タルスキの真理論 Burgess & Burgess (2011) Truth, Chap.2
- Alexis G. Burgess & John P. Burgess (2011) Truth. Princeton University Press.
- Chap.2. Tarski. 16-32.
2. Tarski
Tarski は 1930 年代以来数学における真理概念の名誉回復に努め,1950 年代にはモデル理論に結実した.これだけでも Tarski の数学的達成は不朽のものといえるが,その哲学的意義にはいまだ論争がある.以下では Tarski の仕事の最も基本的な特徴を単純化して説明する.
2.1 「意味論的」真理
Tarski は自分の真理観がアリストテレスに従うものだと考える:「雪は白い」が真なのは,雪は白いからだ.
これを彼は「意味論的」真理と呼ぶ.これは言語学でいう意味論を指すのではなく,当時の実証主義的な言葉遣いにすぎない: 観念が「統語論的」であるとは,言葉の中での関係に関わるときである (e.g. the Bible).「意味論的」であるとは,言葉とモノの関係に関わるときである.「プラグマティック」であるとは,言葉とモノと人の関係に関わるときである (e.g. believers).
以下の形式を取るものを T-双条件文 (T-biconditional) と呼ぶ.特に……と〜〜に同じ文が入るとき T-図式 (T-scheme) と呼ぶ.
- 「……」が真である iff 〜〜.
Tarski は T-図式を強調したが,古典論理の枠内では, T-図式は T-導入と T-除去という規則のペアと等価である.
- 「〜〜」から「「〜〜」は真である」を推論する,
- 「「〜〜」は真である」から「〜〜」を推論する.
もう一つの「意味論的」観念は,モノによる条件の充足 (satisfaction) である.
- 「x は y と同じ色だ」が雪とミルクによって充足される iff. 雪とミルクは同じ色である.
もう一つの「意味論的」観念は表示 (denotation) である.
- 「雪」は雪を表示する.
これらはどれも alethic な観念である.また「意味」は意味論的観念に含まれていない.
2.2 対象言語 vs. メタ言語
「雪は白い」という書字的タイプは,他の言語では草が赤いという意味をもつかもしれない.こうした多義性を避けるには,(i) 引用符で囲まれた部分が書字的タイプ + 日本語の意味を指定する,(ii) 「真」が「日本語において真」を意味する,という選択肢がある.Tarski は (ii) を選ぶ:「真」というラベルで,或る言語 L について「L において真」ということを考えるものとする.
Tarski は,それについて真理が論じられている言語 L (the language L for which truth is being discussed) を「対象言語」,そのうちで真理が論じられている言語 L* (in which ...) を「メタ言語」と呼ぶ.Tarski が論じるには,L と L* がともに或る自然言語の全体であるとき,以下の例から T-図式を介して矛盾が生じる.
- (6) The sentence numbered (6) is not true.
ポイントは以下の通り.
- T-図式の左側で言及されている文が右側で使用されているので,対象言語はメタ言語に含まれねばならない.
- 対象言語は引用の手段を含まねばならない.
- メタ言語は「Lにおいて真」という真理述語を含まねばならない.
ただし 1, 2 の条件は緩和できる.第一に,(1') L* は L を文字通り含む必要はない.必要なのは,L* が L を翻訳できることである.第二に,(2') L への言及は必ずしも引用でなくてよく,何らかの構造的記述によって L の文を指定できていればよい.
かくして,Tarski の公式的な T-図式は,以下の通りである.
- 〜〜が L において真である iff. …….(ただし,〜〜には対象言語の文の「構造的記述」が入り,……にはその文のメタ言語への翻訳が入る.)
Tarski は,真理の定義が数学的に厳密であるとき形式に正しいと言い,対象言語についての T-図式の全事例を含意するとき実質的に適切だと言う.
これらの条件を満たすため,Tarski はメタ言語において (のみ) 使用可能な集合論的な道具立てを用いる.結果として語「真理」の日常的用法からは乖離するが,そもそも Tarski の目標は日常語の説明ではなかった.別の言い方をすれば,Tarski の関心は真理述語の外延を定めることにあり,内包にはかかずらわない.
だが,Tarski はなぜ真理述語の定義に拘ったのか? 真理述語をプリミティヴなものとし,T-双条件文を公理としてはいけなかったのか? –– それには哲学的理由がある.当時「物理主義」と呼ばれた立場によれば,科学的に許容しうるプリミティヴは論理的・物理的のいずれかであったが,伝統的な文献は,真理を心理学的・形而上学的なものとしていたのである.
2.3 再帰的定義
他にも理由はある.T-双条件文を公理にすると,真理についての諸定理を確立できない,というのがそれである.定理の一つは,真理は整合的である,というものだ.つまり推論規則が真理保存的であると言いたい.すると以下のような原理が必要である.
- 選言が真である iff. 選言肢の少なくとも1つが真である.
- 連言が真である iff. 連言肢が両方とも真である.
- 否定が真である iff. それが否定するものが真ではない.
だが,T-条件文を公理とした場合,これらの諸事例 (instances) を導出することはできても,普遍的原理としての a-c 自体を得ることはできない.他方,a-c を含む幾らかの原理から全ての T-双条件文を得ることはできる.例えば数字 '0' '1' のみを含み,'m=n' の形の原子文から作られる単純な言語を考えよう.「表示」概念を用いて,以下のように原理を追加できる.
- 等式が真である iff. 両辺の数字の表示が同一である.
- '0' の表示はゼロである.
- '1' の表示は一である.
原理 a-f は真理述語の再帰的定義を与える.すなわち,ここからこの言語の全ての (無限個の) 文を導出できる.
もし真理述語をプリミティヴとしていれば,a-f を公理と見なすことになっただろう.他方,真理述語を上記の諸概念の複合物にすぎないと考えるためには,直接的定義 i.e.「文が真である iff. 〜〜」の右辺に真理述語が出現しない定義が必要である.だが Tarski にはそうした方向性への「物理主義」的躊躇があった.幸い Dedekind が,再帰的定義を直接的定義に書き換える方法を既に考案していた.
2.4 直接的定義
もう少し詳しく言うには,先ほどの言語の拡充が必要である.変項 v1, v2, ..., 演算子 +,・を付け加える.変項と定項を原子項と呼ぶ.項が変項を含むとき開いていると言い,そうでないとき閉じていると言う.表示を有するといえるのは閉じた項のみである.項 t の表示を |t| と書く.表示は次のように定義する.
- |0| はゼロである.
- |1| は一である.
- |s+t| は |s| と |t| の和である.
- |s・t| は |s| と |t| の積である.
こうした関数 || は存在し,かつ一意に定まると示せる.(Dedekind の書き換えに必要.)
二つの項を = で結んだ式を原子式と呼ぶ.変項は量化子に「捕まっている」とき束縛されていると言い,そうでないとき自由であると言う.文の真理値は以下のように再帰的に定義される.
- s = t が真 iff. |s| が |t| と等しい.
- ~A が真 iff. A が真でない.
- ∀vA(v) が真 iff. 全ての閉じた項 t について A(t) が真.[その他 A∧B, A∨B, ∃vA(v) を定義する.]
これも同様にして,閉じた式から真理値 {0,1} への関数 g がこの仕方で一意に定まることが示せる.
言語内の閉じた項によって表示されない対象を変項が走る場合,もっとややこしくなる.幾何学の形式言語がこの場合にあたる.非論理的語彙は「間にあること」Bxyzと「合同性」Cxyzwという二つの述語だけである.閉じた項も閉じた原子式もないので先ほどのような定義はできない.そこで Tarski は充足概念を用いて定義を行う (自由変項への点の割り当てによって開いた式の充足を定義する).
2.5 自己参照
幾何学の言語の場合,共外延的だが非同義的な真理定義がありうる.Tarski の成果として,彼の「意味論的」定義における幾何学の言語の真理が,ユークリッド幾何の「統語論的」演繹可能性と一致することがある.算術についてはこれは言えない (Gödel の不完全性定理).
両者の違いは,算術には幾何と違って,形式言語内で形式言語の表現に言及する方法がある,という点に関わる.つまりあらゆる表現 E にコード数 #E を割り当てられ,これが引用のようなものになる.
これによって,或る言語の表現にかかわるいくつかの重要な概念が,当の言語内で表現できる.例えば:
- x は両辺が同一の表示をもつ等式のコード数である.
- x は証明可能な文のコード数である.
また自分自身に言及する文を作ることもできる.「x は属性 Π をもつ文のコード数である」が L の式 P(x) で表現可能なら,自分が Π をもつと事実上述べているような文 Σ を作れる.Σ は,文字通りには,「S(x) なら P(x) である」(ただし S(x) は x が Σ のコード数である場合のみ成り立つ) ということを述べる.このとき
- Σ ⇔ P("Σ").
これは自然言語における次の表現の類比物である:
- (21) 文 21 は属性 Π をもつ.
自己参照を用いることで,Gödel は自分自身が証明不可能であると述べる文を構成し,Tarski は言語 L のいかなる式 T(x) も「x は L の真なる文のコード数である」を表現できないことを示した (任意の T(x) について Σ ⇔ ~T("Σ") なる Σ をつくれる).
2.6 モデル理論
このような一階の言語はモデル理論の主な研究対象である.「統語論的」には,非論理的記号の語彙を指定する必要がある (0, 1, +,・や B, C).論理的な道具をこれに適用することで「未解釈の言語」ができる.「意味論」の側でこれに「解釈」を与える.「解釈」といっても非論理的語彙に意味を指定する必要はなく,外延だけが重要である.
語彙を変えず解釈を変えることで,例えば我々の言語で真であったユークリッド幾何の定理を双曲幾何の定理にすることができる.一般にモデル理論は,同一の未解釈の言語の,解釈に相対的な真理を扱う.これら二つの幾何学は異なる定理の集合をもつが,いくつかの定理を共有する.論理的真理をあらゆる解釈において真である文として特徴づけることを提案したのも Tarski であり,真理論のその他の基本的な材料も多くは Tarski に由来する.