Alex. の注解における論証的学知としての存在論 Bonelli (2010) "Alex. on the Science of Ontology"

  • Maddalena Bonelli (2010) "Alexander of Aphrodisias on the Science of Ontology" in Frans A. J. de Haas, Mariska Leunissen & Marije Martijn (eds.) Interpreting Aristotle's Posterior Analytics in Late Antiquity and Beyond, Brill, 101-121.

多分 Bonelli (2001) の縮約版.


1. 序論

(T1) λαμβάνει πρῶτον μὲν τὸ εἶναί τινα ἐπιστήμην περὶ τὸ ὂν ᾗ ὄν, τουτέστι τοῦ ὄντος ᾗ ὄν θεωρητικήν τε καὶ ἀποδεικτικὴν τῶν τούτῳ τῶν ἐκείνῳ καθ᾽ αὑτὰ ὑπαρχόντων ἐστὶν ἀποδεικτική. (Alex. In Met. 239, 6-8)

ここでは存在論 (science of being qua being; ontology) が ἀποδεικτική と言われている.この解釈を可能にしたのは,Alex. による APo. の学問方法論の存在論の適用である.以下,この適用の仕方を示す.

2. 〈ある限りのあるもの〉の学知へのアリストテレスの学問モデルの適用

APo. I 7 では論証の三要素が挙げられる: (自体的に成り立つ) 結論,公理,(それに属性が自体的に属するところの) 基礎に置かれる類.Alex. は Β-Γ の注解で,これら三要素が哲学に見られることを示そうとする.

2.1 哲学的学知の類

Arist. は〈ある限りのあるもの〉の学知を部分的諸学知と区別する (Γ, Ε).Alex. はこれに以下の興味深い解釈を加えている:

  1. ὄν に存在的意味を帰属する.
  2. ᾗ ὄν という修飾句を,哲学が ὑπάρχοντα καθ᾽ αὑτά を扱う方法の特徴と見なす.
  3. τὸ ὄν を準-類と見なす.

2.1.1 ὕπαρξις としての ὄν

Alex. は ὄν を存在的に理解する (In APr. 15.17-19).Γ の〈一〉と〈ある〉に関する議論 (1003b22-25) の注解で,彼は次のように論じる:

(T2) κατὰ διάφορον δὲ ἐπίνοιαν τό τε ὂν καὶ τὸ ἓν κατηγοροῦμεν, διὰ μὲν τοῦ ὂν εἰπεῖν τι τὴν ὕπαρξιν σημαίνοντες αὐτοῦ, διὰ δὲ τοῦ ἓν τὸν ἀπὸ τῶν ἄλλων χωρισμὸν καὶ τὸν ἀπὸ τοῦ πλήθους. (247.18-20)

In Met. の ὕπαρξις は 'existence' の意味である (cf. In Met. 371.22ff. (Δ7)).

2.1.2 「存在者である限りで」

「存在者である限りで」という仕方で取ると,あらゆる存在者が単一のクラスになり,これが第一哲学の対象となる.

2.1.3 存在するものの類

Alex. は間カテゴリー的な「ある」の同名異義性によって存在者が広義の (κοινότερον) 類をなすとする.κοινότερον な類は単一の自然本性に従って相互に「関与する κεκοινώνηκεν」ものどもからなる.あるものどもの場合,存在者は実体に存在的に依存する (existential dependence).

Alex. は以下の例を用いて,この類が単一の学知の対象となることを説明する (In Met. 245.5ff.):

  1. 視覚が白を知覚するとき,視覚は白と同じ自然本性に関与するすべての対象 (他の色) も知覚する.
  2. 文法学が鋭アクセントをもつ語を考察するとき,文法学はそれと同じ自然本性に関与するすべての対象 (すべての語) を考察する.
  3. 哲学者が実体を考察するとき,哲学者はそれと同じ自然本性に関与するすべての対象 (他の存在者) を考察する.

だが Alex. の議論は説得的でない.白と他の色は同じ自然本性をもつが,実体とその他の存在者の間には依存関係が成り立っている.x が y の説明の一部をなすからといって,x の学知に携わる者が y の学知に携わるとは限らない.

2.2 ὑπάρχοντα καθ᾽ αὑτά

τὸ ἕν と τὸ πλῆθος,およびその種である ταὐτόν, ἴσον, ὅμοιον, ἕτερον, ἄνισον, ἀνόμοιον は πάθη καθ᾽ αὑτά (1005b5-6) ないし ὑπάρχοντα τῷ ὄντι ᾗ ὄν (1005a13-14) と呼ばれる.

Alex. はΒ巻における実体の συμβεβηκότα καθ᾽ αὑτά (= ὑπάρχοντα καθ᾽ αὑτά) のアポリアの注解において,ὑπάρχοντα καθ᾽ αὑτά を二種類に分ける (In Met. 176.19-30):

  1. 実体の定義に収まる (fit into) もの (τὰ ἐν τοῖς ὁρισμοῖς παραλαμβανόμενα) と (こちらが κυρίως),
  2. ἀχώριστα, ἴδια, ἐγγὺς οὐσιώδη (almost of the essence) な συμβεβηκότα καθ᾽ αὑτά.
    • 後者の例: 2R (三角形の), 2つの角が残りより大きいこと (三角形の),偶または奇であること (数の),一つであること (τόδε τι の).

二種類の定義は APo. I 4 の2つの自体性に対応する.τὸ ἕν は後者の意味で自体的付帯性であり,他も同様 (250.13-17).これら ὑπάρχοντα καθ᾽ αὑτά が哲学に属するのは,存在者に共通だからであり,また哲学的論証の共通のツールだからである.

2.3 哲学的学知の諸公理

諸公理の学知に関し,Alex. は Arist. の叙述を超えて,哲学が公理に関わるのみならず,それらを用いもすることを示そうとする.Alex. は哲学者-問答家-ソフィストの区別の議論 (Γ2, 1004b17-26) の注で,問答家はエンドクサから推論し哲学者は真理から推論すると論じる.Alex. が真理ということで念頭においているのはあきらかに公理である.彼は無矛盾律排中律に加え量に関わる (ἴσον に言及する) 諸公理にも言及する.

Γ の注解では,諸学知が共通公理を用いるのはそれが存在者を扱うからだと説明する (265.24-25).この Alex. の説明によるなら,共通公理は存在者が存在する限りで真だということになってしまう.これは「ある」を存在に還元することで生じる問題である.同様にして,共通公理が「ありはしない」ものにどう当てはまるのかという問題も生じる.

3. アレクサンドロスの注解における論証の例

Alex. による一と存在者の相互含意の議論 (Γ2, 1003b22-36) の分析を見る.Arist. と Alex. ではテクストが異なる:

  • Arist.: ταὐτὸ γὰρ εἷς ἄνθρωπος καὶ ὢν ἄνθρωπος καὶ ἄνθρωπος1,
  • Alex.: ταὐτὸ γὰρ εἷς ἄνθρωπος καὶ ἄνθρωπος, καὶ τὸ ὢν ἄνθρωπος ταὐτὸν τῷ ἄνθρωπος εἴη ἄν, ὥστε καὶ ἀλλήλοις ταὐτά.

Alex. の議論 (247.32-35) は三通りに理解できる:

  1. (i) 一人の人間 = 人間,(ii) 存在する人間 = 人間,ゆえに (iii) 一人の人間 = 存在する人間. (同一性)
  2. (i) 一人の人間 ⇔ 人間,(ii) 存在する人間 ⇔ 人間,ゆえに (iii) 一人の人間 ⇔ 存在する人間. (述語の含意関係)
  3. (i) 「一人の人間」は「人間」と同じものを指示する (true of the same things),(ii) 「存在する人間」は「人間」と同じものを指示する,ゆえに (iii) 「一人の人間」は「存在する人間」と同じものを指示する.(cf. 247.35-6)

これはエウクレイデスの推移性の議論を実体に適用した例である.ただし公理の使用において類は限定されている (In Met. 265.14-25).それゆえ公理は10ヴァージョンあることになる.

他方,in APr. では別の用法が議論される.

τοιοῦτόν ἐστι καὶ τὸ ἐν τῷ πρώτῳ τῶν Εὐκλείδου Στοιχείων θεώρημα τὸ "εἰ τῇδε ἴση· ἀλλὰ καὶ ἥδε τῇδε· καὶ ἥδε ἄρα τῇδε ἴση"· καὶ γὰρ τοῦτ᾽ἀληθές μέν, ἀλλ᾽ ἐνδεῖ ἡ καθόλου πρότασις, ἵνα συνάγηται συλλογιστικῶς· ἔστι δὲ αὕτη "τὰ τῷ αὐτῷ ἴσα καὶ ἀλλήλοις ἐστὶν ἴσα".

この議論は,論証のために普遍的前提命題が必要であることを示している.哲学的論証も同様に,普遍的公理に究極的には依存するものとみなせる.

4. 結論

以上の仕方で Alex. は Arist. 存在論が論証的学知であると考えた.これはプロクロス,デカルトライプニッツスピノザ,ある種の「分析」哲学にまで影響を及ぼした見方である.


  1. E, J1.