討論はイエス・ノーが未決であることを前提するが,主観主義はどちらも等しく妥当な答えと見なす.したがって理由が見解形成に果たす役割も存在しない.

かくてまた,ギリシア懐疑主義者が理由そのものを拒否したのも ἰσοσθένεια 原理の必然的帰結といえる.そして懐疑主義者自身,あるいは後代の歴史家は,ἰσοσθένεια 原理をプロタゴラスに遡らせたのだ (就中セネカ).

補遺: 時系列に関する二つの問いと,あるパズル

エピクロスからセクストスまでの5世紀間のどこで上述の相互作用・発展が起こったのかは難問だが問うに値する.

  1. ストア派による懐疑主義の理由拒否の περιτροπή はいつ編み出されたのか.
    • Brochard によれば,かようにラディカルな懐疑主義はアイネシデモス (活動していた時期は最も早くて 80-60 BC, だがおそらくは (キケロに見えないことから) 43 BC 以降) 以前にはない.
    • だが,それほど後期にストア派が περιτροπή や関連する形式的ジレンマに携わるほど論理学的関心を維持していたかは問題である.
    • むしろストア派論理学の形成期,すなわちクリュシッポス (c. 280-207) らが活動しアカデメイア派批判を行った時期に帰属するほうが尤もらしい.
      • これらの議論が SVF II, 118, 223, 268, 337 に入っていることは必ずしも年代に関する判断を含意しないが,クリュシッポスに『アルケシラオスの方法への答弁』という題の著作や論理学への異論を扱うものがあることには留意すべき.
      • またクリュシッポスは感覚や理由に反対する議論の論駁を試み,(後にカルネアデスが問答法に用立てる) 懐疑論的道具立てを収集していた (Cic. Acad. II, 87).これはアルケシラオスカルネアデスが通常思われているよい極端な結論を擁護していた証拠となる.
      • アルケシラオス以来の懐疑主義者による真理の基準の存在の批判は,それだけで理由の転覆に充分である.アスカロンのアンティオコスはこの次第を明瞭に見て取っている (Acad. II, 26; si ista vera sunt, ratio omnis tollitur).
    • 残る問題は,アルケシラオスカルネアデスにおいて,それほど徹底した懐疑主義と,実践上の基準に関する積極的見解 (M 7.158, 166ff.) がどう両立するのかである.
      • だが,後者の存在には疑義もある (Robin, dal Pra).
      • かつ,懐疑主義の詳細をどう理解しようと,緊張関係は残る (cf. Plut. Contra Coloten; Cic. Acad. II, 39; DL IX, 104).
  2. だが περιτρέπειν の問答法適用法はキティオンのゼノンやアルケシラオス以前にエピクロスに見られる.彼が言い出しっぺである可能性は (彼が通常論理的機微に無関心ないし敵対的であったにせよ) 否定できない.
    • περιτροπή は弁論術の理論において,論敵の主張から論敵に不利な帰結を出す戦略に関して用いられている (Rhetores Graeci I, 2).これは p から殊 not-p を出す問答法的 περιτροπή ほど厳密でない.戦略は弁論と同じだけ古いにせよ,περιτροπή という語は新しく,問答法からの借用だと思われる.特にアリストテレスはこの語を知らない (cf. Rhet. 1398a3-4, 1419a12-13).自己論駁はプラトンなどエピクロス以前に無数に見られるが,呼び方はばらばらである.
    • エピクロスが言い出しっぺではなくメガラ派由来の可能性も考えられるが,証拠はない.
    • 合理的結論として: 反転という考えは少なくとも三世紀の最初の十年まで遡ることができ,対抗諸潮流の形成期に大きな役割を果たした.
  3. パズル: おそらく 6 世紀に初期ストア派の資料を用いて書かれたアンモニウスの APr. 注解の「推論の全形式について」という欄外注に次のようにある (I, xi Wallies):

τοιοῦτος καὶ ὁ Πλάτωνος ἐν τῷ Πρωταγόρᾳ λόγος· εἴτε ἀληθεύει Πρωταγόρας εἴτε ψεύδεται, ψευδεται· ἀλλὰ μὴν ἢ ἀληθεύει ἢ ψεύδεται· πάντως ἄρα ψεύδεται. τοιαύτη δὲ καὶ περιτροπὴ Τισίου καὶ Κόρακος· εἴτε ἡττηθῶ, λήψομαι· ἀλλὰ μὴν ἢ νικῶ ἢ ἡττῶμαι· πάντως ἄρα ἡττῶμαι. εἴτε νικήσω εἴτε ἡττηθῶ, οὐ δώσω· ἀλλὰ μὴν ἢ νικῶ ἢ ἡττῶμαι· πάντως ἄρα οὐ δώσω.

この περιτροπή はどういう意味か.上述の議論に反して,この περιτροπή はジレンマを特定しており,また弁論術起源を示しているのか.そうではない.この種の話を前5世紀に遡らせるのはおそらく間違いであり,また仮に遡るとしても欄外注釈者の術語の古さの証拠にはならない.むしろこれらのジレンマの構造と名称はヘレニズム期の論理学者および/または修辞学者が関心を寄せたジレンマのそれと並行的である.それらを検討すれば,ここで περιτροπή がティシアスのしっぺ返しを指すことを示している1


  1. 実際はもう少し詳しい議論をしているがあまり細部に亘るので省略する.