哲学者/問答家の対立と問答法の二側面 Berti (1997) "Philosophie, dialectique et sophistique"

  • Enrico Berti (1997) "Philosophie, dialectique et sophistique dans Métaphysique Γ 2" Revue Internationale de Philosophie 51(201), 379-396. [réimprimé dans Berti (2004) Nuovi studi aristotelici I: Episemologia, logica e dialettica, Morcelliana, 283-297.]

1. 問題

  • Γ2, 1004b17-26 では哲学・問答法・ソフィスト術が区別されている.形而上学の問答法的性格を言う解釈 (Le Blond, Weil, Owen, Lugarini, Nussbaum, Irwin) にとって,この区別は問題になる.
    • Irwin は pure dialectic と strong dialectic を区別し,Γ2の問答法を前者と見なす.
  • 矛盾は著作内に存在する: B1 (διαπορῆσαι καλῶς の必要性); Top. I 2 (διαπορῆσαι の哲学的有用性).これらと Γ2 をどう調停するか.

2. 解決の最初の試み

  • Irwin の解法は,明示的に言われる「問答法」が「弱い」とする点,および (Γ2 における併存とも整合しない) 発展史観を前提する点で問題がある.
  • むしろ,Rossitto 1978; 1993 の解決を採りたい.いわく,Γ2 の「問答法」はプラトンのそれであり,これに (それ自体問答法的に論じられる探究である) 第一哲学が対置されている.
    • この解釈は,Γ2 を B1 の第5アポリア (995b20-27) への応答とする分析,および「問答法は多義性の分析を道具とする」という Top. の主張に基づく.
      • B1: "... περὶ ταὐτοῦ καὶ ἑτέρου καὶ ὁμοίου καὶ ἀνομοίου καὶ ἐναντιότητος, καὶ περὶ προτέρου καὶ ὑστέρου καὶ τῶν ἄλλων ἁπάντων τῶν τοιούτων περὶ ὅσων οἱ διαλεκτικοὶ πειρῶνται σκοπεῖν ἐκ τῶν ἐνδόξων μόνων ποιούμενοι τὴν σκέψιν, τίνος ἐστὶ θεωρῆσαι περὶ πάντων" (995b20-27)
        • 挙げられている考察対象は Parm. やとりわけ Sph. のそれ.
      • Γ2: "καὶ οὐ ταύτῃ ἁμαρτάνουσιν οἱ περὶ αὐτῶν σκοπούμενοι ὡς οὐ φιλοσοφοῦντες, ἀλλ᾽ ὅτι πρότερον ἡ οὐσία, περὶ ἧς οὐθὲν ἐπαΐουσιν" (Γ2, 1004b8-10).
        • この応答は,(1) 自分が哲学していると正しく考えているが,(2) 実体の先行性を認識していない問答家を対象とする.(contra Tricot, C-N, Reale: ソフィスト).それはすなわちプラトンとその一派である (哲学と問答法の同一視,〈ある〉〈一〉とその諸形相の探究,〈ある〉の多義性の無視).(cf. A6, 987b29-33; M4, 1078b23-27.)
      • 〈ある〉の多義性の無視については N2, 1088b35-a10. Γ2, 1004b22-31 では諸義の区別の必要が語られる.区別の手続きは Top. I 13, 15 で問答法の方法として示されているものと同じである (多義性の区別,説明規定どうしの関連づけ).(プラトンの) 問答法が πειραστική に留まるのもこの理由による.
  • だが,この解釈にも問題がある.
    • まず "οἱ γὰρ διαλεκτικοὶ καὶ σοφισταὶ τὸ αὐτὸ μὲν ὑποδύονται σχῆμα τῷ φιλοσόφῳ" という特徴づけは,問答家の欺瞞性を言っているように見える.ὑποδύειν はつねに軽蔑的含意をもつ (Gorg. 464c-d; Rhet. I 2, 1356a27-28).
    • また ἐκ τῶν ἐνδόξων μόνων とか πειραστική という規定がプラトンに当てはまるかは問題である.他のアカデメイア派の人間にも同定し難い.
  • 別の読みも取りにくい.例えば ταύτῃ を περὶ αὐτῶν σκοπούμενοι に掛けるなどしてもポイントがわからない.
  • そもそもアリストテレスにとっての問答法の意義とは,というところから考え直してみる.

3. その後の掘り下げ

  • Top. I 1 によれば,問答法は (a) (問う側の) συλλογίζεσθαι περὶ παντὸς τοῦ προτεθέντος προβλήματος ἐξ ἐνδόξων と (b) (答える側の) αὐτοὶ λόγον ὑπέχοντες μηθὲν ἐροῦμεν ὑπεναντίον からなる.
    • (a) は知識をもつと称する人に対して πεῖραν λαμβάνειν する πειραστική である (SE 11, 171b3-6; cf. 8, 159b25-27).SE 2, 165a3-6 における試問術と問答法の並置は真正の並置ではない.
    • 試問術が (a) にあたることは SE 34, 187a37-b1 からも確認できる.他方,その直後の b1-8 では (b) の説明がなされる.こちらについては τῆς σοφιστικῆς γειτνίασις が言われている.
      • SE ではまずソフィスト的論駁の諸種が列挙され (3-15) 次いでそれらが単にソフィスト的であることを暴くやり方 (λύσεις) が論じられる (16-33).λύειν の作業はソフィスト的論駁から主張を守る側に属する.ゆえに (b) の実質はそうした λύειν に存する.
  • ソフィスト的論駁の原因の一つは同名異義性である.ゆえに諸義の区別が λύσις に資する.
  • すると,Γ2 における問答家批判は,彼らが (a) しか行っておらず,(b) にあたる〈ある〉の諸義の区別と実体の優位性の認識を行っていない点に存すると思われる.
    • (b) のおかげで,問答法は γνωριστική により ὡς εἰδώς に遂行されうる.それゆえ問答法と哲学の対立関係は,哲学における問答法的手続きの使用 ((a) PNC 擁護,(b)〈ある〉の諸義の区別) を排除しない.
      • 哲学における (a) につき EE I 3, 1215a3-7; DC I 10, 279a5-7; Γ4, 1006a11-18 (論駁的論証).
      • (b) につき EN VII 1, 1145b2-7; 2, 1146b7-8; B1.
  • それゆえ,Γ2 は,哲学と問答法を対立させているわけではなく,むしろ問答家による問答法の使用が (a) に限定されていた点を指摘しているのだと言える.