ストア派の関係性理解 Duncombe (2020) Ancient Relativity, Ch.9

  • Matthew Duncombe (2020) Ancient Relativity, Oxford University Press.
    • Chap.9. Stoic relativity. 181-201.

序論

本章はシンプリキオスの証言をもとにストア派に構成的関係性を帰属する.シンプリキオスは (a) "πρός τι" (関係項) (b) "πρός τι δέ πως ἔχοντα" (関係的性向のもの relatively disposed things) という二つの概念を定義している.近年の論者は,これらが各々「ハードな」/「ソフトな」関係的性質のクラスだと理解してきた.

本章はこれに反対し,どちらも性質ではなく対象であり,かつ各々 (a) 間接的に構成された関係項と (b) 直接的に構成された関係項であると論じる.論拠は:

  1. シンプリキオスがそうした特徴を報告していること,
  2. そう理解するとテクスト,例,変化の原理を説明できること,
  3. そう理解するとシンプリキオスのより広い分類法のなかにうまく (a) (b) を位置づけられること.

9.1 より明瞭な言葉に置き換えるべきである

シンプリキオスは Cat. 7 の注解で,関係項を統一的に捉えるアリストテレスに,2種類を区別するストア派を対置する.シンプリキオスの報告する分類では,まず関係項と関係的性向のものが互いに区別され,また καθ᾽ αὑτά なもの,κατὰ διαφοράν な (differentiated) ものと区別される (Simp. In Cat. 165.32-166.15).それから「より明瞭な」言い方で,(T1) 各関係性の特徴を与え,(T2) 各特徴の例を与え,(T3) 関係項と関係的性向のものを区別する,変化に基づくテストを与える.

(T1) εἰ δὲ δεῖ σαφέστερον μεταλαβεῖν τὰ λεγόμενα, πρός τι μὲν λέγουσιν, ὅσα κατ᾽ οἰκεῖον χαρακτῆρα διακείμενά πως ἀπονεύει πρὸς ἕτερον, πρός τι δέ πως ἔχοντα, ὅσα πέφυκεν συμβαίνειν τινὶ καὶ μὴ συμβαίνειν ἄνευ τῆς περὶ αὐτὰ μεταβολῆς καὶ ἀλλοιώσεως μετὰ τοῦ πρὸς τὸ ἐκτὸς ἀποβλέπειν, (166.15-19=SVF 2.403=LS29C (part))

すなわち関係項は κατ᾽ οἰκεῖον χαρακτῆρα に他のものに向かう.

(T2) ὥστε ὅταν μὲν κατὰ διαφοράν τι διακείμενον πρὸς ἕτερον νεύσῃ, πρός τι μόνον ἔσται τοῦτο, ὡς ἡ ἕξις καὶ ἡ ἐπιστήμη καὶ ἡ αἴστησις· ὅταν δὲ μὴ κατὰ τὴν ἐνοῦσαν διαφοράν, κατὰ ψιλὴν δὲ τὴν πρὸς ἕτερον σχέσιν θεωρῆται, πρός τί πως ἔχον ἔσαι. ὁ γὰρ υἱὸς καὶ ὁ δεξιὸς ἔξωθέν τινων προσδέονται πρὸς τὴν ὑπόστασιν· (166.20-241)

すなわち関係項の例として所持・知識・感覚,関係的性向のものの例として息子・右側の人・父親 (165.37).

(T3) διὸ καὶ μηδεμιᾶς γενομένης περὶ αὐτὰ μεταβολῆς γένοιτο ἂν οὐκέτι πατὴρ τοῦ υἱοῦ ἀποθανόντος οὐδὲ δεξιὸς τοῦ παρακειμένου μεταστάντος· τὸ δὲ γλυκὺ καὶ πικρὸν οὐκ ἂν ἀλλοῖα γένοιτο, εἰ μὴ συμμεταβάλλοι καὶ ἡ περὶ αὐτὰ δύναμις. εἰ τοίνυν καὶ μηδὲν αὐτὰ παθόντα μεταβάλλει κατὰ τὴν ἄλλου πρὸς αὐτὰ σχέσιν, δῆλον ὅτι ἐν τῇ σχέσει μόνῃ τὸ εἶναι ἔχει καὶ οὐ κατὰ τινα διαφορὰν τὰ πρός τί πως ἔχοντα. (166.24-29)

シンプリキオスは各々の場合における変化を説明する.関係的性向のものについて言えば,例えば息子があることをやめれば (cease to be),父親もあることをやめる.(もっともこの説明は,第一に,cease to be simpliciter か cease to be a father かで多義的である.また第二に息子が死んでも息子は息子ではないかという問題はある (cf. 10章)).定式化すると:

  • (変化1 change1) 全ての x とある2 y について,x と y が関係項と相関項の対なら,(x がそれであるものであることをやめたとき (cease to be what it is),y はそれであるものであることをやめる).

他方で甘さ (the sweet) と苦さ (the bitter) のような関係項は,各々に属する力が一緒に変化する (co-change) のでない限り,変化しない.甘さが甘いという現れを引き起こす力だとしよう.このとき甘さの対立項は苦さであり,甘さとは比較的苦いもの (例: 舌) を甘くする力である.

  • (変化2 change2) 全ての x とある y について,x と y が関係項と相関項の対なら,(x に属する力が変化するとき,y に属する力が一緒に変化する).

9.2 ストア的関係性の通常の解釈

通常の解釈は二つの関係性を (関係的) 属性のクラスと見なす:

  • (ソフト soft) F であることがソフトな関係的性質 (関係項) である iff. 全ての x, ある y について,(Gx ∧ Rxy) が Fx を基礎づける.
  • (ハード hard) F であることがハードな関係的性質 (関係的性向のもの) である iff. 全ての x, ある y について,Rxy が Fx を基礎づける.

一方 Menn 1999 は関係的性向のもの F を,「F なる A が,そのことによって F でない A と内在的に異ならないようなもの」と定義する.これも関係的性向のものを属性と見なしてはいる.

9.3 通常の解釈の (しかし通常の解釈にとってだけではない) 諸問題

通常の解釈にはいくつか問題がある.

  1. シンプリキオスの挙げる例は対象であり属性でない.
    • 通常の解釈を採る者は,"ὅσα πέφυκεν συμβαίνειν τινὶ καὶ μὴ συμβαίνειν ἄνευ τῆς περὶ αὐτὰ μεταβολῆς ..." の αὐτὰ が τινὶ を指すと考えているが,文法的には ὅσα を指すはずだ.
  2. 通常の解釈は「父」や「甘さ」の例をうまく分類できない.(父はハードだし,甘さはソフトだと思われる.)
  3. 関係項がたんなる関係的変化による生成消滅を免れる理由を説明できない.
  4. シンプリキオスは関係的性向のものを関係項の一種としている (166.8-11).
    • もっともこれは通常の解釈だけの問題ではない; 同時に「関係的性向のものは κατὰ διαφοράν ではない」「関係項は全て κατὰ διαφοράν だ」と述べることで,シンプリキオス自身が矛盾しているように見える.いずれにせよ分類の再考が必要となる.

9.4 ストア的関係性の別解釈

私の解釈では,

  • 関係的性向のものは,相関項との関係から構成される.つまり,直接的に構成される関係項である (cf. 1.3.3).
  • 差別化された (κατὰ διαφοράν) 関係項は,相関項との関係でもつ力によって構成される.つまり,間接的に構成される関係項である.

論拠として,まずシンプリキオスは (i) 差別化された関係項は「特徴」とともに考えられるものであるため,関係項は差別化されたものであること,(ii) 関係的性向のものは差別化されず,ただ他のものとの関係にのみ依存すること,を強調している (166.12-15).

  • (関係的性向 relatively disposed) 全ての x, ある y について,x が関係的性向のものである iff. Rxy が x を構成する.

これはもはや見慣れた考えである.父と子供との関係が父を構成する (父である限りの父にとっては,子供がいることが構成的である).他にもこれを裏付ける証言がある:

τέλεον μὲν ὁ κόσμος σῶμά ἐστιν, οὐ τέλεα δὲ τὰ τοῦ κόσμου μέρη τῷ πρὸς τὸ ὅλον πως ἔχειν καὶ μὴ καθ᾽ αὑτὰ εἶναι (Plu. de Stoic. rep. 1054e11-f2)

クリュシッポス「運動について」(περὶ Κινήσεως) 二巻の引用である.いわく,部分 (関係的性向のもの) は全体に依存するが,逆は成り立たない.これは本章の解釈に有利である (pace Mignucci).

ほかにも:

πρός τι εἶναί φησιν οἷς συμπροσπίπτει πρὸς ἕτερον ἡ σχέσις, οὐ μέντοι ἡ συμτακτική, ὡς ἐπὶ τῶν ἐχόντων καὶ ἐχομένων, ἀλλ᾽ ἡ πρὸς ὑπόστασιν, ὅταν αὐτῷ τῷ ᾧ εἶναι τὴν πρὸς ἕτερον ἀπόνευσιν ἔχῃ ... (Simp. In Cat. 187.28-188.3)

より後のコルヌトゥス (1c AD) の見解の引用.これも構成的解釈を裏付ける3

では関係項はどうか.In Cat. 166.3-8 では黒や白 (差別化された絶対的なもの) と甘さや苦さ (差別化された関係的なもの) が区別される.甘さを苦さと関係づけ,甘さを他のものと区別するのは,甘くする力である.

  • (差別化された関係項 differentiated relative) 全ての x, ある y について,Rxy なら,(x が差別化された関係項である iff. x は y との関係における力によって構成される).

この力が関係的性向のものである可能性は排除されない.力が関係的性向のものだとしても,構成関係が推移的でないかぎり,甘さ自体が関係的性向のものであることにはならない.

以上でテクスト上の根拠を示した.それ以外の根拠を以下で示す.

9.4.1 別解釈は「より明瞭な」議論を説明する

  • 以上の解釈で,「父」/「甘さ」「知識」「感覚」などは適切に分類できる.
  • 関係的性向のもの-変化1, 関係項-変化2 の対応も説明できる.

9.4.2 分類を説明する

以上の解釈で,差別化された関係項の存在と,差別化された関係的性向のものの排除が説明できる: 関係と力は異なり,また何ものも二つ以上のものからは構成されえない4

また πρός τι に広狭両義あると考えれば,広義の πρός τι に関係的性向のものが入るのはおかしくない.クラスとその真部分クラスで同じ名前を使うことはストア派の分類にはよくある (cf. DL 7.78, 1-11; PH 2.229-235; Simp. In Cat. 212-13).

結論として,ストア派の分類では〈差別化された/差別化されない〉〈絶対的/関係的〉という二つの軸が直交している.ただし「差別化されない絶対的なもの」は存在しない.


  1. 本文に 166.20-29 とあるのは誤り.

  2. 全ての.

  3. おそらく文脈による違い (であり,ここでは広義に用いているだけ) だと思うが,単なる πρός τι である点については一言説明がほしい気がする.

  4. これはどこから出てきたんだろうか.