理想化からの逸脱: 推意・前提・種々のスコア Cappelen & Dever (2019) Bad Language, Ch.2

  • Herman Cappelen and Joch Dever (2019) Bad Language, OUP.
    • Chap.2. Three forms of non-ideal language. 13-34.

理想化された言語使用からの比較的軽微な逸脱 (deviousness) を扱う.一定の逸脱はむしろ良いものでもありうる.

2.1 逸脱的意図: 会話上の推意

理想的状況下では話し手はグライスの格率にそのまま従う.だが,より複雑な状況下では,より間接的で逸脱的な方式で従うこともある.例:

アレックス: ワインはいつ取り出せばいい?

ベス: お客さんは7時に来るよ.

この応答は一見して関係の格率に反するが,適切なワインの温度に関する知識のないベスが,アレックスの知識を頼り,量の格率に従って可能な限り関連性のあることを言おうとした結果である.

ベスはそうしたことを明示的に言ってもよかったが,その必要があったわけではない.ベスが関連性のあることを言わんとしていたという想定によって,彼女の真意を探る試みが引き起こされ,そうして関連する情報を持っていないことが間接的に伝わる.グライスは,こうした場合,話し手は格率を無視している (flouting) と言う: 格率の見かけ上の違反によって,格率に沿う内容の探求が聞き手に強いられる.こうした場合,話し手は何ごとかを会話において推意している (conversationally implicates):

会話上の推意: 話し手が p を会話上推意するのは,p を意味するが (p を聞き手に知らせるグライス的なコミュニケーション上の意図を持つが),p と明示的に述べていない (発話された文が p を意味しない) ときである.聞き手は話し手が意味することを,話し手がグライスの格率に従っていると想定し,明言されたことが格率に沿わせるのがどんなコミュニケーション上の意図かを確定することで,把握できる.

2.2 なぜ推意を気にするのか

会話上の推意の逸脱はさまざまな機能を担いうる.

  1. 会話上の推意はコミュニケーションをより簡潔にする (上記のワインの例).またこうした推意は,話し手の負担を減らし,聞き手の負担を増やす.
    • こうしたトレードオフゆえに,会話における力関係を示す効果もある.
    • 例.補佐官:「明日の大使と上院議員の会合は何時に設定しましょう」大統領:「コーヒーの前に図々しいバカに会うのは最悪だね」.
  2. 会話上の推意は文脈に依存する (同じ文が別の文脈では別の意味を持つ).そして,文脈には共通の知識も含まれる.
    • 例.アレックスとベスはよく一緒にマーベル映画を見に行き,かつその前に寿司屋に行くのがならいである.アレックス:「夕食どうする?」ベス:「今夜はインフィニティー・ウォーを見るんじゃん」.
    • このとき,推意は共通の背景に注意を引き,両者の特別な繋がりをしるしづける.
  3. 話し手が推意することは厳密で完全に規定されているとは限らない.
    • 例.アレックス:「今夜のパーティーにはみんな来るよ」.このときアレックスが特定のグループを念頭に置いているとは限らない.
    • このときアレックスの目標はおそらく,パーティーの重要性をベスに伝えることにある.つまり,そもそも会話の眼目が厳密な情報を伝えることにない.
  4. 会話上の推意は以上の例より協調的でない使われ方もする.Camp (2018) の言う「仄めかし」(insinuation) は,コミュニケーション上の意図が顕示的でないために,文句が出たときに否認できる余地を残す発話のカテゴリーである.
    • 例.速度違反で捕まった運転手が,「いま少し急いでいるんです.この場で解決するやり方はありませんかね」と言う場合.これは賄賂の意思を推意するが,そうでないと否認できる余地も残されている.
    • もちろん否認の余地には限度がある.「ほら,オバマのミドルネームはフサインでしょ.なんつって」と言った場合,後に話し手が否認したとしても,依然聞き手の側は,中傷するつもりで「オバマムスリムだ」と述べた人と同様に扱うかもしれない.
    • 仄めかす人は意図が認識的に不透明であるように仕向ける.さらに推意によってわざと誤導する例もある (cf. 3章, Bronson vs. United States).

2.3 逸脱的な意味: 前提

会話上の推意は心理的逸脱の一形式だが,意味における逸脱もある.ある語の意味は他の語より逸脱的である.'Regret' のような前提をもつ語 (presuppositional word) がそうである; regret doing, forget that P, be happy that P のような事実的動詞 (factive verb) は,補語が真であることを前提している.そのほかにも: stop doing (状態変化動詞),the king of France (確定記述), manage to do (推意動詞), It wasn't Alex ... (分裂文), Even Alex ... (加算的小辞).

前提をもつ語は前景的内容と背景的内容とを結びつけ,情報を明示することなく情報をエンコードする.前提が満たされない場合,前提を持つ語の使用は不適切 (inappropriate) だが,偽ではない.

非逸脱的事例においては,前提された情報はすでに場にある (out there).そのとき前提は会話上の推意と同様,言語的労力の節約となりうる.さらに (例えば前提された情報を思い出させることで) 会話の参加者を共通の地盤に並べる (coordinate) 働きもある.それゆえ,前提の最大化がもう一つの格率だと論じられてきた.

しかし前提は逸脱的にも用いられうる.逸脱的だが比較的無害で全く協調的な例もある.例: "We regret that we cannot accept personal checks." これは前提を (逸脱的な仕方で) 知らせる文である.私たちはしばしば前提を飲み込む (accommodate) ことでこれに応える.つまり個人小切手が使えないことに既に同意しているかのように話し,これを共通基盤に据えるのである.

それほど協調的でない例としては,共通基盤にあることを他の参加者が欲しない情報をそこに忍び込ませ,強いるような前提・飲み込みがある.一番荒削りな例は誘導尋問 (loaded question) である:「2013年夏までにはコカインの使用をやめたのですか」.これに直接的に異議を唱えることはできない; 異議を唱えるには前提を前景化してから拒否するという労力のかかるやり方を取る必要がある.

より微妙な例では,前提が異議を唱えにくく気付かれにくいために,異議を唱えられずに済むこともある (例:「健康保険改革案に対する相当の抵抗に我々は直面しているけれども,しかしやはり,少なくとも高齢市民の処方薬価の上限を確保したということは重要だ」.この「少なくとも」は上限設定の重要性を示唆するが,それほど気付かれやすい前提ではない).

もちろん共通基盤に入り込んだからといって私たちが受け入れるわけではないが,しかし共通基盤はその後の会話の方向を定めうる.

2.4 逸脱的スコアボード

教室外では蓄積される情報以外もスコアボードが追跡する必要がある.以下の三例 (質問,命令,ありうること) が,そうした他の要素の変化によって真偽が変化する事例となる.

質問や命令はスコアボードに対して,情報は付け加えないが,それでも何かはしている.スコアボードは大雑把には情報に加えて探究の目標と to-do リストを追跡する.こうした機能は質問と命令の後の話の流れを見るとわかる.例えば:

  • 「昨日警察官と逃亡中の容疑者が揉み合いになった.彼は銃を抜いてその人を撃ち,それからその場を逃げ去った.」

これらの「彼」「その人」は両義的だが,次のような質問への応答だとすると一義的になる:

  • 「逮捕するときに警察官が容疑者に怪我を負わせることなんてある?」

命令も同様.ふつう以下は偽:

  • 「ニワトリを私の頭に置かなきゃいけないな.」

しかしこれは以下の命令の後なら真になる:

  • 「部屋にある一番背の高いものに一番うるさいものを置け!」

これは大まかに言って to-do リストが更新されたからだ.

スコアボードの内容と制御に関する逸脱的な例に移ろう.会話において私たちは何を真剣な可能性として捉えるかを追跡する.Lewis (1979) の例: ばれることが政治的自殺につながるようなことをした政治家が,「私は証拠を隠滅するか,共産主義を止めるためにやったと主張するかしなければならない.分かるだろう」と言う.これに対して私はぶしつけに「もう一つできることがありますよ––全てを公衆の目に晒すことです」と言う.この発言は可能性の境界が不動だとすると偽になるが,実際は偽ではない.この発言は,情報の付加ではなく,可能性の拡張に役立つ.

スコアボード上の関連性のある可能性が解釈に影響を与える言葉としては 'must' が分かりやすい.また反事実的主張の受け入れやすさもこれによって変わる:

アレックス: 2:00 に出れば時間通りに空港に着くよね.

ベス: 渋滞してるかもよ.

アレックス: 確かに.早めに出たほうがいいね––2:00 に出ると時間通りに空港に着かないかも.

さらに,スコアボード中の可能性の変化によって,誰が何を知っているかも変化しうる.(例: アレックスは動物園でシマウマを見ているとする.彼女はそれがシマウマだと知っているが,それはゾウとかキリンであることを排除する証拠がある (それらが関連性のある可能性に含まれていない) からである.しかしベスが「きれいに色を塗ったロバかもよ」と言うと,可能性が追加され,もはやアレックスはそれがシマウマだと知っていないことになる.) 誰が何を知っているかは重要なので,誰がどの程度スコアボードを動かせるのかは重大な問いとなる.

さらに,スコアボード中の可能性は,因果的主張の解釈にも影響しうる.(例: 火が点いた「原因」がマッチか焚き付けかは,マッチがない可能性と焚き付けがない可能性のどちらを関連性のある可能性とみなすかに依存する.) そして,何を原因とみなすかは,私たちが何を変えるかの決定に影響する.つまり政治的重要性を持つ.(例: マケインは2008年の討論会で金融危機の原因をファニー・メイとフレディ・マックに求め,オバマは金融システムの規制緩和に求めた.)

2.5 逸脱的なものから悪いものへ

本章で扱った理想化からの逸脱においては,依然話し手は協調的で,有益な会話の目的を満たそうとしていた.こうした逸脱は,まだ言語哲学者が深く研究してきた範囲に留まっている.つまりまだ「悪い言葉」(bad language) ではない.これに対して,以降の章では,非協調的だったり,悪意があったり,あるいは他の仕方で悪しき意図を持っている話し手の諸形態を扱う.

参考文献と練習問題

〔省略.〕