Γ5 の論証の分析 Wedin (2004) "On the Use and Abuse of Non-Contradiction"
- Michael Wedin (2004) "On the Use and Abuse of Non-Contradiction: Aristotle's Critique of Protagoras and Heraclitus in Metaphysics Gamma 5" Oxford Studies in Ancient Philosophy 26, 213-239.
Γ5 は PNC を理論的困惑ゆえに斥ける (べきことを含意する信念をもつ) 人々を攻撃する.それどころか,反対論者の主張からは PNC の反対 (SD, strong denial) が帰結するとされる.プロタゴラス説とヘラクレイトス説からどう SD が出るのかは謎.以下ではなるべくいい感じに Γ5 を再構築する.
1. プロタゴラスのテーゼと SD
Γ5 冒頭で「プロタゴラス説 (PT) ⇔ SD」と論じられる:
[i] プロタゴラスの議論も,同一の判断から出ている.そして [ii] 両者ともが,同様に,あるかありはしないかであることは必然である.というのも,[iii] 判断されていることや現れていること全てが真であるのなら,全てが同時に真かつ偽であることは必然であるから.[iv] というのも,多くの人々は,互いと反対のことを想定しており,かつ自分たち自身と同じことを判断していない人々は虚偽に陥っていると考えているから.したがって,同じことがありかつありはしないことは必然である.[v] そして,もしそうなら,思われていること全てが真であることは必然である.というのも,[vi] 虚偽に陥り,かつ真理を得ている人々は,互いに対立することを判断しているから.それゆえ,[vii]〈あるもの〉どもがそのようにあるのなら,万人が真理を得ていることになる.それゆえ一方で,[viii] 同一の思考から両方の議論が出ていることは明らかである.(1009a6-16)
まず,ある D について,
- (1a) D → (SD & PT).
最後の主張 (viii) は:
- (2) (D→PT)∧(D→SD).
むろん (1a) ↔ (2). また (ii) によれば:
- (3) PT ↔ SD.
(3) より D が SD, PT の一方を含意すれば (2) が言える.
(D とは何か.「あるものども = 感覚されるものども」説 (Reductionist Prescription, RP; 1011a1-3) かもしれない.)
論証に戻ると,(iii) および (iv) が PT → SD の理由を与え,(v)-(vii) が SD → PT の理由を与える.後者から始める.SD → PT とは
- (4) ∀p(p∧¬p) → ∀x∀q(x bel q → q).
これは自明に見える (Kirwan).しかしアリストテレスは (なぜかわざわざ) 以下の説明を行っている.(vi) によれば,ある人が信じていることは常に別の誰かが反対している.ゆえに:
- (6) ∀x∀q(x bel q → q は矛盾言明対の一方).これと (5) から
- (7) ∀q(q が矛盾言明対の一方 → q).
ゆえに (4) SD → PT.
逆側はより込み入っている.(iii) PT → SD を定式化すると:
- (9) ∀x∀p(x bel p → p) → ∀q(q∧¬q)
[iv] がその理由となる.アリストテレスが言っているのは:
- (10) ∃x∃y∃p(x bel p ∧ y bel ¬p)
だが理由として弱すぎる.必要なのは:
- (10a) ∀p∃x∃y(x bel p ∧ y bel ¬p).
アリストテレスは (10a) を意味していたと考えるほかない.しかしなぜプロタゴラス主義者は (10a) に与すべきなのだろうか.(同じ問題は Γ4 の議論にも指摘できる: Wedin (2003).)
SD は様相命題として定式化できることに注意すべき.SD が否定するのは:
- (12) ¬◇∃x(Fx∧¬Fx).
ゆえに (10a) を置き換えて:
- (10b) ◇∀p∃x∃y(x bel p ∧ y bel ¬p).
これで PT → SD が尤もらしくなるか見てみよう.
- (13) ∀x∀p(x bel p → p) → ◇∀p∃x∃y(x bel p ∧ y bel ¬p)
PT 支持者は後件を認めるか斥けるかどちらかだとする.このとき (13) を認めないなら:
- (14) ∀x∀p(x bel p → p) → □∃p¬∃x∃y(x bel p ∧ y bel ¬p)
これに不整合はないが,しかし PT を揺るがす.p と ¬p をともに信じることを不可能にする何らかの事実 (fact of the matter) が信念と独立にあるということだからだ.
(13) から出てくる帰結はむしろ:
- (11a) ◇∀q(q∧¬q).
これで問題ない.
2. ヘラクレイトスと変化の擁護者たち
1010a1 では SD の信念の原因が論じられる:
これらの人々の判断の原因は,[ix]〈あるもの〉どもについて一方で真なることを考えているが,他方で感覚対象のみが〈あるもの〉どもであると想定していることだ.[x] 感覚対象のうちには無限定なものの本性が,すなわち私たちが述べたような〈あるもの〉の本性が,属している.それゆえ [xi] 彼らは,尤もな仕方で述べているが,真なることどもを述べてはいない.(1010a1-5)
[ix] は RP. [x] は RP から SD に至る理由を説明している.ここからヘラクレイトス説に話題が移る.アリストテレスはヘラクレイトス説が SD を含意するとも考えている.しかしなぜか.
さらに,[xii] この自然は全て運動するものであり,[xiii] 変化するものに関しては何一つ真ではないと彼らは考えているので,[xiv] 少なくともあらゆる仕方で完全に変化するものに関しては真理をつかむことがありえない〔と考えている〕.というのも,[xv] この判断から,上述の人々の最高度の思いなしが花開いたのだ.その思いなしは,ヘラクレイトスに連なると主張する人々のものであり,またクラテュロスが持っていたたぐいのものだ.クラテュロスは,しまいには何も語るべきでないと考えて,指を動かすのみであった.そして「同じ川に二度入ることはできない」と述べたヘラクレイトスを非難した.それというのも,彼自身は,一度も入ることはできないと考えたからだ.(1010a7-13)
少なくともここから,ヘラクレイトス主義者が「何も言うべきでない」という極端な見解 (Extreme Heracliteanism, EH) に与することが分かる.(「何も言えない」「意味のある言説は不可能」ではない; むしろ知りつつ虚偽を言うことはできないということ.)
3. EH 擁護論
1010a7-9 は (xii) かつ (xiii) から (xiv) への論証になっていると思われる.自然の領域を N とするとき,文字通りに読むと:
- (15) 領域 N の全てのものは変化する.
- (16) 変化するものについて真理はない.ゆえに,
- (17) あらゆる仕方で完全に変化するものについては真理はありえない.
演繹になっていない.ましな形にすると:
- (15*) x が領域 N にあるなら,x はあらゆる点であらゆる仕方で変化する.
- (16') x が F に関して変化するなら,F に関して x について真理はない.ゆえに,
- (17') x があらゆる点に関して変化するなら,x について真理はない.
ここから (18*)「いかなる存在者についても真理がない」を言うためには RP を加えればよい.これによって EH 擁護論は得られた.しかし,EH はどう SD を含意するのか.
4. EH から SD へ
ヘラクレイトス主義者の SD へのコミットメントは 1010a35-b1 で明示される:
しかし,[xvi] ありかつあらぬと同時に主張する人々は,[xvii] 全てが運動するよりむしろ静止していると主張することになる.というのも,[xviii] 何かがそれに変化するところのものがないから.というのも,全てが全てに帰属するから.
(xvi) は SD (「全てが」が補われる).なぜヘラクレイトス説から SD が出るかはここでは説明されていない.
逆に SD の否定から何が出るかを考えよう:
- (20) ¬∀x∀F(Fx∧¬Fx). i.e.,
- (21a) ∃z∃F¬(Fz∧¬Fz). ド・モルガン則より
- (21b) ∃z∃F(Fz∨¬Fz).
これは EH に矛盾.∵ EH によれば:
- (22) ¬∃z∃F(Fz),かつ
- (24) ¬∃z∃F(¬Fz).
そして上記引用箇所でさらに SD から ER (extreme rest or changelessness) が出る.これは含意に関わる論理的な (logical) 議論; 実際にはこれとは別に,EH→SD と SD→ER の議論の間で,ヘラクレイトス説の前提の正しさに関わる多くの異論が提示されている.
- 1010a15-25: (16') 批判.
- 1010a25-32: (15)/(15*) 批判.
- 1010a32-5: その補強.
最後に SD→ER の議論を見る.SD は以下を含意する:
- (29) ∀x∀F(Fx).
だが:
- (30) ∀x(x が変化しうる → ∃F(¬Fx ∧ x は F に変化する)).
だが (29) より:
- (31) ¬∃F(¬Fx).
これと (30) より:
- (32) ∀x(x は変化しえない).
5. アリストテレスのプロタゴラス・ヘラクレイトス表象についての所見
アリストテレスの議論の健全性には疑問がある.プロタゴラス・ヘラクレイトスの特徴づけは誇張しすぎと思われている.これらの特徴づけは Tht. から来ている.しかし Tht. からの単純な借用ではなく,より厳密な論理的扱いを反映している.
まずアリストテレスはプロタゴラスとヘラクレイトスを別々に批判している.Tht. 152c-e の秘密の教説のような両者の関連付けは見られない.
また秘密の教説は (Wedin の解釈では)「a に F と現れ b に F* (Fの反対) と現れる」ことがいかにして可能かという謎への解決として導入されている.だがここでは問題はむしろ ¬PNC の回避である.他方アリストテレスは PT と SD に「論理的」つながりを見出している.
ヘラクレイトス説に関してもアリストテレスがより論理的なアプローチを行っていることを示すことができる.EH は Tht. の Extended Flux (Burnyeat) に対応する.プラトンによれば,ヘラクレイトス説の主張は (a) ∀があらゆる仕方で運動する.それゆえ (b) 何かが白くなるとさえ言えない (白さ自体があまりに不安定になる).(a) は (15*)/(17') に対応しており,この点アリストテレスはおそらく Tht. に負っている.他方 (b) は 1010a35-b1 に響いているように見えるかもしれないが,そうではない (そもそも別の論点).プラトンが形而上学的論点を挙げるのに対し,アリストテレスは論理的論点を強調している.この限りでアリストテレスは,おそらく,歴史的に誤った表し方をしているという批判をかわすこともできる.