語の説明規定への置換 Whitaker (1996) Appx.II
- C. W. A. Whitaker (1996) Aristotle's De Interpretatione: Contradiction and Dialectic. Oxford University Press.
- Appendix II. The Substitution of Phrases for Words. 204-208.
案外短いので一つの記事にまとめてしまえばよかった.それにしても Met. だけ見ていてオルガノンへの目配せが疎かになっていたことを痛感する.次の補遺 (APo. II.7-10) はまあ時間があれば読むことにする.
Γ では複数の意味をもつ語の存在が認められ,数が有限なら OK だと論じられた.De Int. 8 でも同様に,隠れた複雑性が語の置換によって明らかにされうる仕方が示された (18a19ff.).
多重の意味表示は言語の重要な特徴とされる (SE).問題を避けるにはこれを明らかにしなければならない.それは語を定義で置き換えることだと思われるかもしれない.だが,定義である必要はない.いずれにせよ,こうした置き換えは Top. では μετάληψις と呼ばれる (112a21f., 149a6).
De Int. ではこの方法が,二つの述語が反対を含むかどうかの決定に用いられる (e.g.,「死んだ人間」).同様に,定義するものが暗黙的に定義に含まれているかどうかを調べるのにも用いられる (Top. 142a34-b6).だが論証においては名辞のほうが簡潔でよい (APr. 49b5).定義中の名辞は可能な限り定義で置き換えられるべきであり (Top. 149a1-3),語はより不明瞭な語で置き換えられるべきではない (149a5-7).
置き換え先は定義とは限らず ἴδια でよい.後者は本質を意味表示しない (103b9f.).ある句が別の句の意味表示を敷衍する (expand) することがありうる (Top. 102a1f.1).なので「人間」に複数の説明規定があるとしても,意味表示が顕わにするのは定義である.
だが全ての語句の意味表示が定義であるわけではない:「山羊鹿」「空虚」などが例外をなす.ゆえに名辞の意味表示の問いは「何であるか」の問いと同一ではない (cf. 補遺III).
それでも「その名辞が何を意味表示するのか」ないし「どれほど多くの仕方で言われるのか」(πολλαχῶς λέγεται;) は使いでがある.Δの諸定義はこれに答えており「何であるか」に答えているわけではない.これらを確定することは思考の不確定性を予防する (De Caelo 280b2ff.).
こうした諸文脈の全てで意味表示に関する見解は一貫している: 全ての語 (名辞,動詞,それらの活用) は意味表示する.ある語は一つのことを意味表示し,他の語はそれ以上である.意味表示されるものは存在することもしないこともある.それらは任意のカテゴリーに属しうる.意味表示は特定の単位において起きる.句は各々の単位を置き換えうるし,名辞が句を置き換えうる.同じものを一意に特定する句は五感的であるが,定義だけが意味表示を説明する.したがって同一の対象を表す諸々の句があるが,それらは異なるアスペクトを取り出す (「明けの明星」「宵の明星」のように).非存在者の場合はやや話がややこしくなる: 意味表示する句が定義ではなくなる.ここに定義を見つける課題に関する問題がある.これを次の補遺で論じる.
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ここで σημαίνειν という語が用いられているわけではない.↩