プラトンとアリストテレスのプロタゴラス理解は本質的に一致している Zilioli (2013) "Protagoras through Plato and Aristotle"

  • Ugo Zilioli (2013) "Protagoras through Plato and Aristotle: A Case for the Philosophical Significance of Ancient Relativism" Johannes M. van Obhuijsen, Marlein van Raalte & Peter Stork (eds.) Protagoras of Abdera: The Man, His Measure, Brill, 233-258.

Tht. 第一部の議論を解釈し,そこでの存在論的側面と認識論的側面の不可分性を示して哲学的意義を査定する.次いで相対主義の内容について Γ5-6 がプラトンと (通説に反して) 同じ見解を共有していることを示す.

1. 相対主義

相対主義」が指すものは多様である.McFarlane は,意味と指示の相対主義的見解が,二人の人が対立する趣味の主張を行う状況で有意味だと論じる.彼や Kölbel は文の使用と評価の文脈の区別を通じて真理の相対主義的見解を擁護する.だが,プロタゴラスTht. で擁護するヴァージョンの解明に役立つのは,そうした認識論的相対主義とは別の相対主義である.Margolis 1991 は,整合的な相対主義は認識論的側面と存在論的側面の組み合わせでなければならないと論じた.すなわち,(真理の本性についての) 真理的テーゼ,(真理と知識の諸条件についての) 認識論的テーゼ,(世界の構造についての) 存在論的テーゼの三つ組として捉えると,Swoyer (や McFarlane, Kölbel) の相対主義より強力な立場になる (整合的で非自己論駁的になる).

Margolis の論の詳細はさておき,こうした三つ組で捉える発想は今日のような専門分化を見ないギリシャ哲学にむしろ典型的である.それゆえこの定義を Tht. や Γ 解釈の作業仮説とする.

2. 『テアイテトス』におけるプロタゴラス相対主義

Tht.プロタゴラスは第一定義に等しい議論をした者として導入される.冷たい風の議論から,第一に,知覚対象は知覚者に相対的だとされる: 同じ対象はある人には冷たく,別の人には熱くありうる (知覚相対主義).さらに,対象のあり方 (being or not being),存在論的地位も知覚者に相対的である (存在論相対主義.152c2-5).プロタゴラス説の特徴をなしているのは後者の存在論相対主義である.この点でプロタゴラスプラトンはもっともはっきり対立している1.従来のほとんどの解釈者たちは存在論相対主義を無視していたためにプロタゴラスにナイーヴな立場を帰属してしまっていた2

3. プロタゴラスの秘密の教説

秘密の教説は,何ものもそれ自体で一つではないというテーゼ (存在論的不確定性) と,全てが生成するというテーゼ (流動説) のアマルガムである (Lee).いずれにせよ形而上学的主張である.これらを用いてプラトンは知覚理論を組み立てる (153dff.).中核にあるのは知覚が私的 (ἴδιον) だという見解である.

秘密の教説は伝統的には流動説において相対主義と結びつくものと解されてきた (解釈A).だが,むしろ存在論的不確定性において結びつくと理解することもできる (解釈B).Tht. の論脈をよく確認すると解釈Bのほうが優れているとわかる (Zilioli 2007).また解釈Bは Crat. やセクストス (PH 1.216-219) のプロタゴラス理解とも平仄が合う.

次にアリストテレスプロタゴラス相対主義理解を論じる.アリストテレスプラトンの扱いには乖離はないと示す.

4. アリストテレスプロタゴラス・無矛盾律

Γ では PNC の三つのヴァージョンが提示される: 形而上学的・存在論的 PNC1, 認識論的 PNC2, 論理的 PNC3. アリストテレスは特に PNC1 に,そして結果として PNC2 に,関心を寄せている.もののあり方が私たちの話し方に反映される限りで PNC3 の議論も出てくる.アリストテレスの PNC 擁護論は,PNC 否定論者の哲学的見解を不整合として退ける戦略を採る.対立する見解としてアリストテレスが同定するのは現れ主義 (phenomenalism; 全ての現れと意見が真である) と相対主義 (全ての現れと意見がそれをもつ人にとって真である) の二つである.これらをアリストテレスは主に形而上学的・認識論的見解として扱う.したがって彼の議論は主に PNC1, 2 の擁護であり,彼の見解も形而上学的・認識論的見解である.

プロタゴラス説は Γ5 冒頭で現れ主義と同定され,これと ¬PNC の同値性が示される.これは Tht. の標準的 Burnyeat 解釈からすると驚きである.この標準解釈からすると,古代の議論は相対主義と現象主義について二つの選択肢を提示しているように見える (cf. Notomi (2013)).だが,私の解釈では,これらの選択肢は一つに収斂する.現象主義は不可避的に相対主義に至るからだ.これが Γ6 の戦略である.

5. アリストテレス形而上学』における対立する現れからの論証

アリストテレスは現れ主義者が (a) 全ての現れが真だ,と考えるのは (b) 存在するものは知覚可能であり,知識とは知覚である,と考えているからだとする.第一にこの点で明示的に Γ は Tht. と結びつく.

第二に (c) 対立する現れの論証も Γ と Tht. を結びつける (1009a38-b11).(b) を支持するには (a) だけでは充分ではなく,(c) を必要とする.知覚の権威という論点は Tht. でも強調される (152c5-6).また狂気/正気,健康/病気の区別しがたさの論点は Tht. の夢論証が並行的 (158a9-d7).個々人のなかでの感覚の多様性の論点は 156a6-7 で秘密の教説の支持に用いられる.多数派からの論証のみアリストテレスプラトンで使い方が異なる (cf. Tht. 170c2ff.).

このようにアリストテレスプラトンのヴァージョンの議論に大きく依拠している.ゆえに,アリストテレスプラトンと全然違う仕方で (つまり相対主義者でなく現れ主義者として) プロタゴラスを描いているというのは尤もらしくない.

6. 現れ主義と相対主義の根源: 相対主義

Γ6 は夢論証への反論から始まり,次いで相対主義を現れ主義の源泉として特定する (1011a17-24).まず存在論相対主義を扱う形而上学的議論であることに注意が必要である.そしてそれをもとに,PNC に係るのと同様の留保を要求して,現れ主義者を完全な相対主義者にする認識論的議論を行う.

Γ6 の後の方で,アリストテレスは次のように論じる: "καὶ ὥσπερ δὴ πρότερον εἴρηται, ἀνάγκη πρός τι ποιεῖν ἅπαντα καὶ πρὸς δόξαν καὶ αἴσθησιν, ὥστ᾽ οὔτε γέγονεν οὔτ᾽ ἔσται οὐθὲν μηθενὸς προδοξάσαντος. εἰ δὲ γέγονεν ἢ ἔσται, δῆλον ὅτι οὐκ ἂν εἴη ἅπαντα πρὸς δόξαν" (1011b4-7). アレクサンドロスの注解が明らかにするように,ここでアリストテレス相対主義を観念論・反実在論として捉えている.1010b30-1011a2 で対象を知覚に先行させる理論によって現れ主義を批判するのも,やはり反実在論として捉えているからである.

要するにアリストテレスは,現れ主義が相対主義に至る理由を,観念論・反実在論という共通の根をもつことに見ている.現れ主義について熟考するなら,相対主義が現れ主義に典型的な哲学的特徴をもっともよく備えていることがわかる.対象と知覚者は現れ主義の文脈では相関的であるからだ.

7. プラトンアリストテレスプロタゴラス説について同一の見解を共有している

アリストテレスプロタゴラスプラトンプロタゴラスに帰した全ての哲学的特徴を備えている.

  1. 知覚理論 (知識 = 感覚説).
  2. 対象と知覚者の相関性が中心的位置を占めること.これには観念論的含意がある.
  3. 存在論的不確定性の支持.

またアリストテレスも流動説を考察している (1010a7-b1).アリストテレスは現れ主義3と流動説が両立不能だとする.現れ主義は (存在論的不確定性に近い4) アナクサゴラス説に近づくからである.

というわけで,Γ はプロタゴラス相対主義として特徴づけており,Tht. と同一の基本的諸特徴を帰属している.さらに Γ4 から並行性を見て取ることもありえよう (Gottlieb 1994): Tht.プロタゴラス説を相対主義と同定し,流動説が言語を不可能にする点の指摘で終わる.Γ では PNC の否定が言語を不可能にする点の指摘で始まりプロタゴラス相対主義と同定して終わる.

このように理解するとき,プロタゴラスに帰されるのは Margolis の頑健な相対主義の古代ヴァージョンである.そのように理解したときに生じる哲学的諸問題については別稿に譲る.


  1. “For Plato, it can be said summarily that things have a determinate and immutable essence …”. もちろん Reading A を採ればこういう話にはならないだろう.

  2. これは本当だろうか.原注15: See, e.g., Burnyeat 1990, 10-14.

  3. “maintaining simultaneously that things are and are not [i.e. phenomenalism, the view initially ascribed to Protagoras by Aristotle]”. やや大ざっぱ.

  4. 「一つでない」に力点を置く限りの不確定性.Lee はこれと πρὸς ἄλληλα かどうかを区別しており,そのほうが明確だろう.