序論: 真理とは何か,その担い手は何か,諸パラドクス Burgess & Burgess (2011) Truth, Ch.1
- Alexis G. Burgess & John P. Burgess (2011) Truth. Princeton University Press.
- Chap.1. Introduction. 1-15.
学部上級–修士の初めくらい向けの教科書 (p.xi).
1. 序論
「何かが真であるとはどういうことか (what it is for a thing to be true)」が本書の問いである.真理に関する他の哲学的な問いへのいかなる答えも,この問いへの答えを前提する.
1.1 伝統的な諸理論
Metaph. Γ7 1011b25ff. の一句は真理についての哲学者の言葉として最も有名である.中世のアリストテレス主義を介して近代に受け継がれた定義は次の通り.
- (2) 真理は思考の思考対象との一致である.
ただ,或る人々はこれを「名目的」定義に過ぎないと批判した.(その他に実在的定義があるべきかどうかは後ほど見る.)
約1世紀前に (2) について以下の三つの解釈が登場した.
- (3) 実在論的理論・対応説: 信念が真である iff. それが実在に対応する (B. Russell).
- (4) 観念論的理論・整合説: 信念が真である iff. それが他の観念と整合する (H. H. Joachim).
- (5) プラグマティズム的理論・功利的理論: 信念が真である iff. それが実践において有用である (W. James).
1.2 現代の理論
哲学史的に論じるなら,他にも Frege, Moore, Peirce, Dewey 等に言及しなければならないだろうが,今は控える.観念論の今日の後継者は反実在論であり,プラグマティズムの支持者はデフレ主義に惹かれている.これらと実在論が現在の主要な三つの立場である.
1.3 パラドクス
真理概念にも多くのパラドクスがある.特に嘘つきパラドクスは,真理概念が矛盾を引き起こす或る種の概念群に属することを示している.そうした概念を alethic という.
- Alethic な概念群の一つは,何かについて真である述語・形容詞についてのものである.例えば Grelling のパラドクス: "polysyllabic" は autological, "monosyllabic" は heterological だが,"heterological" はどうか?
- もう一つは「定義可能性」である.例えば Berry のパラドクス:「十四字で定義できない最小の数」.よりテクニカルなものに Richard のパラドクス,Koenig のパラドクスがある.
多くの数学者は,「Alethic な概念は心理学的・形而上学的で受け入れがたい」とする哲学者に与する.だが Tarski は,こうしたパラドクスを解消するか,少なくとも block することによる,真理概念の名誉回復を試みた.パラドクスの扱いと真理概念の本性 (の有無) の議論は切り離せないことが近年明らかになってきているため,本書でも二次的なトピックとなる.
1.4 計画
〔各章の概要.〕
1.5 文
文が真理の担い手であるという考えは,以下の考慮から導かれる.
- 真なることが書かれたり,話されたりするとき,書かれ・話されているのは文である.
- 以下の会話を想像せよ.X: When there's a will, there's a won't. Y: That's true. Z: What's true? I didn't hear. –– これに対し Y はこう答えられる.Y: X said, "Where there's a will there's a won't," and that's true. この引用は文を指定している.
ただし「文とは何か」を言うためには以下の (衒学的に見えるにせよ必須の) 区別を要する.
- 文のタイプとトークン.
- 文の音声的タイプと意味論的タイプ (e.g. "The post office is near the bank").
- トークンも同様に区別できる.
- 書き物の場合は文の筆記物 (inscription) と個々の読者へのその提示 (presentation).
- また書き物の場合は「意味論的」の対義語は「書字的 (orthographic)」になる.
ある音声的・書字的タイプが固定的な真理値を持たない場合がある.その原因としては多義性や指標性 (indexicality) がある.後者は意味論的タイプが真理の担い手であることさえ妨げうる.少なくともいくつかのタイプは派生的な真理の担い手と言えよう.
1.6 命題
だが対抗馬として,一次的な真理の担い手は命題であって文は派生的な担い手にすぎない,という見解がある.(各々を文主義/命題主義的見解 (sententialist / propositionalist view) と呼びうる.) 文主義者は命題という考え自体に懐疑的であり,それは特に命題主義者たち自身の間での意見の不一致に起因する.
命題主義者は,異なる文タイプのトークンが同一の命題を表しうる,という点において (のみ) 一致しているが,以下の点では意見が分かれる:
- 文法的構造にあたるものが命題にもあるか.
- "Jack loves Jull" と (同じ人を指して) "He loves her" は同じ命題を表しているか.
また,次のように言わないのはなぜか: "Copernicus hypothesized the proposition that the earth moves, while the Inquisition anatemized that the earth moves."
こうした問題にも関わらず,今のところ命題主義者が優勢である.
真理の基本的な担い手の候補として,ほかに信念 (3-5) や主張 (assertion) などがあったが,例えば以下のような考慮から,今では顧みられない:「PまたはQ」という信念は P, Q いずれの信念もない場合に成り立ちうるが,真理はそうではない.したがって,信じられていない真理というものがなければならない.
いずれにせよ,文主義と命題主義の対立は,以下でも念頭に置かれる必要がある.