自然学に固有の方法論 Lennox (2015) “How to Study Natural Bodies”

  • James G. Lennox (2015) "How to study natural bodies: Aristotle's μέθοδος" in Mariska Leunissen (ed.) Aristotle's Physics: A Critical Guide, Cambride University Press.

'μέθοδος' という語は各学科特有の方法を指しているという指摘と,後半における Phys. II の読み筋のスケッチが勉強になった.


序論

Phys. の冒頭の議論が示唆するのは,APo. II における探究の枠組みが,自然探究に関するアリストテレスの見解を形作っていることである.すなわち「何であるか」と「なぜ」を目標とし,そこに至る過程に事実を確立する諸段階がある.

こうした枠組みは普遍的であるが,しかし他方で,アリストテレスは領域固有の規範を認めていたように思われる.その固有性は少なくとも三つの事柄に由来する: (1) 研究対象の違い,(2) それらへの我々の認識的アクセスの違い,(3) それらを我々が見る視点の違い.

APo. は質問的枠組み (erotetic framework) を提供するが,実地の研究に必要な領域固有の規範は提供しない.本稿は後者の規範の明示化を試みる.キーとなる概念は μέθοδος である.APo. に登場しないこの語は,特定の探究をいかになすべきかを語る際に極めて頻出する.

I. μέθοδος についての論説

Phys. III.1 の μέθοδος は (a) ある種の human endeavor を指すが,そこから先の解釈は分かれる.他方 De An. I.1 の μέθοδος は (b) a method, a way of proceeding を指す.

PA I.1 では (a) の意味で用いられる.I.4 の用法と合わせて考えれば,ここで θεωρία が ἐπιστήμη または παιδεία の探究対象を強調する概念であるのに対し,μέθοδος は探究様式を強調する概念である.他方 (b) の用法は I 巻末尾に見られ,ここでは同巻で「μέθοδος の τρόπος」を論じてきたと述べられている.ここからして,μέθοδος は特定の norms ないし standards に基づき行われる探究を指すと思われる.

では,自然に関する μέθοδος とはいかなる μέθοδος なのだろうか?

II.「自然に関する我々の μέθοδος」

Phys. 冒頭は PA 冒頭と同様,μέθοδος についての一般論を特定領域に適用するところから始める.そして我々によりよく知られることから本性上 (i.e. 知る者の状態による認識的相対化なしに) よりよく知られることへと向かうとする.

では,自然に固有の μέθοδος とは何になるのか? 幾つかのテクストを見て解答を探すことにする.

『メタフュシカ』E1

E1 では〈あるもの〉としての〈あるもの〉の学知の候補として (なぜか) 自然学が挙げられる.自然学は理論学のうち運動可能なもの,そして大抵の場合に οὐσίαν τὴν κατὰ τὸν λόγον なものの研究である.この οὐσία は形相のことだと一般に考えられているが,これが直後に τὸ τί ἦν εἶναι と言い換えられた上で,τί ἐστι の一部は ὡς τὸ σιμὸν だと主張されている点は注意を要する.別所で論じた通り (Lennox 2008, 2010) 結合体の説明は質料・形相の両側面に言及しなければならない.

研究対象がこのように規定されたとき,いかなる研究方法は適切となるのか,という点が,Phys. II.2 で論じられる.

『自然学』II.2 とシーモス的探究

II.1 が質料・形相という自然の二通りのあり方・語られ方を示したことを受けて,II.2 は自然学の統一性の前提となる自然的事物の統一性を示すことを試みる.ここではプラトニストに反対して自然的事物を分離することは数学的対象より困難であると語られ,E1 と同様にシーモスが引き合いに出される.

他方それを受けて,191a15-17 では,仮に存在論的に分離していないにしても,いかにして単一の科学が二つの非常に異なる自然本性を研究できるのか,と問われる.これに対する解答は 194a21-27 にある: 質料的自然は形相的自然のためにあり,形相的自然を参照しつつ定義される.質料・形相は,前者が後者のためにあるという目的論的依存関係がある限りで,その各々が自然学者の探究の対象となる (194b9ff.).この依存関係の存在は II.8 で擁護される.

なお目的論的依存関係の発見が探究規範として明示される箇所として,cf. Resp. 3. 471b23-29, IA 704b11-17.

統一的自然学の存立可能性を目的論的依存関係に基づくものとすることで,II.2 末尾は暗黙のうちに「何であるか」の探究を因果的探究に根拠づけている.これはまさに APo. II の質問的枠組みから予想されることである.これを受けて II.3 冒頭は APo. I.2, II.11 を思わせる仕方で自然探究における「何のゆえに」の重要性を述べる.

ただし一般論を離れ自然探究に関する議論になるのは II.7 においてである.ここでは (悪名高い) 形相・動者・目的の一致テーゼが述べられ,また E1 とは別の仕方で自然学の他学科との区別がなされる: ここでは天文学が前者に含まれる.おそらく眼目が第一動者とそれ以外の区別にあるからだろう.

II.7 の結語では自然が (οὗ ἕνεκα ではなく) ἕνεκά του だと述べられる.ここでは自然とは,目的と区別された,運動の始源としての自然である.この区別は,再び,自然的実体の目的論的統一性の観点からして重要である.

質料と形相の関係を目的論的に見ることは,必然性の新たな見方を可能にする (II.9).そこでは (自然の μέθοδος の規範として) 目的因の優先性が主張される (200a30-35).ここでも原因と定義は緊密に結びついている.他方で質料も無視されない (200b4-8).実地の生物学的研究でもこの規範は採用されている (PA II.9, II.1).

III. 結論: 自然学的 μέθοδος は一つか,多数か?

我々は Phys. III の μέθοδος から話を始めた.アリストテレスは,そこで論じる運動変化全般の議論を「共通で普遍のもの」とし,固有の事柄の研究に先立つとする (200b21-25).『自然学』はしたがって,自然科学の概念的基礎を扱う著作と言える.方法論が概念的というのではなく,そこで扱う諸概念が個別研究に前提されるという意味で,そうなのである.個別研究は他方で,各々に固有の規範を持ちうるだろう.

Phys. I.2-3 では,変化があるかどうかの探究は自然学者に属さないと述べられていた.だが変化の何であるかは探究の対象であり,また無限・空虚・時間・場所といった他の概念については,それらがあるかどうか,どのような意味で「ある」のか,も正当に考察対象となりうるのだ.