『分析論』の発展史,あるいは論証理論の項論理学からの独立性 Barnes, "Proof and the Syllogism"
- Barnes, Jonathan "Proof and the Syllogism" in E. Berti (ed.), Aristotle on Science: The Posterior Analytics. Padua: Antenore. 17–59.
『前書』と『後書』の関係を発展史的観点から検討した論文。現在伝えられる『後書』の内容は『前書』の項論理学 (Syllogistic) を当然いくらか前提するとしつつも,その論証理論 (Apodeictic) の根幹は項論理学と独立であると論じ,論証理論 (および『後書』のプロトタイプ) の実際の成立時期も項論理学 (および『前書』) に先立つと推定する。
自分は主張の当否を云々する資格を持たないけれど,尤もらしくは聞こえる。「論証理論を項論理学の不毛さから救う」というモチベーション自体はよく理解できるし,その方向で試す価値はあるよ,という提案としては魅力的と思う。(まずは字面通りに『後書』の理論を理解するべきであることは大前提としても。)
長めの論文なので,あらすじのみごく簡単にまとめる。
I〔問題の導入〕
発展史的な問題は今日ではそれほど熱心に論じられないが,こと『分析論』に関しては課題が残されている。第一に〔『後書』は『前書』を前提するという〕一般的な想定が誤っているからであり,第二に発生論的問題 (genetic problem) は次の二つの重要な哲学的論点に関わるからである。
II〔先後関係の区別〕
混乱を避けるため,四つの先後関係 (priority) が区別されねばならない。
- 教育上の先後関係 (didactic priority): 教える上でどちらの理論が先立つか,あるいは独立か。
- 理論的先後関係 (theoretical priority): 理論間の論理的・本質的な依存関係。
- 発見上の先後関係 (priority in discovery): Ar. がどちらの理論を先に発案したか,同時だったか。
- 著述の先後関係 (priority in composition): 『前書』と『後書』のどちらが先か。
III〔術語の整理〕
初歩的だがしばしば不正確に論じられてきた事柄を確認する。まず,《推論》(Inference),《演繹》(Deduction),《三段論法》(Syllogism) の概念を導入する。(準術語的性格を示すため capitalise されている。)*1
- 《推論》とは命題の集合と命題の順序対 \( < \lbrace p_1, p_2, ..., p_n \rbrace, c > \) のことである (\( n \geq 1 \))。ただし (1) \( c \) は \( \lbrace p_1, p_2, ..., p_n \rbrace \) から必然的に帰結するものとする。
- 《演繹》とは《推論》\( < \lbrace p_1, p_2, ..., p_n \rbrace, c > \) のうち (2) \( c \) が (仮に成り立つとすれば) 各 \( p_i \) が成り立つがゆえに (because) 成り立つものである。(cf. APr. A1, 24b18-20.)
- 《三段論法》とは《演繹》\( < \lbrace p_1, p_2, ..., p_n \rbrace, c > \) のうち (3) \( n=2 \) であり,また (4) \( p_1, p_2, c \) が項論理的形式 (Syllogistic form) を取るものである。
- 命題が \( (O) AxB \) の形のとき,項論理的形式を取るという。(ただし \( A, B \) は項,\( x \) は \( a, e, i, o \) のいずれか。\( O \) は必然または可能を表す様相オペレータで,なくてもよい。)
《演繹》にあたる Ar. の術語は συλλογισμός である。これを「三段論法」(syllogism) と訳すところから色々の誤解が生じている。「全ての《演繹》は《三段論法》である」と確かに Ar. は主張するが,それは定義ではなく,証明を要するメタ定理である。(そしてしかし,実際にはこれは偽なる命題である。)
論証 (ἀπόδειξις) は《推論》\( < \lbrace p_1, p_2, ..., p_n \rbrace, c > \) であって,かつそれを持つ人が結論を知っているようなものである。具体的には \( \lbrace p_1, p_2, ..., p_n \rbrace \) は原理 (ἀρχή) (およびそこからの帰結: cf. Top. A1 100a27-9) であるとき,そうである。
IV〔教育的先後関係〕
『前書』が『後書』に教育上先行することを Ar. は意図していた。このことは広く合意されてもいる。
V〔理論的先後関係〕
それなら,『前書』は理論的にも先行するのではないか。だが,論証理論と項論理学の関係はある意味では皮相である。論証は《演繹》でなければならないが,《三段論法》である必要はないからだ。そして実際,項論理学が論証理論に掛ける形式的制約は重要ではない。第一に,原理は無中項である (immediate, ἄμεσος) という制約は,実質的に「より先の (prior)」という条件の明確化以上のものではない。第二に,原理の普遍性 (universality) という制約も,別段項論理学による明確化を要しない。(理論的にはむしろ邪魔になりうる。)
従って,項論理学が論証理論に用いられているという点では確かに理論的に先行するが,この依存関係は本質的なものではない。
VI〔発見上の先後関係〕
論証理論は実際に項論理学より先に着想された,とする三つの論証を挙げる。〔最初のものが一番弱く,最後のものが一番強力である。〕
(A) 第一の論証
『後書』にはプラトニズムの影響が見られる。プラトニズムはより初期の著作であることのしるしである。従って,論証理論はより先である。〔省略。〕
(B) 第二の論証
『後書』のいくつかの箇所は項論理学が理論とやや整合していない箇所がある。
- B11. 目的の説明は (1) 単称命題の説明になる上,(2) 目的因は中項にならない。 ii. A3. 循環論法の説明のうち,項論理学による説明はただの付け足しとみなせる。 iii. 「等しいものが等しいものから引き去られる」や「これこれが実在する」は項論理学で表現不可能。(ただしこれは決定的ではない。)
(C) 第三の論証
『トピカ』は論証理論を知っていたが,項論理学は知らなかった。〔省略。ただし Barnes も述べるように,特に後者は SE の跋文からして蓋然性が相当高いと思う。〕
VII〔著述の先後関係〕
『分析論』が単一の著作である以上,著述の先後関係を云々するのは無意味と思われるかもしれない。だが第三の問いへの解答からして,『後書』の初期ヴァージョンが『前書』より先に書かれたと考えるのは合理的である。
絶対的年代としてはいつ頃か。学者たちは 340年代に置くが,強い根拠はない。『トピカ』『ソフィスト的論駁』の成立が 350 年頃とすると,『後書』はそれ以前,『前書』はそれ以後とすべきだろう。
VIII〔結論〕
論証理論が項論理学から分離可能であるとすると,I で提起された二つの問題は,論証理論そのものの欠陥ではないことになる。従って,この線で論証理論の真価を再評価することもできるだろう。
恐らく Ar. 自身は,項論理学を,論証理論に厳密さを加える創意であると考えていた。項論理学を発明したとき,それを評価するだけの時間が Ar. には既に残されていなかった,という想像も可能である。