不確定性 Burgess & Burgess (2011), Chap.4

  • Alexis G. Burgess & John P. Burgess (2011) Truth. Princeton University Press.
    • Chap.4. Indeterminacy. 52-67.

4. 不確定性

「これこれなのか?」という問いに対して肯定することも否定することも (無知ゆえにではなく) 適切でないと思われる場合があり,これを不確定性 (indeterminacy) と呼ぶ.

  • そうした事例は,二値原理 (bivalence principle) の反例となりうる.「これこれである」ということが真とも偽とも言えないことになるからだ.
  • そして二値原理への脅威は等価原理への脅威となる.というのも: もし (A) これこれであるとすれば,T-intro. より (B) これこれであることは真であることになろう.ここで二値原理への反例となる場合を考える.このとき ¬B となり, ¬A (古典論理では). しかし我々は ¬A でもない場合を考えていた.よって矛盾.

等価原理はデフレ主義の中心的テーゼであり,これへの脅威はデフレ主義への脅威である.以下では主に前提 (presupposition) と曖昧さ (vagueness) を扱う.

4.1 前提

「父親を殴るのはやめたのか?」のような問いの例は古代からある (多重質問の誤謬).現代の言語学では「前提」と呼ばれる.「熱素は容器内の空気から取り除かれた」という文は熱素の存在を誤って前提しており,前提不成立 (presupposition failure) の事例となっている.

前提は含意とは異なるとされる: 或る命題が前提することを,その否定もまた前提する.それゆえこうした命題は不確定性の例となる.

4.2 曖昧さ

純化された言語習得のモデルでは,我々は「赤い」のような語を学ぶ際,まず赤いもの (やそうでないもの) の範例 (paradigms) を与えられ,そうした例から投射する (projecting) 一定の原則を与えられる.このとき,境界事例 (borderline cases) が残る.たとえば「2つの赤いものの中間の色のものは赤い」のような投射原理によっては十分に決定されず (underdetermined),真理値ギャップが残る.他方「赤いものにとても良く似ている色のものは赤い」だと決定されすぎ (overdetermined),真理値供給過剰 (glut) となる.

こうした例は「赤」「山」「はげ」などに限らず,全てについて言える.Frege はこれを自然言語の欠陥とみなしたが,日常的な場面ではむしろ利点である.とはいえやはり,等価原理の脅威となるなど,様々な問題を呼び起こす.

4.3 否認,資格剥奪,逸脱

否認 (Denial).境界事例に対処するやり方の一つは,いわゆる前提をたんなる含意のサブクラスとみなすことである.このとき,「殴るのはやめたのか?」に対する答えは「いいえ」である.「このチップは赤いか?」には依然答えられないかもしれないが,それは我々の無知ゆえにすぎない (認識主義的見解 (epistemicist view)).例えば,ほんとうはオレンジのものと赤いものの間には「自然な継ぎ目 (natural joint)」があって,そこから見てどちら側にあるかで赤いか赤くないかが決まるのだ.(曖昧さに関する文献にはこうした現実離れした見解が散見される.)

資格剥奪 (Disqualification).もう一つの方法は,これらの文はそもそも命題を表現していない,として,二値原理の反例としての資格を剥奪するものだ.文主義者でも「真理にふさわしい (truth-apt)」のようなジャーゴンを導入してこうした区別をする.−−しかしこれには重大な反論がある.行為は信念から説明されるべきであり,人が信じているものは命題である,とすれば,チップの色で賭けをする人が「これが赤だと直感したから赤に賭けたのだ」と説明するということが,それが命題であることの十分条件をなすように思われる.

逸脱 (Deviance). もう一つは,二値原理の反例をなすことを認めつつ,等価原理の反例をなすことを否定するやり方である.二値原理は等価原理+古典論理から従うので,古典論理を拒否し,代わりを立てることになる.候補の一つはクリーネ強三値論理 (Kleene strong trivalent logic) である.例えば p ∨ q が真 iff. p か q が真,偽 iff. p も q も偽,どちらでもない iff. それ以外.ファジー論理を用いるなら,真理値は0~1の間に無限個ある.ファン・フラーセン超付値論理 (Van Fraassen supervaluation logic) を用いるなら,赤いものとそれ以外の境界は人工的に定められる.

4.4 ダブルスピーク,依存性,敗北主義

ダブルスピーク.別の解決として「ない (not)」に普通とは異なる意味を割り当てるというものがある.これは一見して,オッカムの剃刀レーザー (「存在者は必要以上に増やされるべきではない」) ならぬオッカムの消しゴムイレイザー (「意味は必要以上に増やされるべきではない」) に反するように思われる.だが,言語学者はしばしば「メタ言語的否定」を措定することがある.

依存性 (Dependency).肯定か否定かは文脈依存であるという見方もある.

敗北主義 (Defeatism).今ある形での等価原理をあきらめ,改良版をつくるというやり方もある.例えば: 「〜と「〜は真である」は,前者の前提が後者の含意とならない限り,等価である」.色の事例も一種の前提不成立の事例と見なしうるだろう.

4.5 相対性

不確定性の種類は他にもある.ひとつは John MacFarlane らの「真理相対主義」(ないし非好意的に「新世代相対主義」) と呼ばれる立場を育んだ相対性である.

例えば法的な相対主義を (常識に従って) 受け入れるなら,次のような命題には隠れた指標性 (hidden indexicality) がある (e.g. チリでは真,中国では偽).

  • (4) 中絶は法的に禁じられている.

他方,宗教的原理主義者とラディカル・フェミニストが各々次のように主張するとき,両者の間には意見の不一致 (disagreement) がある.

  • (6a) 中絶は道徳的に禁じられている.
  • (6b) 中絶は道徳的に許容できる.

道徳的絶対主義者にとって,(6a) は真か偽かのいずれかである.道徳的相対主義者にとって,(6a) は真理値ギャップの事例でありうる.後者の一ヴァージョンである錯誤理論によれば,絶対的道徳はフロギストンのような非存在者である.結果,デフレ主義と (特に道徳性に関する)「非事実主義 (nonfactualism)」の間にあるとされる緊張について多くの議論が生じてきた.

いわゆる真理相対主義もこの議論に登場する立場である.例えば次のようなごく普通の社会学的主張を––

  • 中絶は宗教原理主義者の道徳によれば禁じられており,ラディカル・フェミニストの道徳によれば許容される.

「真理相対主義」は次のような論争的な理論的主張を支持するものと考える.

  • 中絶が道徳的に禁じられている,という命題は,宗教原理主義者の評価文脈のもとでは真であり,ラディカル・フェミニストの評価文脈のもとでは真ではない.

4.6 局所的 vs. 大域的

ここまで挙げた例が「局所的」相対主義であるのに対し,全ての真理が相対的であるという「大域的」相対主義もある.

大域的相対主義は自己論駁的だ (大域的相対主義じたい他の何かに相対的に偽でありうる),という批判はそれほど説得力がない.アナロジー: 法的相対主義は正しいにせよ,呼吸はどこでも合法になっている.

Paul Boghossian がよりよい論駁を行なっている: 全ての真理が相対的であるとする.例えば「草は緑だ」は何かに相対的である.すると「「草は緑だ」は何かに相対的である」も何かに相対的である……となり,無限背進する.すると真正の真理は「無限の」命題だけということになるが,これは不合理である.

Boghossian はこの議論を局所的相対主義にも応用する.ある「体系」はそれ自身絶対的に真・偽か,それとも相対的にそうであるのか?「別の何かに相対的」と言うと同様の仕方で無限背進する.「それ自身に相対的」と言うと循環する.「絶対的」だと言ってしまうと相対主義にならない.–– だが,この議論は,まともな法的相対主義まで拒否してしまう.局所的相対主義者のベストな応答は,体系は真とか偽とか言えない,というものだろう (法的・道徳的体系は叙述的 (declarative) ではなく命令的 (imperative) である).