Lee (2005) Epistemology after Protagoras, Ch.3 プロタゴラスと相対主義

  • Mi-Kyoung Lee (2005) Epistemology after Protagoras: Responses to Relativism in Plato, Aristotle, and Democritus Oxford University Press.
    • Chap.3. Protagoras and relativism. 30-45.

3.1 真理に関する相対主義と,不可謬主義

  • プロタゴラスは「真理」で真理の相対主義 (「真理は各人とその信念に相対的である」) を擁護したのか.
    • たしかに,そう考えられる資料もある: Tht. 161d2-3, Met. Γ6 1011a19-20.
    • だが一方で,「信念は端的に真である」という主張を帰属する資料もある: Γ5 1009a7-8, Γ4 1007b18-23, Tht. 161d-7, 167a7-8, 167d3, Sext. M VII 390, DL IX 51.
      • こちらは「不可謬主義」(infallibilist) である (Fine).
  • 本書の解釈は以下の通り:
    1. プラトンプロタゴラスは不可謬主義的認識論を提示している (cf. Fine (1996a, 1996b)).
    2. だが,プラトンが尺度説を提示するとき,すべての属性が (真理を含め) 相対化されるべきだという理論を組み立てている (cf. Burnyeat (1976a, 1976b)).
  • まず両説のより厳密な定式化を行う.
    • 相対主義: いかなる p も端的に真ではなく,X (: 人,集団,信念,概念枠組み etc.) に相対的にのみ真である.
      • 真であるものは,誰かに真だと現れている (認識論的テーゼ).
      • 真理は相対的である (形而上学的テーゼ).
    • 不可謬主義:
      • Ap と信じているなら,p は真である (認識論的テーゼ).
      • (余分な形而上学的テーゼは存在しない.)
  • 現代の相対主義には,(a) 非個人的・客観的真理の存立可能性も,(b) 可謬性も,排除しないものがある.
    • e.g. 真理に関する意味論的相対主義:「真である」は「W にとって真である」という二項述語である.
      • Cf. タルスキの「特定言語における真理」.
  • 立場は〈絶対/相対〉(true simpliciter かどうか) と〈主観/客観〉(「信じていれば真である」かどうか) で4通りに分類できる.
    • 現代の相対主義は〈相対+客観〉か〈相対+主観〉.
    • プロタゴラス解釈としては〈絶対+主観〉(不可謬主義) か〈相対+主観〉のいずれであるかが問題.

3.2 相対的真理の歴史

  • 不可謬主義を採る動機などないのではないか,と思われるかもしれない.
  • だが,相対主義が比較的最近出てきた考えであることに注意する必要がある.
    • 「にとって真である」を全ての主張に付け加える立場が維持可能だという考えは 1960 年代以前にはない.
    • 'relativist'/'relativism' の初出は OED によれば各々 1863/1865 年.ただし 1859 年にハミルトンの用例あり.
      • もとはドイツ語圏 (新カント派) の 'Relativismus' (e.g., Zeller) だと思われる.
      • ただしこれはカント的な考えを指し,不可謬主義とも真理の相対主義とも無関係.上述の相対主義に近いのはニーチェの「遠近法主義」くらい.
  • 真理についての相対主義は「ものは現れる通りにある」という考えより歴史的にも概念的にも後に位置する.これは不可謬主義が引き起こす問題を解決するために最終局面で登場するテーゼなのである.

3.3 尺度という観念

  • プロタゴラスの主張は条件文で示せる: x が A に F と現れるなら,A にとって x は F である.
    • ここに登場する「にとって F である」は,「にとって真である」とは異なる.プラトンは後者を前者で分析していない.
    • したがって,プロタゴラスが提示しているのは真理の相対主義ではなく,何を真理と見なすか,つまり真理の「尺度」についての理論である.
  • Tht. 178b3-7: μέτρον/κριτήριον とは,評価・判断の道具・手段のこと.具体的には感覚 (Tht. 161c3-6, Met. K 1063a3),経験・理性・論証 (Rep. IX 582a6).
  • ヘレニズム期に κριτήριον は術語化する: 他の真理を確立・評価する手段となる,プリミティヴで自明な真理.
    • セクストスは (驚くべきことに) プロタゴラスが真理の κριτήριον を否定しているとする (M VII 60-4).κριτήριον とは絶対的実在の試金石だが,プロタゴラスはそうした実在を認めないから.
  • 一方プラトンは,プロタゴラスの尺度説を「真理の基準は何か」という観点から理解してはいない.むしろ誰が κριτής たる資格を有するかという観点で理解している.
  • 特定の認識論的権威を認めないことはプロタゴラスの「真理」の特徴をなす.ポルフュリオスの証言に基づくなら,そこにはエレア派批判の契機がある.
    • 実際,パルメニデスは,真理が定命の人間には隠されていると主張している.
      • この秘教的観念はさらにホメロスからオルフェウス-ピュタゴラス的伝統に棹さすものである.
      • パルメニデスはそこに,「真理は理性の能動的使用によって得られる」というひねりを加えている.
        • この考えは,〈哲学と理性が明らかにする真理 / 日常的経験において感覚が報告するもの〉の対という形で,ソクラテス以前の哲学全体に響いている.
  • 専門家の議論をどう攻撃するかということが,プロタゴラスの著作をつらぬくテーマである (数学者の定義 (DK B7), 神の不可知性 (B4), 文法学 (A28, A29, A30), レスリング (A1, B8)).
  • プラトンアリストテレスも (EN X5) この線で (専門家の権威の問題として) プロタゴラスを理解している.

3.4 プロタゴラスと相対的真理

  • 上記の「尺度」理解に基づくなら,「全ての信念が真である」という定式化にも一理あるとわかる.プラトンプロタゴラスが真理について通常の見方以上のものを持っていたとは示唆していない.
  • 通常の見方とは何か.
    • ホメロスの場合,ἀληθές は主張内容について言われる.(他の λανθάνω の派生語と同様,第一義的には人と人の言葉とに用いられていたから.Cf. Cole 1983).
    • だがパルメニデスにおいて ἀλήθεια はもののあり方となる ('reality'. Cf. Mourelatos 1970).プロタゴラスもこちらを引き継いでいるが,ただし δόξα との対立を認めない.
  • しかしだからといって,不可謬主義だと結論するのは早計である.「にとって真である」を用いた定式化も行っているからだ.
    • 「p は A にとって真である ⇔ A は p だと信じている」なら,これは無意味なトートロジーではないか,という反論がありうる.再反論は三通り:
      • トートロジーに情報内容がないとは限らない: 明けの明星 = 宵の明星.
      • 相対主義は「何ものも端的に真ではない」という非トートロジー的主張を含む.
      • 不可謬主義は「真だと信じているものは端的に真である」という非トートロジー的主張を含む.
  • だが,「にとって真である」が「が信じている」と同義だという主張自体,相対主義に対する反論となると見なされている (Meiland 1977, Passmore 1961).
  • 代案:「p は A にとって真である」が相対化するのは,(文の属性としての) 真理ではなく,文 p が指す事態そのもの.
    • したがってプロタゴラスの主張が引き起こす問題は,「属性や事態が信じる人や知覚する人に相対的だとはどういうことか」.
  • Tht. はこれに答えて秘密の教説を提示する (cf. ch.5).
    • プラトンによれば,熱さは風の属性であり,それによって熱いという印象が真なるものになる.このとき印象と印象が真であるという事実は別ものであり,それゆえ「A にとって x が F である」は単なる「A の信念に従えば」とは異なる.
  • Tht. が扱うのは感覚述語であり,真理述語にも当てはまるかは定かでない.当てはまるとすれば,他の多くの属性とひとしなみに当てはまるということになろう (したがって特に真理に関する理論を立てているわけではない).Waterlow (1977) の「事実の相対主義」(relativism of fact) というのは適切な呼称だろう.