PNC の一般化再考 Wedin (1999) "The Scope of Non-Contradiction"

  • M.V. Wedin (1999) "The Scope of Non-Contradiction: A Note on Aristotle's 'Elenctic' Proof in Metaphysics Γ 4" Apeiron 32(2), 231-242.

Wedin (1982) が "an earlier discussion" として指示される.ねらいも基本的な戦略もほぼ同じだが,いくらか補足的な議論がある.性質個体を認めるについては Wedin (1993) "Nonsubstantial Individuals" で論じているようだ.

正直に言えばアドホックな議論という印象は拭えない.ただきちんと批判する必要のあるラインだとは思う.


論駁的論証の最終段階である 1006b28-34 で PNC がどのように現れているかを検討する.なぜかというと,そこでは実体への本質的述定にだけ PNC が成り立つように見えるからだ.これは望ましくない.本稿では,一般的なヴァージョンに拡張するやり方を提案する.

ἀνάγκη τοίνυν, (P) εἴ τί ἐστιν ἀληθὲς εἰπεῖν ὅτι ἄνθρωπος, ζῷον εἶναι δίπουν (τοῦτο γὰρ ἦν ὃ ἐσήμαινε τὸ ἄνθρωπος): (Q) εἰ δ᾽ ἀνάγκη τοῦτο, οὐκ ἐνδέχεται μὴ εἶναι τότε τὸ αὐτὸ ζῷον δίπουν (τοῦτο γὰρ σημαίνει τὸ ἀνάγκη εἶναι, τὸ ἀδύνατον εἶναι μὴ εἶναι ἄνθρωπον): (R) οὐκ ἄρα ἐνδέχεται ἅμα ἀληθὲς εἶναι εἰπεῖν τὸ αὐτὸ ἄνθρωπον εἶναι καὶ μὴ εἶναι ἄνθρωπον.

前提 (P) によれば:

  • (1a) 「M」が T を意味表示するならば,\Box\forall x(Mx\rightarrow Tx)

または:

  • (1a') 「M」が T を意味表示するならば,\forall x(Mx\rightarrow \Box Tx)

(1a) からは次のように推論が進む.

  • (1b) \Box\forall x(Mx\rightarrow Tx) \rightarrow \lnot\Diamond\exists x(Mx\land\lnot Tx)
  • (1c) \lnot\Diamond\exists x(Mx\land\lnot Tx) \rightarrow \lnot\Diamond\exists x(Mx\land\lnot Mx)
  • (1d) \lnot\Diamond\exists x(Mx\land\lnot Mx)

こうして存在論的 PNC が出る.これをスコープの広いヴァージョンと呼ぼう.他方,(1a') からは以下のように議論が進む.

  • (1b') \forall x(Mx\rightarrow \Box Tx) \rightarrow \lnot\exists x(Mx\land\Diamond\lnot Tx)

だが,ここから (1c) の対応物を得るには,二つの追加の前提が必要である:

  • (1b'') \lnot\exists x(Mx\land\Diamond\lnot Tx) \rightarrow \lnot\exists x(Mx\land\Diamond\lnot Mx)
  • (1b''') \lnot\exists x(Mx\land\Diamond\lnot Mx) \rightarrow \lnot\Diamond\exists x(Mx\land\lnot Mx)

ここから以下を得る.

  • (1c') \lnot\exists x(Mx\land\Diamond\lnot Tx) \rightarrow \lnot\Diamond\exists x(Mx\land\lnot Mx)

そして (1d) が出る.

どちらの論証でも意味表示の概念を用いている.1006a31 では明らかに様相的な負荷のかかった意味表示概念が好まれている:

  • (2) 「M」が一つのもの T を意味表示する ≡ ∀x(x が M である → T は x であるとは何であるかだ).

(2) は (1a) で様相的主張をするために誂えられている.また,「非 M」が非 T を意味表示するという前提から M なる x が T かつ非 T でありえないという結論を出す論証の第二段階も例えば (1b) の背後にある.このように,論駁的論証は単一の戦略に基づいている.

しかしそうだとすると,論駁的論証は PNC を物とその本質に関してのみ示していることになってしまう.(2) は本質的述定に適合した意味表示概念を示しているからだ.これは Γ3 からの流れに鑑みて問題である.

問題をよりはっきりさせよう.Kirwan はスコープの広いヴァージョンを支持する: Mx\Box Tx を含意しうるならば,Mx は本質的述定である1.しかるに,これは不合理.

しかし,\Box\forall x (Mx\rightarrow Tx) はどのみち本質的述定しか満たさない.そこで Łukasiewicz と Anscombe は論駁的論証のスコープを実体についての本質的述定に狭めた.しかし,アリストテレスがそうしたスコープの制限を認めた証拠はない.

付帯性の個体を値として認めることで,論証の妥当性を損なわず完全に一般的な PNC を示せる.妥当性が損なわれないことは例を取れば明らかだ: α を色個体とする.α が白なら α は (必然的に) 色である.そして一般的 PNC は次のようにして示せる (なお y\in x は「y は x に内属するが x の部分ではない」(Cat.) と読む)[^1]:

  • (3) \Diamond\exists x(Fx\land\lnot Fx) \rightarrow\Diamond\exists x\exists y(y=x\lor y\in x \land Fy\land \lnot Fy)

この (4) 後件の否定から (5) 前件の否定が得られる.そして (5) が PNC の一般的ヴァージョンである.

これに対して Cresswell (2003)2 は,この分析はソクラテスが白くないことを不当にもソクラテスが白さでない何かを持つこととして分析していると批判する (白さでない何かを持つことは,白いことと両立する).だが,(3) は粗い原理にすぎない.実際には y の値は F (例えば色) に依存するので,両立不可能性が言える.

もう一つの反論は,同じことを性質個体が存在しかつ存在しない可能性として説明できる,というものだ:

  • (3a) \Diamond\exists x(Fx\land\lnot Fx) \rightarrow\Diamond\exists x\exists y(y=x\lor y\in x \land Fy) \land\lnot\exists x\exists y(y=x\lor y\in x \land Fy)

ただこの場合後件が PNC 違反そのものなので,論駁的論証と PNC の一般的ヴァージョンとの関係がわからなくなる.

(3a) を実例を作って詳述すると次のようになる.

  • (3a') \Diamond(Fa\land\lnot Fa) \rightarrow ♢(∃x∃y(x は実体個体 ∧ x = a ∧ y は色個体 ∧ y ∈ x ∧ Fy) ∧ ¬∃x∃y(x は実体個体 ∧ x = a ∧ y は色個体 ∧ y ∈ x ∧ Fy))

これは単純に Fa と ¬Fa 各々のアリストテレス的な真理条件をくっつけただけである.問題は ¬Fa の真理条件をどう理解するかだ.「ソクラテスは白くない」のような文が成り立つ場合は,以下の四通りのどれかである.

  • (3b)
    • (i) ¬∃x(x は実体個体であり x = a),
    • (ii) ¬∃y(y は色個体),
    • (iii) ∃x∃y(x は実体個体 ∧ x = a ∧ y は色個体 ∧ y ∉ x),
    • (iv) ∃x∃y(x は実体個体 ∧ x = a ∧ y は色個体 ∧ y ∈ x ∧ ¬Fy).

だが,(i)-(iii) が選ばれるとは考えにくい.なぜなら,以下の原理をアリストテレスは持っているからだ.

  • (3c) ∀x∃y(x は実体個体 ∧ y は性質個体 ∧ y ∈ x).

そういうわけで,最初の定式化 (3) が一番尤もらしい.


  1. Wedin (1982) と戦略は同じなので詳細は省いた.

  2. Cresswell, M. J., 2003. “Non-Contradiction and Substantial Predication,” Theoria, 69: 166–183. 当時は Cresswell (forthcoming).