功利主義とリベラリズム キムリッカ『現代政治理論』1-3章
- W. キムリッカ (2005)『現代政治理論』千葉眞・岡崎晴輝ほか訳,日本経済評論社.
- 1-3章 (1-148頁).
Will Kymlicka (2002) Contemporary Political Philosophy, 2nd ed., OUP.
第1章 序説
1. 本書の課題
- 伝統的見地では,諸政治原理は左派 (平等) - 右派 (自由) という線上に位置づけられてきた.
- 今ではこの視座は狭隘であると見なされるようになってきている (e.g., フェミニズムやコミュニタリアニズム).
- しかし,そうした諸価値がそれぞれに究極的で調停不可能だという想定は概して維持されている.
- しかし,ドゥオーキンがこれへの対案を出している.いわく:
- 今日の有力な政治理論はどれも平等という同一の究極的価値を付帯している.
- つまり,人々を平等者として扱うという理念が基礎にある.その上で,左派は所得・富の平等を,右派は労働・財産への平等な権利を前提条件と考える.
- 本書はこれに従う.これによって諸理論の比較・調停が可能になる.
2. 方法に関する注釈
- 公的責任 (政治哲学の研究対象) と私的責任の線引きは,より深い道徳的原理に訴えてなされる必要がある (ノージック.政治哲学と道徳哲学の連続性).
- 関連して,公的責任の説明は,私的責任の基礎となる道徳的枠組みと適合する必要がある.
- 政治哲学の議論がうまくいっているかどうかの試金石は,熟慮された確信 (= 直観) との整合性である.
第2章 功利主義
1. 二つの魅力
- 功利主義の魅力は二つある.
- いずれも正しい直観であり,対抗見解も両者をうまく説明する必要がある.
- 功利主義は以下の二つの部分に分けられる.順に検討する.
- 「効用」とは何かの説明,
- 効用の平等な顧慮と最大化という指示.
2. 効用の定義
- 効用の定義には少なくとも4つの立場がある.〔順に洗練されていく.〕
- 福祉快楽主義: 善は快楽の経験や感覚である.
- これは直観に反する (麻薬を注入する機械に一生縛り付けられるのは嫌だろう).
- 善とは価値ある精神状態を得ることである (福祉快楽主義の一般化).
- これも同様の批判に服する (ノージックの経験機械).
- 効用の増大とは選好の充足である.
- だが選好とは善についての予想にすぎない (だから後悔も起きる).
- 関連して,自由社会の市民が抑圧社会ほど選好を充足しないこともありうる (適応的選好).
- 効用の増大とは「合理的な」「情報に基づいた」選好の充足である.
- これは原理的に正しいが曖昧で適用が難しい.
- 合理的選好をどうやって知るのか.また,それが一通りとは限らないのではないか.
- (また経験されない選好が入ることになり (ヘア),不思議な帰結が生じる (死者の選好が効用計算に入るなど).)
- とはいえ,これは道徳的決定一般の問題であり,功利主義だけの問題ではない.
- 人間間で効用をどう比較するのかという問題もある.
- だがこれについては,直接的な最大化ではなく,多目的財の最大化という「資源主義的」解決策がある.リベラルな正義論は概ねこれを採る.
- これは原理的に正しいが曖昧で適用が難しい.
- というわけで,効用の定義自体は功利主義の弱点とはならない.
3. 効用の最大化
- 功利主義は,どこで・どのように効用を最大化すべきかでバージョンが分かれる.
- どのバージョンも共通の欠点を有している.そのことを包括的功利主義によって例解する.
- その際,功利主義に基づく行為者をU行為者と呼ぶことにする.
- 問題は二つある: (1) 特別な義務の除外,(2) 不当な選好の算入.
- 両者は実は同じ欠点に由来する.
- (1) U行為者には (約束・債務・家族・政治的主義・仕事 etc. への) 誠実なコミットメントができず,したがって「自分自身の人生を生きる」ことができない (ウィリアムズ).
- (2) 不公正な選好 (e.g., 差別的な選好) を不公正だという理由で排除できない.
- 規則功利主義を採用して「人権は効用の最大化に資する」と述べても根本的な解決にはならない (義務の承認を効用の最大化に従属させているため).
- 言い換えれば,不正な選好を効用計算の入力に入れているのがそもそもおかしい.
- 「意思決定をする際には非功利主義的であったほうがむしろ効用を最大化する」(間接的功利主義) と応じても,問題は残る.
4. 効用最大化の二つの論拠
- 解釈1: 各人の選好を等しく重視することで,人々を平等者として処遇できる1.
- 正 (right) は平等な処遇で,そこから善の最大化が帰結する.
- 解釈2: 価値の最大化が第一義的目的である (ロールズの解釈.目的論的功利主義).
- 正 (right) は善の最大化で,そこから平等な処遇が帰結する.
- 後者の解釈は功利主義の持つ世俗性という〔先述の〕美点を欠いている.
- 前者の解釈の場合,功利主義は平等主義的観点から評価される:
5. 平等の不適切な構想
- 功利主義は平等な顧慮を適切に説明できない.道徳的重要性を持つ選好は一部だけだからだ.
- 選好は個人的選好と外的選好 (他人の利用する財・資源・機会に関する選好) に分かれる.全員を平等者として処遇すべきなら,後者は算入すべきでない.
- また,公正な取り分以上を欲する利己的選好も算入すべきでない.
- 利己的選好の扱いについてはマッキー対ヘアの論争がある.
- マッキーによれば,他の人々に公正な取り分がある限り,当初私に割り当てられた資源は私のものである.一方ヘアの考えでは,いつでも資源の再分配が正当になる.
- 要するに: 功利主義は選好の形成自体に平等の顧慮を入れず,平等の顧慮の中に「何が正当に属するか」(特別なコミットメント) の顧慮を入れない点で誤っている3.
6. 功利主義の政治
- かつての功利主義はラディカルな社会批判に用いられたが,現在ではむしろ保守的である.理由は二つある.
- 現実への効用原理の適用の難しさが認められてきたこと.
- 昔は少数のエリートを利する社会構造が問題だったのに対して,現在はむしろ少数派の抑圧が問題になっていること.
第3章 リベラルな平等
1. ロールズのプロジェクト
- では,人々にどんな権利や自由を保障すべきなのか.
- ロールズは功利主義を批判するとともに,それと反対の直観主義 (還元不可能な準則の寄せ集め) も批判し,諸直観を比較考量する基準が必要だと説く.
- ロールズの解答は次の通り.
- 正義の一般構想:「すべての社会的な基本財−−自由や機会,所得や富,自尊心の基盤−−は,その一部ないしは全部を不平等に分配することが最も恵まれない人々の利益にならないかぎり,平等に分配されなければならない」.
- つまり,不平等は,平等な取り分を改善するなら許容されるが,侵害するなら容認されない (↔ 功利主義).
- これに加えて財の優先順位を設定する必要がある:
- 正義の特殊構想:
- 第一原理: 各人は,すべての人々にとっての同様な自由の体系と両立しうる最大限の基本的自由への平等な権利を持たなければならない.
- 第二原理 (格差原理): 社会的・経済的不平等は,次の二つの条件を満たすように配置されなければならない.
- (a) 最も恵まれない人々の最大限の利益となるように,そして
- (b) 公正な機会の均等という条件の下ですべてのひとに開かれた職務や地位にのみともなうように.
- 第一の優先順位の規則 (自由の優先): 正義の諸原理は,辞書的順位において配列されなければならない〔...〕.
- 第二の優先順位の規則 (効率性や福祉に対する正義の優先): 正義の第二原理は,効率性の原理や,利益の総和の最大化という原理よりも辞書的に優先する.そして公正な機会均等は,格差原理に優先する.
- 正義の一般構想:「すべての社会的な基本財−−自由や機会,所得や富,自尊心の基盤−−は,その一部ないしは全部を不平等に分配することが最も恵まれない人々の利益にならないかぎり,平等に分配されなければならない」.
- ここで問題とされる「自由」とは市民的・政治的権利のこと.
- 論争の的になってきたのは格差原理である.
- ロールズの論拠は二つ.(1) 機会均等理念との対比,(2) 社会契約論.
2. 機会均等の直観的根拠
- われわれの社会の経済的分配は一般に「機会均等」理念によって正当化される.社会的な機会均等がある場合,人々の運命は置かれた状況ではなく選択によって決定されるため,不平等も公正だとされる.
- ロールズ (やドゥオーキン) はこの見解を批判する: 機会均等論は,先天的不平等も社会的不平等と同じくらい道徳的に恣意的な要因であることを無視している.
- これに対処する方法としてロールズが持ち出すのが格差原理である.
3. 社会契約論的論拠
- とはいえ,ロールズによれば,以上は正義の構想の真の論拠ではない.真の論拠は社会契約論に基づくものだ.
- 社会契約論は通常説得力に乏しいと思われている.歴史上存在しない仮説的契約から義務を引き出すことはできないからだ (ドゥオーキン).
- しかし社会契約の観念には別の解釈もある.すなわち,道徳的平等という理念の具現化 (含意を引き出す装置) である.
- 含意としては,先天的従属関係の否定,権力が信託に基づくこと,などがある.
- ロールズは古典的社会契約論の一般化・抽象化を目指す: 通常の自然状態から修正して,先天的利益を利用できない (無知のヴェールに覆われた) 原初状態を想定する.
- したがってこの議論は,平等をうまく説明できているか (原理が公正なものになるか) から評価される必要がある.
- 正義の原理は原初状態でどう選択されるのか.
- 人々はみなある善き生の理想にコミットしている.その追求に必要になるのが基本財である.基本財には社会的なものと先天的なものがある.
- 原理の選択に際しては,獲得できる社会的基本財の最大化が目指される.
- ロールズによれば,その場合に合理的になるのが「マキシミン」戦略 (最低の立場で獲得するものの最大化) である.
- ただし,「マキシミン」戦略の合理性には批判もある.
- だがそもそも,直観論と契約論は実は独立したものではない.
- 原初状態のある記述を受け入れる根拠は,それが直観的に受容可能な原理をもたらすことだ.実際ロールズは,ある直観を支持するために原初状態を修正することも認めている.
- だから,契約論はロールズが言うほど強力ではない: 複数の正義論が複数の原初状態を描いているとき,一方が自身の原初状態の記述に訴えて自己弁護することはできない.
- とはいえ契約論は全く無駄でもない: 原初状態の想定は我々の理念を鮮明にし,直観の帰結を明示し,対立する直観の検証を可能にする.(もっとも契約論はこれを達成する唯一の手段ではない.)
- したがって,ロールズを批判するには,直観に異議を唱えるか,格差原理が直観を忠実に具現化していないと言う必要がある.後者に関しては:
4. 資源の平等をめぐるドゥオーキンの議論
- ドゥオーキンは,格差原理とは別の分配体系のほうが「意欲を反映しやすく」「資質を反映しにくい」という目標を達成できると考える.彼の理論は以下のような直観的理念からなる.
- オークション.先天的才能を同じだと仮定して,あらゆる社会的資源をオークションにかける.参加者は等しい購買資源を用いて入札する.オークションがうまくいけば,人々は自分自身の財を最も選好することになる (羨望の基準).
- これにより,道徳的平等の尊重・恣意性の軽減・選択への責任という三点が達成される.
- 保険機構.実際には先天的不利益は無視できない.だが,これを可能な限り平等化すると,人々の手に資源が全く残らなくなる可能性もある.そこで,無知のヴェールのもとで,資源の何パーセントを保険料として支払うかを訊ねることにする.その積立金の総額が補償に当てられる.
- これは完全な平等化ではないが,公正な意思決定手続きに基づく次善の策である.
- 課税.以上の理論は現実には何を要求するのか.
- 実際の税制度は,二つの理由から,保険機構の模倣にしかなりえない: (1) 格差が才能と選択のどちらをどの程度反映しているのかは測定できない.(2) 予測不可能なコストを上記の保険機構は補償できない.
- 〔現実には〕意欲を反映しやすい分配と資質を反映しにくい分配にはトレードオフ関係がある.
- したがって,ドゥオーキンの理論をそのまま制度化することはできない.
- とはいえドゥオーキンによれば,彼の理論は明らかに不正な分配を除外するのには役立つ.
- 実際の税制度は,二つの理由から,保険機構の模倣にしかなりえない: (1) 格差が才能と選択のどちらをどの程度反映しているのかは測定できない.(2) 予測不可能なコストを上記の保険機構は補償できない.
- ドゥオーキン自身の処方箋は事後的矯正を焦点とする点で保守的である.ドゥオーキン理論をもとに事前の平等を達成するより革新的な手法として,以下が提案されている.
- 掛け金保有者の社会 (アッカーマン).高校卒業時に「掛け金」8万ドルを与える.
- 基礎所得 (パリジス).年5千ドルの基礎所得を無条件に保障する.
- 補正的教育 (ローマー).貧しい家庭・地域の出身者への教育に「補正的に」投資する.
- 平等主義的設計者 (ローマー).状況的要因 (年齢・性別・人種・障害・階級・親の教育水準) に基づいて社会を「類型」(集団) に分け,類型内部の不平等を容認しつつ,類型を越えた不平等を是正する.
5. リベラルな平等の政治
- 70年代に登場したロールズやドゥオーキンの理論は,50-60年代に台頭した福祉国家を理解する枠組みを提供した.
- すなわち,従来自由市場と計画経済の単なる妥協点とみなされてきたリベラルの立場に,洗練された説明を与えた.
- だが,リベラルな平等主義と福祉国家の結びつきは,もはや自明ではない.
- リベラルな原理には従来考えられている以上にラディカルな含意がある.ジェンダー関係もその一つである.
- 以降の諸章ではラディカルな理論家がリベラルな原理を採用すべき理由を論じる.