無矛盾律の定式化 Łukasiewicz (1987/1993) SWA, Kap.1

  • Jan Łukasiewicz (1987/1993) Über den Satz des Widerspruchs bei Aristoteles. aus dem Polnischen übersetzt von J. Barski. Olms.
    • Kapitel I, Drei Formulierungen des Satzes vom Widerspruch. 9-15.

大筋は縮約版に示されているので,細かい論点を拾うつもりで読んでいく.

なお縮約版に関して,原論文がポーランドの共同リポジトリからダウンロードできることを確認した (リンク).Łukasiewicz 自身の言葉選びがわかるという意味では参照の価値がある (例えば下記の心理的定式化の "in demselben Intellekt" は縮約版では "in demselben Bewußtsein").


アリストテレス矛盾律を三通りに (互いを区別することなく) 定式化する.

  • (a) 存在論的定式化: 「同時に同じことに基づいて同じものに帰属しかつ帰属しないことはできない」(Met. Γ3, 1005b19-20).

B2, 996b30 の定式化はより短い:「同時にありかつあらぬことは不可能である」.

"(μὴ) ὑπάρχειν τι τινι" は ἀπόφανσις の主述関係に対応する関係である.これは「内在関係」(Inhärenzbeziehung) と呼びえ,その部分は「対象」(Gegenstand, przedmiot)・「性質」(Eigenschaft, cecha) と呼びうる.対象とは,つねに「何か」(etwas) であって,「無」(nichts) ではない何かである.性質とは,何らかの対象について言明しうるものである.両者に「内在」関係が成り立つのは,対象が性質を有する (besitzt) とき,つまり性質を対象について言明できるときである.以上の術語を用いて,存在論的命題を次のように定式化する.

いかなる対象も,同時に,同一の性質を含み (enthalten) かつ含まないことはできない.

この定式化は,代名詞を実詞に置き換えただけで,アリストテレスの考えを変更するものではない.これを「存在論的」(ontologisch) と呼ぶのは,あらゆる τὸ ὄν (対象) に関わるからだ.

  • (b) 論理的定式化:「対立する言明が同時に真でありはしないということは,全ての判断のうち最も確実な判断だ」(Γ6, 1011b13-14).

対立する言明とは,同一の対象の同一の観点からの肯定・否定判断である (cf. De Int. 6).したがって,矛盾律は次のように規定することもできる.

二つの判断の一方がある性質をある対象に認め (zuerkennt),他方がその性質をその対象に認めない (aberkennt) とき,それらの判断が同時に真ではありえない.

この原則が「論理的」なのは,判断の真理性に,したがって論理的事実 (logische Tatsachen) に関わるからだ.

  • (c) 心理的定式化: 「同じものが「あり,かつ,ありはしない」と想定する (ὑπολαμβάνειν) ことは,誰にもできないから.ちょうど,或る人々が,ヘラクレイトスが述べたと考えているように.というのも,ひとが述べていることを,想定してもいることは必然ではないから」(Γ3, 1005b23-26).

ここで ὑπολαμβάνειν は「仮定する」(annehmen, supponieren) という意味ではなく,むしろ「言う」と対置される心的行為 (psychischen Akt) を表す.この行為は通常意見の表出 (Meinungsäußerung) を伴うが,常にではない.この行為は確信 (Überzeugung, przekonanie),信念 (Glaube, wierzenie) である.(Schwegler, H. Maier も同様の解釈を示す.)

心的現象としての確信は,論理的事実としての肯定・否定判断に対応する.(判断 (論理的言明) とは,語やその他の記号の列のうち,ある対象がある性質を含む (ないしは含まない) と述べるものである.) それゆえ,上記の原則は次のように定式化できる:

矛盾する判断に対応する二つの確信は,同一の知性のうちに (in demselben Intellekt) 同時に存在しえない.

この原則は心的現象に関わるので,心理的 (psychologischer) 原則である.

アリストテレスは三つの命題の違いを明示しないが,違いに感づいてはいた.特に注意を向けたのは存在論的定式化であり,この定式化において原則は最も完全な形で把握される.

特に論理的事実としての判断と心的現象としての確信は峻別されねばならない.現代ではこの区別は明確に意識されている.例えばマイノングは,判断行為としての確信と,「何かがある,またはあらぬ」という事実からなる確信の対象とを区別する.この事実をマイノングは「客観的事象」(Objektive) と呼び,これに「対象論」(Gegenstandstheorie) という研究を割り当てた.この研究は数学ならびに「純粋論理学」に属さねばならない (Meinong 1907, Über die Stellung der Gegenstandstheorie).

ただし本稿は Objektiv という術語は用いない.「判断」(Urteil) をマイノングと別の意味で用いるからだ.すなわち判断とは,「語やその他のしるしによって表された客観的事象」(ein in Worten oder mit anderen Zeichen ausgedrücktes Objektiv) である.こちらのほうがアリストテレスの意図に即している: 魂のうちなる (ἐν τῇ ψυχῇ) 確信 (δόξα, ὑπόληψις) は,言語的音声における (ἐν τῇ φωνῇ1) 相関物・しるし (σύμβολον) をもつ.このしるしは判断である (κατάφασις/ἀπόφασις).それゆえ判断とは言葉で言い表され,何かを意味する文・命題 (Satz) である.特に真・偽という性質が与えられ得なければならない.他方,真・偽が示されうる文は,何かがある・あらぬと主張する文だけである.ゆえにアリストテレスによれば,判断とは,ある・あらぬと言明する語の列である.この定義は,判断を概念の結合だの,確信という心理状態だのという他の定義より,はるかにすぐれている.


  1. 14ページ下から7行目の ἐν τῇ ψυχῇ は誤植だと判断した (“in der Tönen der Sprache” と並置されているため).