リバタリアニズム,マルクス主義 キムリッカ『現代政治理論』4-5章

  • W. キムリッカ (2005)『現代政治理論』千葉眞・岡崎晴輝ほか訳,日本経済評論社
    • 4-5章 (150-300頁).

第4章 リバタリアニズム

4.1 右派政治理論の多様性

  • 自由市場擁護・再分配反対の右派理論は色々ある.
    • 論拠として資本主義の生産性を挙げるもの,専制の危険の最小化を挙げるもの (Hayek) などがある.
    • だがリバタリアニズムは,こうした状況依存的・道具的擁護論とは異なり,自由市場が本質的に正しいと論じる.
  • ノージック権原理論 (entitlement theory): 公正な分配とは自由な交換から帰結する分配である.課税が正当なのは,自由交換システムの保護に必要な限りにおいてである (最小国家).
    • 権原理論は3つの原理からなる:
      1. 移転の原理: 正当に獲得されたものはすべて自由に移転できる.
      2. 正当な原初的所得の原理: 1 の原理に従って移転される財を,原初的には人々がどのように獲得するのかの説明.
      3. 不正の矯正の原理: 不正に獲得・移転された所有物をどのように取り扱うかの説明.
    • この理論によれば,リベラルな再分配のための課税は不正である.
  • ノージックの議論は,直観的な議論 (§1) とも,「自己所有権」という前提に基づく哲学的議論 (§2) とも解釈できる.
  • またノージックとは別の論拠に基づくリバタリアニズム擁護論もある: 自由権の理念 (§4),相互利益という契約論的観念 (§3).
  • 直観的議論: 分配 D1 が公正で,D1 から D2 に自発的に移行したなら,分配 D2 も正当である (例: 観客からバスケットボール選手への金銭の移転).
    • ノージックによれば,権利の領域は各々の事物に対する特定の権利で充たされており,それに加えて一般的権利が存在する余地はない.
    • このことは自己所有権の原理から導かれる.

4.2 自己所有権の議論

  • ノージックの権利論は,人々を「目的それ自体」として処遇するという原理の一解釈である: 各個人は平等に目的であり,各個人の同意なしに他人の目的のために犠牲にされるべきではない.
  • この点で,一方でロールズノージックは連続的である: 個人の権利は効用計算に従属しない (功利主義批判).
  • 他方で,ロールズノージックでは権利の内実が異なる: ロールズの場合は社会的資源の取り分.ノージックの場合は「自己所有」を構成する権利.
    • ノージックは両者が相容れないと考えている.他人が自分の才能の産物に権利要求を行える場合,ひとは自分の才能を所有できていない.
    • そして,そうした自己所有権が,平等者としての処遇に決定的に重要である.
  • ノージックに対する批判は大きく二つある:
  • 自己所有権が財産所有権を生む仕方の問題.
    • 市場の交換には,力の行使以外に,物への法的権利が関係する.したがって,正当な移転の問題に先立って,外的資源の原初的取得が問題になる.
    • 原初的所得が暴力行使による場合,それは不当であり,現在の権原も不当である.その場合,再分配に反対する理由はなくなってしまう.
      • ノージックはこれを認め,ロールズの格差原理による全般的再分配を一度行うことで不当性を矯正できると示唆する.
  • ほとんどの原初的取得が実際に不当であるというのとは別に,では取得はいかにして正当に生じうるのか,を説明する必要がある.
    • ノージックはロックの回答に依拠する (「ロック的但し書き」): 全体として同等かそれ以上の暮らしの状態を他者に残す限り,占有は許される.
      • 例: 17世紀の囲い込みは「共有地の悲劇」の回避策となるため,無産者を含む全員の状態を改善する.
    • だが,ノージックの「他人の状態を悪くしない」の解釈には批判がある: (a) 物質的福祉の観点から規定している,(b) 占有以前の状態を比較の基準にしている.
      1. 占有者 (囲い込み主体) は,共用の土地を一方的に占有し,雇用条件を押し付けることになる.つまり非占有者の自律性を無視している.
      2. ロック的但し書きは,(占有の機会を均等化するといった) 多くの代替案を無視している.公正な原初的所得に関する多くの基準は,不平等かつ無制限の所有権を正当化しない.
    • また,「世界が最初は未所有である」という前提にも,異論の余地がある.世界が共同所有されているという説明も可能である.その場合,やはり自己所有権の非平等主義的含意は否定されると思われる.
    • このように,自己所有権の原理と両立する多様な説明が,外的世界の道徳的地位について可能である.現に「左派リバタリアニズム」の伝統はそうした選択肢を認めてきた.
  • 自己所有権保有者たちが,リベラルな平等主義の体制より,リバタリアンな体制を好むとする議論は三つありうる: (1) 同意,(2) 自己決定の理念,(3) 尊厳.
    • 「人々は実際にリバタリアンな体制に同意するだろう」という議論.
      • だが,これは先述の理由から疑わしい.
    • 自己所有権は,リベラルな体制では純粋に形式的なものになるが,リバタリアンな体制では実質的なものになる.「他者の要求に拘束されない明確な領域」(Fried 1983) としての自己決定が可能になるからである」.
    • 「私の才能の産物に他者が権利要求を行いうるという考えは,私の尊厳の侵害である」.
      • だが,全員が自己決定能力を持てるようにするリベラルな体制のほうが,尊厳を促進する.
      • かつ,何かに尊厳が侵害されると感じるのは,その何かが悪いと考えているときだけである.
  • そもそも,リバタリアンな体制が保障する形式的自己所有権より,実質的自己所有権のほうが根本的である.

4.3 相互利益論としてのリバタリアニズム

  • リバタリアニズムは平等な処遇の理論ではなく,相互利益論だという考えがある.
    • 相互利益論は契約論の枠組みを,道徳的義務の展開 (ロールズ) ではなく,道徳的義務の代用物として用いる:「道徳的考案 moral artifice」(ゴティエ).
  • 集合的行為のジレンマを解決するためには,自然的権原を有する行為を制約する (抜け駆けを許さない) 方法が必要である.
    • ゴティエによれば,強制力の執行に依拠するのは不適切である.そうしたシステムがきちんと作るには莫大なコストがかかるからである.
    • むしろ,個々人が自己利益に関する「制約条件付きの最大化」(constrained maximization) を行うなら,ジレンマは克服できる.
  • しかし,この「制約条件付きの最大化」観念の一貫性や心理学的実在性には批判がある.また強制力に依拠しなくてよいかも問題である.
  • かつ,相互利益論的アプローチからリバタリアンな体制 (平等に無制限な財産権) が帰結するかも疑わしい.
    • 相互利益論によれば,無制限な財産権は自己所有の能力の有無に依存する.その上で,「等しく他者からの侵害に脆弱である」という事実上の平等性から権利の平等性が帰結すると論じられる.
      • だが,そうした事実上の平等性があるかは疑わしい.弱者は存在し,相互利益論では不可避的に正義の範囲外に追いやられる.
  • かつ,相互利益論的アプローチがリバタリアニズムを支持するとしても,それは道徳的擁護ではありえない.
  • これとは別に,還元不能な道徳的動機なるものが存在するかどうかが,リベラルな理論と相互利益論 (やその他の理論) のあいだで問題になりうる.

4.4 自由としてのリバタリアニズム

  • 以上とは別に,自由を平等に妥協させることを拒否する理論としてリバタリアニズムを特徴づける見解もある:「無制限の市場にはより多くの自由があり,自由は根本的価値である.ゆえに,自由市場が道徳的に要請される」.
  • 他の理論でも,具体的自由は擁護されてきている.平等主義的理論は,どの具体的自由が重要か,それをどう分配すべきかを問う.相互利益論も同様.
  • リバタリアニズムによる自由の擁護は,自由原理の二つの候補に基づきうる.(1) 社会において (抽象的・総体的) 自由が最大化されねばならない.(2) 他の人々の自由と両立する限り,人々には最大限の自由を手にする権利がある.
    • だが,第一候補は,目的論的功利主義と同様の批判を被る.
    • 第二候補は,最大限の平等な自由を根本的とみなす.占有の権利の有無なども自由の増大いかんに依拠するので,自由そのものは非道徳的に (権利の原理を前提せずに) 定義されねばならない.
      • 自由の非道徳的定義は二つありうる:「中立的」見解 (可能な行為の数え上げ等で純粋に量的に定義する) と「目的志向的」見解 (選択の価値・重要性の評価を加味して測定する).
  • 「中立的」見解には二つ問題がある.
    • 第一に,具体的自由の価値に関する私たちの直観的判断は,中立的量的判断に基づいてはいない.
      • 例えば,交通信号を無視する自由と宗教的実践の自由は等価値ではない.
    • 第二に,そもそも有効な尺度が存在しないかもしれない.
  • 「目的志向的」見解の問題は,自由の多寡の考慮が全く余分になり,混乱のもとにしかならない点である.特定の具体的自由だけを考慮すればよく,単一の自由なるものの考慮は不要である.
  • よく言われる自由と自由市場の結びつきは自明ではない.自由市場で自由である主体は資産所有者に限られるからだ.福祉国家が行うのは自由の除去ではなく再分配である.
    • また,ノージックの擁護する交換システムも,国家の強制力を前提している.
    • リバタリアンは,自由市場は「不自由を作り出さない」のだと述べる.
      • だがこの主張は,自由の道徳的定義にスライドした結果にほかならない.福祉国家批判では自由の非道徳的定義を用いているので,この立論は首尾一貫性を欠いている.
  • 以上に見られる失敗は,自由という単一のカテゴリーを基底に据えるという発想自体が混乱していることを示唆する.問題なのは個々の具体的自由なのである.

4.5 リバタリアニズムの政治

  • リバタリアニズムの人気は,「先天的資質の平等化を徹底すると,人格の侵害にまで至るのではないか」という,一種の滑り坂論法に存する.
  • とはいえ実は,リバタリアニズムは保守派においてさえ大きな影響を持ってはいない.
    • 不平等な状況の是正の望ましさ自体は左派も右派も原理的には認めている.
    • 1980年代以降の福祉国家の見直しは,むしろ,福祉国家の能力や是正すべき不平等の大きさに関する経験的問題にかかわっている.

第5章 マルクス主義

  • リベラルな平等主義は正義の説明について社会主義思想の一部の潮流と合致している.だが,マルクス主義はこれと相反する.
  • 近年の英米圏ではマルクスの洞察の再定式化が興隆している (分析的マルクス主義).
  • 分析的マルクス主義のリベラル批判には二つの潮流がある: 正義の理念自体に反対する潮流 (§1),正義を重視しつつも正義が私的所有と両立しないと論じる潮流 (§2).

5.1 正義の彼岸としての共産主義

  • マルクス主義はいくつかの点で正義論を批判する.
    • 第一にマルクスは「平等な権利」という理念を斥ける.関連する観点を予め規定できないと考えるからだ.
      • だが,分配の決定を完全に避けるのでなければ,権利の一覧表を作るという作業は避けられないだろう.
    • 第二に,「公正な分配」の理論は,生産に焦点を合わせていない,という論点もある.
  • これらより重要な論点は,正義という矯正的徳性は真に善き共同体には必要ない,というものだ.
    • マルクス主義によれば,正義が相応しいのは,正義の原理でしか解決できない対立 (「正義の状況」) があるときだけだ.
      • 正義の状況は,(1) 目標の対立,(2) 資源の稀少性から特徴づけられる.
    • しかし,(1) 目標が一致していても,利害が一致するとは限らない.また目標の対立は多様性という価値あるものの必然的帰結かもしれない.
    • そして,(2) ある種の資源には本質的な限度がある.
    • さらにそもそも,正義は単なる矯正的徳性ではなく,個人の尊厳を表明するものである.
  • マルクスによる正義の否定は,権利・寛容・民主主義といったリベラリズムの基礎カテゴリー全般を捨て去るより広いパターンの一部である.だが,現代の分析的マルクス主義はこれらの必要性を認めている.

5.2 共産主義的正義

  • マルクス主義的正義の特徴は資源の平等化の (程度ではなく) 形態である: 私的資源の平等な分配ではなく,公的資源への平等なアクセスという形態を求める.
    • その論拠の一つは平等主義的私有財産体制の実行可能性への懐疑論である.
    • だがそれとは別に,多くのマルクス主義者は,私有財産が本質的に不正な賃労働関係をもたらすと考えている.
  • 論拠1: リベラルな体制は労働の売買を容認し,搾取の存続に加担する.
    • 伝統的な推論: 労働だけが価値を創出する.その際,資本家は価値の一部を受け取る.それゆえ,労働者は創出した価値以下の価値しか受け取らない.したがって,労働者は資本家に搾取されている.
      • だが,「労働だけが価値を創出する」という前提は論争的である.しばしば労働価値説が論拠とされてきたが,労働価値説は「現在の」必要な労働量を基準にするため,むしろこの前提と矛盾する.
    • 修正版: 労働者だけが価値を持つ生産物を創出する.(以下同様.)
      • これを不正だと論じるために,マルクス主義者は,労働者が強制を受けているといった但し書きをつける.
    • だが,「剰余労働の強制的移転」という搾取の定義は,過小でも過大でもある.
      • 一方では,強制的でない賃労働が,資源の不平等で不公正なアクセスに基づく可能性もある.
      • 他方では,強制的移転が正当な場合もありうる.すべての資本家が (徒弟制的に) 労働者から出発する場合,そこに不平等は存在しない.
    • 剰余労働の強制的移転を一律で非難するのは,自己所有に対するリバタリアン的関心を露呈する振る舞いである.
      • 実際には,剰余価値を必要とするのは,(例えば病弱な) 資本家かもしれないし,(生産物を必要とする) 子供などの第三者かもしれない.
    • また,搾取理論は,労働を売らないよう強制されている人々 (e.g., 多くの国々における既婚女性) を,搾取の受益者と見なしてしまう.
  • こうした問題を受けて,ローマーは,搾取を生産手段への不平等なアクセスとの関連で再定義する.
    • ローマーは,「分配的平等」という状況 (自分の労働と外的資源の取り分を持って撤退した状況) で暮らし向きが良くなる場合に,それを搾取と呼ぶ.
      • つまり,搾取のなかで不正な不平等分配だけを悪とみなす.
      • だが,この理論によっても,病弱な人々や子供への強制的支援は正当化できない.
      • アーネソンの同様の理論は才能の不平等から生じる格差も考慮に入れている.
  • ローマーやアーネソンの議論には説得力がある.しかし,これは元々のマルクス主義の搾取論からは乖離している.
    • 第一に,搾取の観念は分配的不平等という一般的原理から引き出されている.つまり搾取はもはや不正のパラダイムではない.
    • 第二に,彼らの正義論は,労働者の不可侵の権原といったものに訴えない点でロールズの正義論に近づいている.
    • 第三に,賃労働の本質的な不正さという,元々の搾取理論の存在理由をなす主張を放棄している.
      • したがって,生産手段の社会化も直接正当化する議論になっていない.
  • 論拠2: マルクスは,共産主義的分配が「各人には各人の必要に応じて」という原理に基づくと述べた.
    • マルクス自身はこれを稀少性が解消された事態の単なる記述と考えていた.だが現代のマルクス主義者は必要原理を分配原理として援用している.
      • だが,「必要」を最低限の物質的必需品ということで理解するなら,この原理はあまり魅力的ではない.
      • 他方で,より広く解釈すると,この原理は資源分配の指針をほとんど与えてくれない.
    • マルクス主義者の中には,「人々の選択は物質的・文化的状況の産物であり,人々はそれに責任を負っていない」と論じる者もいる.
      • だが,これは民主主義へのコミットメントと矛盾するうえ,贅沢な嗜好への補助をも要求することになりかねない.
  • 論拠3: マルクスの資本主義批判は,搾取への「カント主義的」関心とは別に,疎外への「完成主義的」関心にも訴えている: 資源の分配は,「人間固有の潜在能力や卓越性の実現」を奨励するものでなければならない.
    • マルクス主義者によれば,賃労働の廃止と生産手段の社会化により,労働に目的それ自体としての地位を与えることで,この理想は最もよく促進される.
      • だが,疎外されていない労働が最も重要な善かどうかは不明である.
        • 例えば余暇,消費,人間関係とのトレードオフが生じるかもしれない.
      • マルクス自身は生産が人間の種差だということを論拠にするが,これは根拠になっていない.
        • のみならず,再生産的生活を顧慮しない点で性差別的である.

5.3 社会民主主義と社会正義

  • 20世紀の西洋における社会主義的理想の最も強力な代表者は社会民主主義政党であった.
  • 社会民主主義」とリベラルな「自由民主主義」は,実質的に違いがない場合も多い.だが,幾人かの論者は,以下のような違いを強調している.
    • ミラー: 「個人主義的な」正義の構想が資源の平等な取り分に対する個人の権利要求に関心を寄せるのに対し,「社会的な」正義の構想は平等主義的社会関係の構築に関心を寄せる.
      • ウォルツァー: 呼びかけが「サー」「マダム」でも「おまえ」でもない「紳士の社会」(society of misters).
    • 社会的平等の構想は「正義の領分」(spheres) という理念と結びつく (ウォルツァー).
      • 市場 (「家計簿の細目」) における不平等は不可避である.重要なのは,そうした不平等をそれ以外の正義の領分 (シティズンシップ,教育,ヘルスケア,公的名誉) に影響させないことだ.
  • だが,社会的平等は,リベラルな平等を補完するものともみなせるはずだ.
    • 両者が競合するという社会民主主義者の考えには,次の三つの背景がある.
      • 先天的才能に比例する限りの不平等は不公正ではないという考え.
      • 国家による不平等の是正の能力に対する疑い.(これに基づく場合,社会的平等は一種の妥協点となる.)
      • 非自発的不利益の強制が社会的平等を侵食するという考え (ウルフ; cf. 3.5).
    • これら全ての議論において,社会的平等の要求水準はリベラルな平等より低い.これらの論者は市場における不平等を過小評価している疑いがある.

5.4 マルクス主義の政治

  • マルクス主義が労働の意義を強調するのには,階級闘争に理論的根拠を与えるという意義がある.
  • だが実際の被抑圧集団は労働者に限られない.理論が労働に基づく一方で実践は必要に基づいているところに,マルクス主義の不整合がある.