『分析論』の発展史,あるいは論証理論の項論理学からの独立性 Barnes, "Proof and the Syllogism"

  • Barnes, Jonathan "Proof and the Syllogism" in E. Berti (ed.), Aristotle on Science: The Posterior Analytics. Padua: Antenore. 17–59.

『前書』と『後書』の関係を発展史的観点から検討した論文。現在伝えられる『後書』の内容は『前書』の項論理学 (Syllogistic) を当然いくらか前提するとしつつも,その論証理論 (Apodeictic) の根幹は項論理学と独立であると論じ,論証理論 (および『後書』のプロトタイプ) の実際の成立時期も項論理学 (および『前書』) に先立つと推定する。

自分は主張の当否を云々する資格を持たないけれど,尤もらしくは聞こえる。「論証理論を項論理学の不毛さから救う」というモチベーション自体はよく理解できるし,その方向で試す価値はあるよ,という提案としては魅力的と思う。(まずは字面通りに『後書』の理論を理解するべきであることは大前提としても。)

長めの論文なので,あらすじのみごく簡単にまとめる。

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三種類の原理: 公理・定義・基礎措定 McKirahan, Principles and Proofs #3

  • McKirahan, Richard D. Principles and Proofs: Aristotle's Theory of Demostrative Science. Princeton: Princeton University Press. 36-49.

各パッセージごとに訳,訳注 (note on translation),検討 (discussion) という形式になっているので,それを反映して要約する。訳にもなるべく Mc. の解釈を反映させる。疑問点などは脚注に回す。

本章では以下の箇所が検討される: A1 71a11-17, A2 72a14-24, A10 76a31-41, b3-22, b35-77a4, A32 88b27-29.

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アリストテレスの前置詞用法のコイネー的傾向 Stevens, "Aristotle and the Koine: Notes on the Prepositions"

  • P. T. Stevens (1936) "Aristotle and the Koine: Notes on the Prepositions", CQ 30, 204-217.

アリストテレスの言語に見られるアッティカ方言とコイネーの間の過渡的性格を,前置詞の用法から明らかにする論文。具体的には (1) 前置詞の用法,および前置詞が支配する格において融合 (syncretism)*1 が生じていること,(2) 属格名詞や形容詞の代わりに前置詞を用いる迂言法 (periphrasis) の増加,(3) 副詞などの前置詞への転用,がアリストテレスの後古典期的な特徴として見られるという。


*1:これは言語学の術語であるようだ。

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古代の定義論の諸問題 Charles, "Introduction" in Definition in Greek Philosophy

  • Charles, David (2010) "Introduction" in Definition in Greek Philosophy, Oxford: Oxford University Press. 1-28.

ギリシア哲学における「定義」の問題を扱った比較的最近の論文集の序論である。言うまでもなく主題への導入と各論考への導入とを兼ねているが,Charles は丁寧なことに節ごとに両者を区別して立項している。ここでは前者のみ要約する。

論点が多数枚挙されており,どれも大問題と言ってよい。しかし特に Ar. に関する論点は『後書』の定義論を学ぶ上で不可避だろう。まあなんとか見通しをつけていきたい。


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論証の原理が満たすべき諸条件 McKirahan, Principles and Proofs #2

  • McKirahan, Richard D. Principles and Proofs: Aristotle's Theory of Demostrative Science. Princeton: Princeton University Press. 21-35.

コメンタリー形式なので要約しにくいが,とりあえずテクストと対照させるやり方でまとめていく。

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今週読んだ本

『思想』

「感情の歴史学」特集。フレーフェルト「屈辱の政治: 近代史における恥と恥をかかせること」: 国家や個人による辱めに対する意識の近代史における変遷を辿る。1800年前後にひとつの分水嶺があり,それ以降国家による辱めは忌避されるようになったとする。1970年代以降の自意識の肥大というテーゼは興味深いが論拠不明。平山「『体験』と『気分』の共同体: 20世紀前半の伊勢神宮明治神宮参拝ツーリズム」: 戦前日本における伊勢・明治両神宮の参詣をめぐる全体的気分の醸成を跡付ける。「何事のおはしますかは知らねども」という西行の歌が参拝体験を表すクリシェとして機能したしだいの叙述など中々辛辣でよい。そのほかプランバー「恐怖: 20世紀初頭のロシア軍事心理学における兵士と感情」,特集外の論文としては水野「戦後初期オーストリアにおける国民形成のダイナミズム: 戦争犠牲者援護政策にみる妥協の論理」が面白かった。

『論証のレトリック』

『弁論術』のあんちょこ本。特に「アリストテレスのレートリケー理論の概観図」(66-7頁) や巻末付録が便利。ディアレクティケーや形式論理学との関連にも軽く触れている。

今週読んだ本

フロイト全集 5』

『夢解釈』の後半部。第6章「夢工作」はややマンネリ気味。第7章「夢過程の心理学にむけて」は他の章に輪をかけて思弁的だが面白いのは面白い。心理学史的背景を知りたくなる。

『正義・ジェンダー・家族』

フェミニズム的観点から政治理論の枠組みで特に家族制度における正義を論じたもの。第2章では問題そのものが成り立つことを (サンデル,ブルームの批判を通じて) 弁証し,第3-5章ではその観点から既存の理論 (ウォルツァー,マッキンタイア,ノージックロールズ) を検討する。第6章は所謂「公私二元論」についていくつかの視点から批判を加え,第7章は現実の家族制度において女性が抱える (経済的その他の) 脆弱性について論じる。

簡単に所感を述べると,2-3章の批判パートは特に辛辣で,もう少し charitable に読めるのでは,という気もするが,まあ批判対象を読まないと何とも言えない。とはいえ古典を読むときに差別的想定に sensitive になるべきというのは一般論として正しいだろう。4章の「ノージックの議論からは母系奴隷制が帰結する」という議論は何というか大変哲学らしくて良い。ロールズについては,一方でその具体的構想において家族制度が正当に顧慮されていないことを批判しつつ,他方で根本的な方向性や「二原理」・無知のヴェールといった道具立てについてはそのフェミニスト的ポテンシャルを評価する,という結論を出しており,ごく穏当と思われる。「個人的なことは政治的である」というスローガンが代表する公私二元論批判については,その最もラディカルな解釈 (区別の全面的な破棄) からは距離を置きつつ,(1) 家庭生活における権力の重要性,(2) 公的権力は常に何らかの仕方で家族に介入していること,(3) 養育における家族のジェンダー化機能,(4) 性別分業の結果として二元論的想定は家庭外の領域への女性の進出を妨げること,の四点から支持する。この辺りあまり要点を理解できていなかったので勉強になった。第7章の議論の焦点となっているのは勿論80年代アメリカだが,mutatis mutandis に現代日本にも妥当するだろう。

『国家と秘密』

特定秘密保護法の法案成立を受けた形で刊行された本。日本の公文書管理 (の立ち遅れ) の歴史と現状が平明に解説されている。特定秘密保護法にかんしては最終章で論じられる。なんというか,こういう本を刊行時にぱっと読める瞬発力を身につけたい。