複合的普遍から単純な普遍への探究 Konstan (1975) "A Note on Physics 1.1"

  • David Konstan (1975) "A Note on Aristotle Physics 1.1" Archiv für Geschichte der Philosophie 57 (3), 241-245.

周知の通り,Phys. I 1 の τὸ καθόλου と τὰ καθ' ἕκαστα は,各々 'universal', 'particulars' と解釈するのではうまくいかない.ここでは,前者から後者へと探究すべきだと述べられているからだ.

Ross の解釈によれば,各々の意味は,一般的特徴の把握 (ある馬が「動物である」こと) と特殊の特徴の把握 (ある馬が「馬である」こと) である.前者の認識は後者に時間的に先行する.子供の事例もこのことを示すものである.子供はまず最初に,すべての男性・女性に共通する特徴を認識するのであり,その時点では彼の父母に特殊な現れに気づいていない.だから,全ての男性・女性を父・母と呼ぶのである.

だが,Ross の解釈には二つ難点がある.(1) 動物−馬の関係は,人全般−特定の人の関係とは異なる.(2) 他にも多くの解釈者が見逃しているのだが,アリストテレスは "children call all men fathers and all women mothers" (τὰ παιδία ... προσαγορεύει πάντας τοὺς ἄνδρας πατέρας καὶ μητέρας τὰς γυναῖκας) と述べており,単数形ではない.つまり,ここで父・母は一般名辞であると考えられる.そうだとすると,「子供には自分の父母を識別する能力がない」という考えをアリストテレスに帰する理由はない.むしろ,「この子供は,父・母というもの (fathers and mothers) が男性・女性と総じて異なるということを知らない」と述べているのである.すると,τὸ καθόλου と (男性・女性) τὰ καθ' ἕκαστα (父・母) はどちらも普遍である.この解釈は,前者が ὅλον τι であり συγκεχυμένα, 後者が μέρη だという主張にも沿っている.

もう一つの事例である κύκλος とその λόγος / ὁρισμός の事例についても,解釈が分かれている.第一に κύκλος が円を意味するなら,その λόγος とは数学的定義である.だが,この解釈に従うと,両者が部分−全体関係をなす理由がよく分からなくなる.そこで第二に,Ross によれば,κύκλος は多義語,λόγος はその多様な意味を指す.しかし,こう理解すると,子供の事例との関連がなくなってしまう.

そこで,第三の解釈を提示する.すなわち κύκλος とは a circular thing の謂である.「輪」は未定義の複合物だが,これを (金属のような) 質料と円という形相とに分けることで説明 (λόγος) を与えることができる.

なお Tannery "Sur un point de la méthode d'Aristote", pp.470f. は,本箇所と Phys. I 7 冒頭との関連を指摘している.Tannery 自身の解釈は込み入りすぎだが,確かに I 7 の単純 / 複合の対は,以上の解釈における τὸ καθόλου / τὰ καθ' ἕκαστα の対と正確に対応する.

第1章冒頭の ἀρχαί とは,経験される複合的普遍を構成する基本的な普遍のことだ,ということが,この解釈から示唆される.同章はしたがってI巻における自然的原理の探究のきわめて適切な導入をなしているのである.