政治的責務の問題の不適切な諸解答 Simmons (1979) Moral Principles and Political Obligations, Ch.2

  • A. John Simmons (1979) Moral Principles and Political Obligations, Princeton University Press.
    • Chap.2. The problem of political obligation. 29-56.

II.i. 探究の限界

責務と制度的要求に関する前章の説明を踏まえて,政治的責務の問題を論じる.まず論の目標を特定する.以下の四点が重要と思われる.

  1. 直接の実践的帰結を求めないこと
    • 責務の判断と,なすべきことの判断は異なる (I.i): 後者は万事を考慮したものである必要があり,後者をなす上で前者の確定は重要だが十分でない.
    • したがって,本書では革命や不服従の問題は扱わない.
  2. 個人をある特定の政治共同体に束縛する道徳的要求のみを扱うこと (個別性要求 particularity requirement).
    • 「政治的責務」ということで義務を排除はしないが,あらゆる義務を扱うわけではない.
    • 例えば,公正な政府一般に対して私たちが負う義務は扱わない.
    • 一般原則だけから個別的適用は説明できない.
      • 国家との物理的な近さなどを持ち出して説明することもできない: 一ヶ月だけ別の国家に滞在しても,自動的に政治的責務がその国家に移ったりはしない.
      • むしろ,約束,合意,受け入れ,利益の享受などの特定の関係に言及する必要がある.
  3. 政治的責務の根拠がただ一つしかないとは考えないこと
    • Crit. では少なくとも三つの根拠が挙げられている: 国家が善い国家であること,国家が利益を与えること,国家の権威にソクラテスが暗黙の同意を与えてきたこと.
  4. 政治的責務をある集団の全員が負うとは前提しないこと
    • 混乱の例: Locke の暗黙の合意,Tussman の政治的身体全体の責務.

II.ii. 政治的責務と政治的言語

  • 政治的責務の一般性をもっともらしく説明できないのはなぜか.
    • 選択肢: 1) そうした信念は政治的教化の産物である.2) 可能性の探究が不完全である.3) 私たちのプロジェクトに関する基本的な捉え方が間違っている.
      • 以下 3) を扱う.
  • 言語的説明 (Pitkin):「権威」「法」「政府」は (「約束」同様) 文法的・概念的に「責務」と緊密に関連している:「有効な法 (valid law)」「真正の権威 (genuine authority)」「正統政府 (legitimate government)」には,概念的に,服従の責務が伴う.
    • だが実際には,これらの表現をいかなる意味で理解しても,そうした結論は直ちには出てこない.
      • かりに「私たちは真正の権威を有する正統政府に服従する責務がある」が分析的だとしても,それがなぜかを問うことには意味がある.
        • 類比:「磁石は鉄を引きつける」が分析的だとしても,それがなぜかを問うことには意味がある.
  • Pitkin の主張の眼目を,「政治的責務の分析にあたっては,個々人の政治的来歴ではなく政府の道徳的性格に注目すべきだ」というものとして理解できるかもしれない.
    • だが,この主張も間違っている.
      • まず,個別性要求を満たせない.
      • また,政府の性格も結局は個々の市民に対する行為と切り離せないので,個々人の政治的来歴を捨象するのはおかしい.
      • 「政治的来歴より先に政府の良さに注目すべきだ」という主張だとしても,自明に正しいとは言えない.
  • 以下では,過去の行為や出来事に責務の根拠を見出す,「後方参照的 (backward-looking)」・義務論的な伝統的アプローチを採る.
    • だがその前に,「前方参照的」な功利主義アプローチを検討する.

II.iii. 功利主義と政治的責務

  • 以下では功利原理の当否には触れず,功利主義が私たちの求める政治的責務の説明を与えられないとだけ論じる.
    • これは功利主義批判ではない.そもそも政治的責務なるものが存在するかどうかも未決問題だからだ.
  • 古典には政治的責務の功利主義的説明はあまりない.Hume が Treatise III, II と "Of the Original Contract" で素描したくらいである.
    • 古典的功利主義者の主張は,「服従が利益になるときに限り服従すべき」(Bentham) というだけで尽きている.
      • この主張は行為功利主義である.行為功利主義は権利や責務の十分な説明を与えられない: 責務の原理は,二次的原理として功利原理に還元され,単なる経験則になる.また責務の厳格さ (stringency) を説明できない.
        • Rolf Sartorius は単なる経験則でないとして行為功利主義の擁護を試みているが,失敗している.
  • だが,行為功利主義からする規則功利主義の批判 (Lyons, Smart) には説得力がある.だから,規則功利主義から政治的責務を構築する可能性は,ここでは検討しない.
  • Hume の主張を間接功利主義として理解する向きもあるが (e.g., Rawls),むしろ行為功利主義に「よほどのことがない限り,個々の不服従の不利益は正当化されない」という保守的前提を加えたものとして理解すべきである.

II.iv. 成功の基準

  • 以降の章では,「政治的責務の問題」に対する主流のリベラル政治理論の応答を検討する: 契約理論,フェアプレーの原理,「正義の自然的義務」(Rawls),感謝・報恩の原理.
  • 理論の成功の基準は三つある.
    1. 正確 (accurate)」: 義務や責務の原理を擁護できる形で使い,正しく適用していること.
    2. 完全 (complete)」: 現に束縛されている人のみを束縛するものであること.
    3. 十分に一般的 (reasonably general)」: ほとんどの国のほとんどの市民が政治的に束縛されていることを含意すること.