SEP「タイプとトークン」 Wetzel (2018) "Types and Tokens"

  • Linda Wetzel (2018) "Types and Tokens" The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Fall 2018 Edition), Edward N. Zalta (ed.).

お勉強.


1. タイプとトークンの区別

1.1 区別が何であるか

タイプとトークンの区別は存在論的である."Rose is a rose is a rose is a rose" というガートルード・スタインの詩句には,「語」のある意味においては3つの異なる語があり,別の意味では10個の異なる語がある.パースは前者をタイプ,後者をトークンと呼んだ.タイプは一般的に抽象的で一意的と言われる.トークンは具体的な特殊者である.

1.2 区別が何でないか

タイプ/トークンの区別は,タイプとその出現 (occurrences) との区別とは異なる.全ての出現がトークンであるわけではない.スタインの句そのもの,句タイプ (the line type) に幾つの語があると言うにせよ (3つ,ないしは10個),そこに10個の語トークンがあるとは言えない.句タイプは特定の時空間的位置を占めず.それゆえ特殊者からなりはしないからだ.この場合,10個の出現があると言うべきである.

2. 区別の重要性と適用可能性

2.1 言語学

言語学者は (Lyons によれば専ら) タイプに関心を寄せる.言語学は語彙数,字母の数,母音の数,異綴の数等々に言及しており,それゆえ語タイプへの存在論的コミットメントを行っているように見える.

他にも,辞書学,音韻論,形態論等々が様々なタイプへのコミットメントを行う.意味論や語用論がどうかは議論がある.言語学のタイプ-トークン関係へのこうした依存につき Hutton 1990 を参照.

2.2 哲学

言語哲学言語学の哲学,および論理学でタイプは重要な役割を果たす.特に文タイプの意味と文トークンを用いる話者の意味の関係には議論がある (Grice 1969).他にも,心の哲学では心の同一性の理論にタイプ/トークンの二つのヴァージョンがある: 心的出来事・状態・過程のタイプを物理的出来事・状態・過程のタイプに同定するか (Smart, Place),専らトークンをトークンに同定するか (Kim, Davidson).前者の場合,思考や感覚は一定の神経的プロセスであり,そうしたプロセスなしには思考はありえないことになる.後者の場合そんなことはない.

美学では作品それ自体 (タイプ) とその具現化 (トークン) の区別が多くの場合必要である (モナ・リザには一つのトークンしかないが,ベートーヴェンの第九には多くのトークンがある).倫理の場合,良い/悪いのは行為タイプか,行為トークンにすぎないか,という問題がありうる.Mill から Ross まで,多くの倫理学者は,普遍化可能性を倫理的振る舞いのしるしと見る.それゆえ特定の行為が良い/悪いのは,それが特定の良い/悪い行為タイプだからだということになる.一方で,これに反対する論者もいる (Murdoch 1970, Dancy 2004).

2.3 科学と日常的言説

科学者もしばしばタイプ上で量化し,単称名辞によってタイプを指示する (例: 生態学,人工物).

3. タイプと普遍者

タイプは普遍者か? 普遍者とは何かによる.普遍者は次のように特徴づけられてきた: 実例を持つ,反復可能,抽象的,非因果的,時空間的位置を持たない,物に述定されうる.そしてタイプはこれらの特徴のいくつかを持つように思われる: タイプは実例を持ち,反復可能である.また普遍者が抽象的で非因果的で時空間的位置を持たないなら,タイプもそうである.ただこれらの点はタイプ・普遍者の両方について異論がある.いずれにせよ,これらの点で両者は似ている.

しかしタイプは普遍者とは違い述定可能でないように思われる.例:語「無限」のトークンは,ある「無限」であるというよりは,語「無限」のトークンである.つまりタイプは性質・関係ではなく対象なのだ.フレーゲに習い単称名辞で指示されるか否かで対象と性質を分けるなら,タイプは対象である.このことは,一匹の動物について,「それは種 Felis Tigris のメンバーだ」よりむしろ「それは虎だ」と言うという事実から推論できる.一方ここからは,Felis Tigris が性質なのか,という問題が生じる.

Wollheim 1968 によれば,タイプ-トークン関係は性質-実例関係より近しい (more intimate).我々はタイプをトークンのとりわけ重要な種として捉えるのである.タイプと普遍者には二種類の違いがある.第一にタイプと属性は同じ諸述語を共有するにせよ,タイプとトークンはより多くの共通の述語を有する.第二に,特定のタイプのトークンであるために当のトークンについて真である述語は,そのタイプについても真である (星条旗は長方形である).これは性質一般には言えない (「白いこと」は白くない).

4. タイプとは何か

「タイプとは何か」には色々な水準での回答が可能である.例えば,それはどんな種類のものか.Sui generis か,普遍者か,トークンの集合か,世界から集合への関数か,種か,法則 (パース) か.より特定して,ある種の特定のタイプのタイプに関する同一性条件を問うこともできる.例えば,語とは何か.

4.1 一般的な回答

タイプが普遍者なら,普遍者の理論 (e.g., Zalta 1983, Jubien 1988) と同じだけのタイプの理論があるだろう.だが普遍者ではない説もある (§3).

4.1.1 集合

むしろトークンの集合だという説がある (Quine 1987).だが,この解釈には深刻な問題が二つある.第一に,トークンがない異なるタイプが色々と存在すること (e.g., 多くの非常に長い文).関連して第二に,集合はメンバーにより外延的に定義されるが,タイプはそうでないこと (ブッシュがいなければ homo sapiens もなかっただろう,とは言えない).

そこで,世界から対象への関数だという考えが出てくる.この場合性質と同定されることになり,§3 の問題が出てくる.

4.1.2 種

タイプは種だとする説もある (Wolterstroff 1970).Wolterstroff 1980 は「の例である」(being an example of) を未定義項として,そこから種を定義する.

Bromberger 1992a も諸トークンを適切な投射可能な問いおよび個別化する問いに相対的な準自然種とみなす.ただしタイプと種と同一視してはいない.タイプは通常単称名辞で指示されるからだ (§2).タイプはむしろ種の原型 (archetype) であり,種の全てのトークンのモデルとなって投射可能な問いへの答えとなるが,個別化する問いへの答えにはならないものである (cf. §5).

4.1.3 法則

パースはタイプが「実在しない」が「実在するものを確定する,完全に有意味な形相」だとする.タイプないし法則記号は「確定した同一性を持つが,様々な現れを許す.&, and およびその音声は全て一つの語である」(8.334).またタイプは「記号である一般法則である.この法則は通常人間によって制定される.全ての慣習的記号は法則記号である.それは単一の対象ではなく,有意味であるべき一般的なタイプである.……全ての法則記号は単一記号を必要とする」(2.246).単一記号とはトークンである.(これに加えパースはトーンないし性質記号に言及している).実在しないというのは,個物ではないという意味だろう.「一般的法則」の意味はよくわからない; Stebbing 1935 によればトークンが用いられる規則であり,Greenlee によれば解釈的な仕方で応答する特定のやり方を制御する習慣 (habit) のことである.その場合タイプは心理的性質のものということになる.また習慣にもタイプとトークンがあるだろう.この説明は語の場合は尤もらしいが,文の場合はそうではない.「全てのタイプはトークンを必要とする」(2.246) が,トークンのない文は存在するからだ.非言語的タイプの場合はなおさらである.

4.2 語とは何か

種,交響曲,語,詩,病気とは何か,といった個別の問いを立てうる.これらの探究は個別のディシプリンに属する.

4.2.1 語の同一性条件

4.2.2 語の理論は我々に何を教えるのか

4.2.3 正書法

4.2.4 音韻論

4.2.5 結論

〔省略.〕

5. タイプとトークンの関係

タイプとトークンの関係が何かはタイプが何かに依存する.タイプが集合ならクラスのメンバーシップであり,種なら種のメンバーシップ,法則なら「それに応じて用いられる」という関係になる.しかし両者は,時おり,実例化 (instantiation) ないし例示 (exemplification) 関係にあるとされる.この関係はプラトン的/アリストテレス的関係という二つのヴァージョンがありうる.

プラトン的ヴァージョンでは,タイプは時空間に位置を占めない抽象的対象である.それを知るのは帰納による (Wolterstorff).Broomberger は言語学者が「タイプのトークンのいくつかを観察し判断した後にタイプに属性を帰属させており,原理に従ってそうしているように見える」と主張し,その推論をプラトン的関係性原理 (Platonic Relationship Principle) と呼ぶ.

だが §4 で見たように,タイプを単なる知覚可能なパターンと見るクッキーカッターモデルはうまくいかない.Goodman 1972 はパースに倣ってあるタイプの諸トークンを「複製」(replica) と呼ぶが,全てのトークンが普通の意味で互いに似通っている (resemble) わけではないとする.一方 Stebbing 1935 や Hardie 1936 は類似性を認める.Wetzel 2002, 2008 はこれを認めず,あるタイプの全トークンが一般に共有している性質は,当のタイプのトークンであることだけだと論じる.タイプは従って非常に重要な理論的対象となる.プラトン的関係性原理に従って,タイプはそのトークの幾つかの属性に基づく諸属性を持つが,非常に複雑な仕方でそうするのである.加えて,タイプの属性のおかげで,トークンは幾つかの属性を持つ.

例示のアリストテレス的ヴァージョン (Wollheim 1968, Armstrong 1978) では,タイプはトークンを離れて独立に存在するわけではない.この場合認識論的問題はないが,トークンのないタイプの説明が難しくなる.Stebbing 1935 は「トークンを用いずにタイプに言及することは不可能だ」と言うが,これは論争的である.実際我々は「ページの最初の語がそのトークンであるようなタイプ」などと言うことができる.

例示に代えて表象 (representation) を持ち出すこともある.Szabo 1999 によればタイプは (プラトン実在論同様) 抽象的特殊者だが,トークンはタイプを表象する (絵画・写真・地図・数字・手振り・交通信号・警笛信号のように).この場合も認識論的な説明はつく.ただしこの場合,語トークンが語でなくなってしまうという問題がある.

6. トークンとは何か

トークンはタイプほど問題がなさそうに見えるかもしれない.しかしいくらか困難がある.

  • Kaplan 1990: 語トークンは空虚な空間でありうる (ボール紙から切り抜いた場合)1
  • トークンは心的特殊者でありうるようにも思われる (書かれる前の詩).そうしたものを認めてよいか.
  • あるタイプのあるトークンは他のトークンと似通いがちだが,全てのトークンが似通っているとは限らない (cf. §4-5).
  • タイプの正統な範例的トークンと見かけが似ているだけでは,そのタイプのトークンとはならない (e.g., 別々の言語が同一の音韻的系列を共有する場合).
  • タイプの正統な範例的トークンと見かけが似ているだけでは,有意味にはならない (cf. Putnam 1981).
  • したがって,物理的対象 (e.g., インクの染み) は内在的に (intrinsically) あるタイプのトークンであるわけではない.

7. タイプは実在するか

7.1 普遍者

タイプはふつう普遍者と見なされるので,その実在をめぐって普遍論争の三陣営に分かれる.ただしタイプ-トークンに関して言えば,概念主義は間に合わせの手段に過ぎない: 観念自身タイプかトークンだからだ.だからここでは扱わない.

7.2 実在論

タイプがあると言っても,「日の入りとバラは共に赤いのだから,共通する何かがある」という伝統的論証に訴えるわけではない; Quine 1953 が述べたように,分有関係に訴えても情報は増えない.そうではなく,理論においてタイプについての単称名辞を使用し,それを走る量化を行うという事実に訴えているのだ.この事実はフレーゲの所謂対象性 (objecthood) を示しており,Quine 自身これを存在論的コミットメントの基準としている.逆に唯名論者はこれらを「分析し去る」(analyze away) 責任がある.

7.3 唯名論

伝統的な唯名論者は「一般的な語だけがあるのだ」と論じるが,それはまさにタイプなので,解決になっていない.所謂クラス唯名論者はタイプを単なるクラスないし集合とするが,これにも先述の問題がある.かつクラスも抽象的対象なのだから,この立場を唯名論と呼べるか疑問である.

これより一見尤もらしいのは,タイプについて語るのはミスリーディングで,実際はトークンについて語れば足りるというものだ.つまり,"The horse is a mammal" とは要は "All horses are mammals" の意味である,というように分析し去るやり方である.問題は,どうやって全部のタイプへの言及ないし量化に対してこれをするのかである.体系的にやれる見込みは薄い:

  • トークンがないために「翻訳」が空虚に真だということにならないためには,全てのタイプにトークンがある必要がある.だが,実際はそうではない.
  • 「タイプが P だ」を「全ての (標準的) トークンが P だ」と分析することはできない.例: 名詞 'colour' は 'color' と綴られるが,全てのトークンがそうであるわけではない.
  • また「全てのトークンが P か,全ての適切に形成されたトークンが P か,大抵のトークンが P か,平均的トークンが P かである」などと分析することもできないし,その他の定式化を捜しても意味がない.タイプの性質には集合的なものがあるからだ (e.g., ハイイログマはカリフォルニアだけで1万頭いたことがある).
  • 星条旗は1846年には星が28個だったが,今は50個だ」の唯名論的言い換えは困難である.
  • 単称名辞だけで以上の問題があった.量化となると悪夢である.

7.3.1 グッドマンの唯名論

そもそもトークンに対応するタイプを選び出すのが困難な場合もある (e.g., 名詞 'color').Goodman 1977 は "'color'-inscription" という述語への書き換えに訴えて存在論的コミットメントを避けるが,これだけではトークンの同定には至らない.類似性に訴えることもできない (cf. §4).セラーズは「言語的役割」(linguistic role) に訴えるが,これも抽象的対象に訴えずに用いうる概念か疑問である.またタイプについて真ならトークンについて真だというのも間違いである.

7.3.2 セラーズの唯名論

〔省略〕

8. 出現

スタインの詩行そのものは抽象的タイプであり,そこにはトークンは存在しない; そこにある10個のものはは語の出現である.

だが,二つのトークンなしに同じものが二度出現することなどできるのだろうか.Simons 1982 は不可能だと論じるが,Wetzel 1993 は対象とその出現は区別できると論じる.およそあるタイプが他のタイプの中に出現する場合には,この区別は必要である.Armstrong 1986, Lewis 1986a,b, Forrest 1986 はこれを「構造的普遍者」と呼ぶ. Armstrong と Forrest の見解を Lewis は批判する.Lewis は構造的普遍者は集合論的な方法またはメレオロジカルな方法で組み立てられると考えた.彼によれば,集合論的に組み立てられるものは代用品的普遍者 (ersatz universals) で本当のところ普遍者とは呼べない.メレオロジカルに組み立てられたものはより単純な普遍者の堆積 (heap) であり,そこに二つの単純な普遍者はない.Wetzel 2008 はこれに対し,「出現」という理解によって Lewis の異論を免れうると論じる.


  1. 何が問題なの?