石井雅巳『西周と「哲学」の誕生』

  • 石井雅巳 (2019)『西周と「哲学」の誕生』堀之内出版.

西周の入門書.3章からなり,各々,(1) 高名な「哲学」などの訳語創出のプロセス,(2) ひらがなやローマ字の推奨論・言文一致論,(3) 官僚としての仕事,を扱っている*1

第1章のひとつのポイントは,(哲学の講義などで) いい加減に説明されがちな「希哲学」から「哲学」への訳語変更が,実のところ自覚的に・意味のある仕方で行われていた,という指摘だろう.『精神現象学』の Vorrede の創造的誤読だという仮説はなかなか魅力的だと思う.

第2章では,西周の日本語論が音声を基礎とする日本語の創設による「雅俗分離の無力化」をねらったものと評価され,かつ,西周にとって翻訳とは儒学を背景にもつ既存の漢語への単なる変換作業ではなかったのだから,これは彼の翻訳論とも矛盾しない,「漢字 vs. 反漢字」という対立軸は誤っている,と主張される.これももっともである一方,漢語にリソースを求めることがいわば諸刃の剣となることに自覚的であった西にとって,しかしそもそも訳語に和語を用いるという選択肢はありえたのだろうか,また仮にあったとして,和語を用いるということにはどんな意味合いが付随しただろうか,などという想像も働く.

第3章は福澤の学者職分論および軍人勅諭起草に対する戦後の批判に対する一種のアポロギアを行っている.とりわけ軍事社会と平常社会を対照的に捉えていたという話は興味深い*2

本筋とはあまり関係がないが,次の (やや身も蓋もない) 挿話が面白かった.

幕末から明治にかけて日本語論に取り組んでいたのは西だけでは当然なく,その端緒は,前島密が時の将軍徳川慶喜に建白した「漢字御廃止之儀」(一八六六年) にあります.ちなみに,前島は明治になってから「まいにちひらがなしんぶんし」を刊行しています.とはいえ,この「まいにちひらがなしんぶんし」は一八七三年からわずか一年ほどで廃刊となってしまいます.様々な原因が指摘されていますが,全部ひらがなだと読みにくいということでした.(48頁)

*1:なお 1-2 章は以下の論文に基づいている: 石井雅巳 (2018)「翻訳と日本語: 西周言語哲学」『北東アジア研究』29, 169-181.

*2:これについては菅原光『西周の政治思想』が参照されている.