アリストテレス研究の方法と存在論への適用 Aubenque (1962) Le problème de l'être chez Aristote, Avant-propos

  • Pierre Aubenque [1962] (2013) Le problème de l'être chez Aristote: Essai sur la problématique aristotélicienne. Presses Universitaires de France.
    • Avant-Propos. 1-17.

Uniterian か analytic かで言えば analytic だが発展史にも与しない,体系ではなく個々の問題設定と解決に着目する,という (いま読めば) ごく穏当な立場.


〔方法論の設定〕

かつて Brentano (1862) Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles は,アリストテレス研究に新たなことを付け加えようとする無謀の許しを請うた.100年経ったいま,研究の蓄積はさらに進んでいる.フランスでは Victor Cousin 以来 Ravaisson, Hamelin, Rodier, Robin, Rivaud, Bréhier の研究が続いた.同時にまた新トマス主義ルネサンス哲学史研究に加わり,特にベルギーの A. Mansion とその一門の仕事に結実した.イギリスでは Ross がアリストテレスルネサンスの先鋒となった.ドイツにおける Brentano の仕事は Trendelenburg, Bonitz の哲学史研究の延長線上にある.文献学はまた,哲学者に根本問題の再考を強いている; 1923年以降のアリストテレス研究のほとんど全体が Jaeger への応答だと言ってよい.

とりわけフランスでは,形而上学の研究は,そのほかの自然学や論理学などの研究より少ない.だが〈ある〉の問題については,少なくとも二冊の研究書がある.ひとつは上記の Brentano (1862), もう一つは Owens (1951) である.博捜な後者は,真に新たな探究を不可能にしたかに見えた.

それゆえ,本書が時宜を得たものであると弁明し,本書の意図と方法の独自性を明確にする必要がある.本書は,アリストテレスについて新たなことをもたらそうとするものではなく,むしろ伝統が元々のアリストテレス哲学に付け加えてきたことを忘却する (désapprendre) 試みである.「アリストテレス」という名前で考えられがちなのは,アリストテレスという哲学者ではなく,当人のものであったことが忘れられがちな哲学の残余である哲学素 (philosophème) にすぎない.

こうした生きたアリストテレスの復元が少なくない意味を持つのは,様々な偶然事によって著作が埋もれたという匿名性 (anonymat) が解釈に決定的に影響しているからだ.カントがいくつかの詩と講義録によってのみ知られ,しかるのち教授論文と『純粋理性批判』の二つの版と『オプス・ポストゥムム』がごちゃごちゃになって発見された状況を考えればよい.古代の解釈者でさえ,私たちに対して歴史的特権を有しているわけではないのだ.それゆえ,彼らと別様にアリストテレスを理解するのは,必ずしも彼を現代化することではなく,むしろ歴史的アリストテレスに接近することでありうる.

事態をより深刻にする第二の歴史的状況は,アリストテレス著作が置かれている未完成状態である.そのことはテクストの暗示的文体や展開の首尾一貫しなさ,明記されている計画の実現・問題の解決が見いだせないことからして明らかである.そこで解釈者たちは統一と補完という二重の課題を課されることになった.この課題は当然のものと思われたのかもしれないが,しかし別の哲学的選択肢を隠してきた.統一し補完するとは,事実としてのアリストテレスから権利上のアリストテレス哲学を抽出しようとすることだ.解釈者たちは,テクストを通じてしかアリストテレスを知らないために,彼の失敗よりは達成に注目し,矛盾を釈明し,歴史的な尤もらしさより整合性を優先し,先入見に基づいて体系化したのである.

結果として,19世紀末まで,アリストテレス哲学の体系的性格を誰も疑ってこなかった.とはいえ (形而上学の二重性を指摘した) スアレスの疑念を知っていた体系的解釈は,ますます自身に満足しなくなり,やがてその不満をアリストテレス自身に向けた.Ravaisson の見事な総合の後,アリストテレス哲学の整合性への疑いが現れていたのは確かである.だが,体系的性格自体を疑うより,体系が不整合であると宣言する方が好まれた.Rodier, Robin, Boutroux, Brunschvicg, Gomperz, Taylor はみなアリストテレスの「体系」のうちにプラトン的傾向と反プラトン的傾向の両方を見出している.こうした「体系的」解釈は,自身の失敗をアリストテレスに当たり散らしているのだ.

そのとき―― Bonitz (1842) や Natorp (1888) に準備されてではあるが―― Jaeger の革命的テーゼが登場した.彼は矛盾する意見を異なる時期に振り分け,プラトン主義からの離反という常識に基づいて著作の時系列を決定した.以来 Jaeger の議論はしばしば批判されてきたが,議論が依拠する原理そのものは疑義に付されてこなかった.

Jaeger に始まる発生論的方法一般に対して,私たちは歴史的異論と哲学的異論を提示する.歴史的異論――アリストテレスの書物は彼自身の手になる講義録であり,都度書き換えられている.だが,著作間のみならず著作内の成層の時系列を組み立てる試みは,一般的傾向を示しえず,また恣意的になるだろう.また分割しすぎると,発展のテーゼ自体が,「アリストテレスは一度に全著作を書き上げたわけではなく,教授の目的に従って同心円状に進んでいった」という陳腐な主張になってしまう.

哲学的異論――およそ哲学者の著作内の矛盾は,次の三通りのどれかである: (a) 発展により解消される (たんに見かけ上の矛盾に過ぎなかった場合),(b) 著者の矛盾,(c) 対象の矛盾.Jaeger は正当にも (ないしは少なくとも可能な方法論的前提から) (b) を斥けたが,そこから (c) を考慮することなしに (a) を支持した.もちろん「アリストテレス自身が存在者の矛盾を認めていない」という反論はありうる.だが,そこで問題なのはアリストテレスの議論の哲学的解釈であり,発展史の方法を基礎づけうる事実ではない.テクストの解釈が,そして解釈のみが,時系列仮説の基礎になるのだ.

しかしだからといって,テクストの統一的・体系的解釈に立ち返るべきだとは言えない (Owens のような試みは可能ではあるにせよ).テクストの検討には二通りある.一つは全てのテクストを同一平面上に位置づけ,統一的教説の断片とみなすやり方であり,もう一つは統一性・体系を出発点ではなく目標地点と見なし,整合性を前提せずむしろ問題系 (problématique) とするやり方である.後者を採るなら,著作間の多様性は体系の諸部分ではなく探究の諸契機を表している.それら諸契機を心理的歴史の諸契機とするのは,つねに可能なわけではないし,哲学的に必要でもない.

したがって私たちは,統一性仮説からは,著者が著作全体について永続的な責任を負うという要請を採用する: プラトン主義的アリストテレスの後に反プラトンアリストテレスが続くわけではなく,内部に緊張ないし矛盾を抱えた,ただ一人の,おそらくは二重のアリストテレスがいるのである.また生成論仮説からは,アリストテレスの思考には避けがたく形成過程があり,おそらくは不安定性があるという仮説を採用する.だがその発展を辿るのは困難であるため本書の明示的主題とはしない.

この方法論的選択の帰結として,私たちは教説より問題に注意する.統一が出発点ではなく到達点であり,哲学が様々な擬似証拠への驚きから始まるのであれば,その最初の散らばりから出発しなければならない.伝統的解釈は探究の構造的順序を逆転させていた.(Brentano の順序と違って) アリストテレスは〈ある〉の多義性から出発したわけではなく,徐々にその一義性の放棄を余儀なくされたのだし,可能態/現実態や質料/形相の対立から出発してそれらを諸問題の解決に用いたのではなく,問題の省察を通じて解決の原理 (ないし問題のよりよい定式化) を生み出したのだ.問題は,アリストテレスの叙述の順序が,厳密に言えば説明の順序でも探究の順序でもなく,いわば探究の説明の順序,つまり実際の探究の,教育的意図のもとでの再構成の順序であることにある.再構成は必ずしも忠実でなく,ゆえに読者はしばしばアリストテレスが解決済みの困難を教育上の目的から「問題化」(problématise) しているという印象を受ける.だが体系的解釈のように,アポリア的な箇所を単なる技巧とみなす必要もない.反対にアリストテレスは時おり,自分の当惑の体系化を解法として提示しているからだ.すると,解決に見せかけた探究,探究に見せかけた解決,真の探究,真の解決をどう見分けるべきなのだろうか.

アリストテレスの叙述の順序が当てにならない以上,想定される説明の順序か探究の順序かのどちらかを選ばなければならない.体系的解釈は前者を選んできたが,私たちは後者を選ぶ.後者だけが健全な歴史的方法である: 体系的解釈も発生論的解釈も,思想は長く生きているうちに体系的になると想定しているが,そうとは限らない.しかし問題を提起しそれを解こうと試みたのは確かである.

〔〈ある〉の問題へのその適用〕

上の原理を〈ある〉の問題――「〈ある〉とは何か?」(Qu'est-ce que l'être?)――に適用する.これは全く自然で常識的な問いではなく,アリストテレス以前にも,彼の直後に続く伝統においてもそうしたものとしては問われなかったし,西洋の伝統の外では全然予感されなかった.私たちはアリストテレス的思考のうちを生きているために,この問いのうちなる驚くべき点に注意することを忘れてしまっている.それゆえ,なぜ,どのようにして彼がこれを問うに至ったのかを問うてみるのは興味あることだと思われる.この問いはあらゆる問いの中で最も問題含みである.それは,おそらく決して完全には応答されないであろうという意味でそうであるだけではなく,それが既に私たちがいかにしてその問いを自らに課すのかを知るという問題であるという意味でもそうなのである.この点だけでも私たちの目的は Brentano や Owens の著作と区別される.後者は思想の動機やアプローチを分析の明示的主題として捉えていない.私たちの終着点は Brentano や Owens の出発点であり,また最終的にはアリストテレスは体系に達していないという結論に至る限りで,私たちは彼らの目的自体に疑義を呈することになる.

では,探究の順序を取り出すという方法を,〈ある〉の問題にどう適用すべきか.アリストテレス形而上学の探究の順序を明示していない.『分析論』にそれを求める者もいたが,Met. は演繹的順序に従っておらず,それゆえその未完成のさらなる証拠となるだろう.だが学知が演繹的に進むなら,「第一」の学が全くその規範に従っていないのは奇妙である.(ヘーゲルが強調した) この歪みの理由について自問しなかったために,解釈の伝統は,アリストテレスがアプローチを仄めかしている箇所を無視してきた.そうしたアプローチの一つは問答法のアプローチに似る.それは哲学史の前進のうちに予示され,また諸々のアポリアのうちで息づく.〈ある〉の問題もそうしたアポリアの一つである.この種のテクストを体系的に分析する必要がある.それらだけが,アリストテレスが (しようと思ったことではなく) 実現したことについて教えてくれるからだ.そこから出てくるのはアポリアに取り組むアリストテレス (Aristote aporétique) 像であろう.だがさらに,Met. がなぜ演繹的構造を取り得ないのかを,アリストテレス哲学の内部で理解する必要がある.

注釈者の歴史的権威に反対してそのことを主張する根拠は,アリストテレスの直接的遺産にも見いだされる.Met. は直接的な影響を持たず,ペリパトス派は懐疑主義に陥ることを彼に対する不誠実と見なさなかった.むろんペリパトス派はアレクサンドロスやシンプリキオスより遥かに哲学的センスにおいて劣っていたが,とはいえ,アリストテレスのアプローチのアポリア的側面を忘れるほどセンスを欠いていたわけではないとするのが尤もらしい.