『メタフュシカ』B4 1001a4-29 〈一〉〈あるもの〉は本質存在か
Metaph. B4 1001a4-29 (Aporia 11 前半部). θεωρῆσαι χαλεπώτατον καὶ ἀναγκαιότατον の天丼をやってるの笑ってしまう.
[1001a4] 全てのことのなかで,観照するのが最も難しく,かつ真理を認識することに関係して最も必要であるのは,一体〈あるもの〉と〈一〉はあるものどもの本質存在であるのか,すなわち両者の各々は何らか他のものであることなしに一方は〈一〉であり他方は〈あるもの〉であるのか,それとも,別の本性が基礎に置かれているため,〈あるもの〉と〈一〉が何であるかを探究すべきであるのか.それというのも,或る人々は前者の仕方で,或る人々は後者の仕方で〔両者は各々の〕本性を有しているとと考えているから.すなわち一方でプラトンやピュタゴラス派は,〈あるもの〉も〈一〉も何らか異なるものであるわけではなく,むしろ,〈一〉にとってのあることも,〈あるもの〉にとってのあることも本質存在であるのだから,両者の本性はこれ〔=本質存在〕である〔と考えており〕,他方で自然学者たち (例えばエンペドクレース) は,よりよく知られている事柄へと還元しつつ,〈一〉であるとは何であるかを語っている.というのも,友愛が〈一〉であると語っていると考えうるからである (少なくとも友愛は全てのものにとって一つであることの原因である).別の或る人々は火が,或る人々は空気がこの〈一〉であり〈あるもの〉であって,それから〈あるもの〉どもがありかつ生成したのだと主張している.同様にしてより多くの人々は諸元素を立てつつ〔〈一〉・〈あるもの〉だと主張している〕.というのも,彼らにとっても,諸原理である限りのものが〈一〉であり〈あるもの〉であると主張することは必然だから.
[1001a19] 他方〔ここから〕帰結するのは,もし或る人が〈あるもの〉と〈一〉を何らかの本質存在であると措定しないだろうとすれば,他の普遍的なものどもの何かも〔本質存在であるとは措定し〕ないだろうし (というのも,これら〔〈一〉と〈あるもの〉〕は万物のうちもっとも普遍的なのであって,或るものが〈あるもの〉そのものでも〈一〉そのものでもないとすれば,個別に語られることどもを超えてまさに他のものどもが何かあることはほとんどありえないだろうから),さらに,〈一〉が本質存在でないとすれば,〈あるもの〉どもから何らか切り離された自然本性として数があることもできないということは明らかである (というのも,数は諸単位であり,単位はまさに〈一であるとは何であるか〉であるものだから).他方何かがまさしく〈あるもの〉であり〈一〉であるなら,それらの本質存在は〈一〉であり〈あるもの〉である.というのも何か他の普遍的なものが述定されるわけではなく,むしろこれら自身が〔述定されるの〕だから.
要約
問い: (テーゼ)〈あるもの〉や〈一〉は本質存在であるのか,(アンチテーゼ) 別の本性が基礎に置かれており,それらに〈一〉や〈あるもの〉がぞくするのか.