〈ある〉の問いを明示的に反復しなければならない Heidegger (1927) Sein und Zeit, §1

  • Martin Heidegger (1927/2006) Sein und Zeit, 19 Aufl., Max Niemeyer.
    • §1. Die Notwendigkeit einer ausdrücklichen Wiederholung der Frage nach dem Sein. 2-4.

読書メモ.熊野訳を参照しつつ読む.ゲルヴェンの注解の邦訳も持っているはずだけど見つからない.


序論 〈ある〉(das Sein) の意味の問いの提示 (Exposition) − 第一章 〈ある〉の問いの必要性・構造・優位性 (Vorrang) − 第一節 〈ある〉の問いの明示的反復の必要性.

  • 昨今「形而上学」は再び肯定されつつあるが1,依然〈ある〉の問いは実質的な探究の主題とされないままである.この問いに関するプラトンアリストテレスの探究の成果は,変容を蒙りつつヘーゲルの論理学まで保持されているが,今日では瑣末なものと見なされている.
  • それどころか,ギリシア哲学における探求の成果がドグマと化した結果,〈ある〉は探究を試みるべきでないものとさえ見なされるようになった.そのドグマとは,「「ある」は (1) 最も普遍的で空虚な概念であり,(2) ゆえに定義できず,また (3) 定義する必要もない,誰もが使用し既に理解している概念だ」というものだ.
  • 上記の予断の根は古代の存在論にあるが,古代の存在論を解釈する (interpretieren) には,〈ある〉の問いの解明・回答を済ませる必要がある2.ゆえに,予断についてただちに詳しく究明することはできない.ここではただ,〈ある〉の問いの反復が必要だとわかる程度まで,予断について議論する.予断は3つある:
    1. 「ある」は「最も普遍的な」概念である3.「ある」についてアリストテレスは「類ではない」と述べ4,中世哲学では transcendens とされた.〈ある〉の単一性をアリストテレスは「類比の単一性 (die Einheit der Analogie)」5 とみなし,プラトンの影響下で問題に新たな基礎を据え,トマス学派・スコトゥス学派もこの問題を探究した.ヘーゲル論理学は同じ方向性で「未規定的な直接的なもの (unbestimmte Unmittelbare)」と規定したが,アリストテレス的な統一性の問題は手放した.――以上のように,「ある」が最も普遍的な概念であることは,それが明晰であることを意味しない.むしろ,もっとも不明瞭なのだ
    2. 「ある」概念は定義不可能である.このことは (正当にも)「ある」の最高度の普遍性から推論されてきた: 「ある」に〈あるもの〉(das Seiendes) を (種差として) 与えることで,「ある」を規定することはできない (なお,この伝統的論理学的な「定義」は,それ自体,古代の存在論に基礎づけられている).――しかしここから,「ある」が問題にならないことは帰結しない.帰結するのは,「ある」が〈あるもの〉と同様ではないということだけだ.
    3. 「ある」は自明な概念である.「空は青くある」「私は陽気である」などの表現を,誰もが理解し,使っている.――しかし,こうした平均的な理解しやすさは,むしろ我々が〈あるもの〉としての〈あるもの〉(Seidendem als Seiendem) へと関わること (Verhalten)・あること (Sein) のうちに,アプリオリに一個の謎があることを意味している.〈ある〉の意味は依然不明瞭であり,ゆえに〈ある〉の意味の問いが反復されねばならない.
  • 「自明なもの」(カントの言う「通常の理性の秘められた判断」6) こそが分析論 (「哲学者の仕事」) の明示的主題なのだから,自明さを引き合いに出す〔ことで探究を不要とする〕ことは,疑わしいやり方である.
  • 一方で,〈ある〉の問いについては,答えだけでなく問い自体が不明瞭で方向を失っていることも,以上より明らかである.したがって,まず問題設定を仕上げねばならない

  1. 熊野,74 によれば Wundt, Wust, Hartmann など.

  2. 原文は „Diese ist wiederum nur … zureichend zu interpretieren am Leitfaden der zuvor geklärten und beantworteten Frage nach dem Sein". (a) 問いへの回答と (b)「古代の存在論」の解釈について (a) → (b) という一方向の論理的順序を認めていると理解してよいのだろうか.

  3. 原注1, 2: Met. B4, 1001a21, ST II1 q.94 a.2. なお見出しとなっている「予断」自体が否定されているわけではない (一方肯定されているわけでもない) 点に注意すべきか.

  4. 原注3: Met. B3, 998b22.

  5. 熊野,77 は Δ6 (ἕν / πολλά の項) を指示する: “τὰ μὲν κατ᾽ ἀριθμόν ἐστιν ἕν, τὰ δὲ κατ᾽ εἶδος, τὰ δὲ κατὰ γένος, τὰ δὲ κατ᾽ ἀναλογίαν …".特に τὸ ὄν に言及する箇所ではない.一方もちろん Γ に鑑みれば πρὸς ἕν である以上単なる Analogie ではないとも論じうる.

  6. 熊野,82: R436 (Akad. 15:180).