『自然学』研究と近代科学 Wieland (1962) Die aristotelische Physik, Kap. 1, §1

  • Wolfgang Wieland (1962) Die aristotelische Physik, Vandenhoeck & Ruprecht.
    • Kap. 1. Einleitung: Die Aristotelesforschung und die Physik.
      • §1. Zur Situation der Forschung. S.11-19.

著名な研究書をあたまから読む.なんとも大時代な序論.著者は Löwith と Gadamer の弟子筋の人.


  • 本書は第一義的にはアリストテレス哲学史的研究だが,そうした研究を通じて厳密科学に関する現代の哲学的問題を論じる準備作業もなされる必要がある.「なぜアリストテレスなのか」も簡潔に示されるだろう.
  • アリストテレスは自然学を論理学・倫理学・数学とは異なる問いの可能性を有する独自の学知として基礎づけた.今日の物理学とアリストテレスの自然学は全然共通点がないように思われるかもしれないが,そんなことはなく,共通性が自明なものとして隠れているだけである.現代物理学の問いとアリストテレス自然学の問いは異なる歴史的状況においてではあれ同一の方向を向いている.
    • アリストテレスの根本的な立ち位置がもはや維持できないことも反論にならない.自分の反対論者こそ自分の立ち位置を明らかにしてくれるのだ.
      • 注1: 連続性・時空間・運動の根本規定に関し古典物理学アリストテレスと相違する点はそれほど多くなく,むしろ20世紀になってようやく対話を可能 (かつ必須) にする距離が生じている.
    • 現代物理学とアリストテレス自然学を相互に比較する上で,安易に命題を比較することも,逆に比較を諦めるのも危険である.
      • 後者を採る場合,そうした関心はせいぜい抑圧されるに過ぎない.
  • 加えて,アリストテレス自然学の研究は他の諸学に比して古代以来伝統的に軽視されてきたという事情がある.
    • 他方,本書は,自然学が独立で理解可能だという仮説のもとに議論する.自然学に対する形而上学の優位という前提は,もし解釈上不必要であるなら,斥けられなければならない.
      • 注2: 本書ではこれ以上立ち入らないが,自然学がその他の学を基礎づけているという見方には多くのテクスト上の根拠がある.
  • だが,形而上学の優位テーゼだけでは,現今の自然学研究の僅少さは説明できない.むしろアリストテレス本人と混同された「アリストテレス的」伝統との対峙によって作られた現代科学の成功によるところが大きい.
    • こうした十把一絡げの見方に哲学は事実影響されてきた.例えば 19 世紀には自然学とコンフリクトしない範囲で「世界観」を組み立てるという方向にシフトした (就中 Dilthey).
    • そうした状況に鑑みれば,「アリストテレスの自然学は時代遅れの自然科学で,その他の主要著作は哲学すなわち世界観の表現である」という想定も理解できる.
    • 他方,中世のアリストテレス的伝統は,アリストテレスとせいぜい緩やかな関係しか持たない諸要素を含んでいる.枝葉末節はさておき,根本のところで変容している.
    • 加えて,ガリレイや同時代人の批判は内容上は宇宙論・天体論に関わるものである.これに対し自然学はあらゆる自然的 (i.e. 非人工的) 事物の一般的な現象形式と原理に関わる.
      • 原理の問題とは近代科学は距離をおいてきたし,それによって成功してきたとも言えよう.
      • 他方で,今日の物理学がアリストテレス的観点からすると宇宙論であるとすれば,アリストテレスの自然学は形而上学的探究であると確言しても,もはやそれほど奇妙ではなかろう.
  • かくて,アリストテレス自然学研究は未だ確固たる基盤を有さないので,いかなる理解の試みもアリストテレス思想全体の解釈を前提する.したがって,個別問題に立ち入る前に,基本的な部分における有力な諸解釈をスケッチする必要がある.

*1:"das Teleologieprinzip hat, ähnlich wie die Metaphysik der substantialen Wesensformen, im Laufe der Entwicklung ein Gewicht bekommen, das es in der aristotelischen Lehre nicht im entfernten hatte" (S.18). 後段がやや信じがたい.