概念工学とその限界 Cappelen and Dever (2019), Ch.5
- Herman Cappelen and Joch Dever (2019) Bad Language, OUP.
- Chap.5. Conceptual Engineering. 73-89.
前章では語に意味がないかもしれない場合を検討した.本章では,意味はありすぎるが共有されている意味 (shared meaning) がない (という点で理想化された描像から乖離する) 場合を使う.
5.1 概念工学ことはじめ: 私たちは言葉の意味を気にかける
いくつかの例:
- 「レイプ」: 多くの時代・場所で,「レイプ」という語は,夫が妻をレイプすることが不可能であるような仕方で用いられてきた.それを動機づけるのは,妻は夫の所有物であるという考え,婚姻は無制約な合意だという考えなどだった.私たちの多くはこの定義を斥ける.その他にも不一致があり,何が当てはまるかについては大いに論争がある.
- 「婚姻」: 20世紀末から21世紀初頭にかけての西洋諸国では「婚姻」(marriage) の意味について−−同性カップルを含めるかどうかについて−−激しい議論があった.
- 「人格」: 人格 (person) とは何か.胎児を含めるべきとする人と,そうでない人がいる.胎児を含むべきでないという人の間でも,何が含まれるべきかについて議論がある.これは米国内の中絶に関する議論の核心をなす問題である.
- 「拷問」: ウォーターボーディングが拷問かどうかは激しい論争がある.これも語「拷問」が何を意味すべきかの問題として理解できる.
概念を査定し改善する方法についての研究は,概念工学 (Conceptual Engineering) と呼ばれる分野の中心をなす.
上記の例はすべて社会的・政治的・法的文脈にあり,激しく熱のこもった論争が交わされている事例である.だが,語の意味の選択が重要になるのはそうした場合だけではない.「自由・嘘・意味・知識・証拠・直観とは何か?」といった哲学的な問いを考えよ.これについては二つの考え方がありうる:
- 第一の考え方: 「自由」等々の語は固定的な意味を持っており,その意味を理解し叙述するのが哲学者の仕事である.
- 第二の考え方: そうした語は多くのことを意味しうる (could) のであり,問題はどれが最良の意味かである.つまりねらいは「それらはどのような意味であるべきか (should)」という規範的な問いに答えることである.
概念工学者は第二の考え方を支持する.
5.2 概念工学の主論証 (と小史)
概念工学 (意味の査定と改善) の重要性に関する論証は以下の通り.
- 主論証 (The Master Argument):
- 語 W が意味 M を持つとき,W はそれに似た多くの意味 M1, M2, ..., Mn を持ちうる.
- W が達している意味が W の持つ最良の意味であると考える十分な理由はない; 典型的には代案となる無数のより良い意味がありうる.
- 話し・考え・理論を立てるときには,語はなるべく良い意味を持っていたほうがよい.
- だから,どのトピックを扱うにせよ,中心的なごくの意味を査定し改善するべきである.つまり,概念工学を行うべきである.
こうした考えは哲学史を通じて見られる (e.g., ニーチェ).20世紀の哲学者も,主論証の諸ヴァージョンを,ニーチェとは別の理由で擁護している (フレーゲの概念記法,ウィトゲンシュタインによる語りうることとただ示しうることの区別,カルナップの「解明」).
5.3 概念工学者に対する異議
主論証は多くの重要な異議を提起する.以下では三つの問いを扱う:
- いかなる意味で,意味に欠陥がありうるのか.
- 意味を変えると人々の話がすれ違ってしまわないか.
- 意味の変化は制御可能なのか.
5.3.1 異議1: いかなる意味で,意味に欠陥がありうるのか
意味の良さに違いがあるという前提があったが,どんな美徳や悪徳が重要になるのか.Cappelen 2018 は二つのカテゴリーを区別する:
- 内在的な悪さ: 意味そのものに欠陥がある.
- 意味に否定的な効果がある.
1の例としては:
- 中傷語 (slur): 'bitch,' 'kike' など.これに対する選択肢としては,消去 (elimination) や再収用 (reappropriation) がある.
- あまりに曖昧または不確定な語 (excessively vague or indeterminate terms):
- 不整合性や矛盾: e.g., インワーゲンの「自由」概念批判.
- Scharp 2013 は,哲学の仕事は概念の置き換えによってある主題に関する無矛盾な概念群に達することだと主張する.
2は意味の内在的性質ではなく効果に注目するものである.例としては:
- 哲学者や心理学者は,「総称文」(generics) が誤謬推論やバイアスのかかった態度をもたらしうると批判している.そうだとすると,これを改善するか置き換えるべき理由になる (以下同様).
- 「結婚」の意味が同性カップルを排除している場合,差別を永続化する効果がありうる (社会的・政治的欠陥).
- 「レイプ」が結婚している人に当てはまらない場合,その意味は振る舞いに有害な影響をもたらしうる.
- ジェンダーに関する語彙の用法が不公平・不正な社会構造に寄与しているなら,それは否定的影響と言える.
最後の例については Haslanger 1999, 2000 (Haslanger 2012 所収) を見よ.ハスランガーの最も影響力ある提案は,語「男」(man)「女」(woman) の意味を変更すべきだというものである.具体的にはたとえば,「女」の定義に,見かけのジェンダーに基づいて社会的に従属されているということを組み入れるべきであり,その上でフェミニストは女の消滅 (elimination of women) を目指すべきだと論じている.
2 の欠陥の重大さをより一般的に見て取るには,意味が私たちの思考と行為を形成する諸方式に注意すればよい (Burgess and Plunkett 2013a).
5.3.2 異議2: 意味の変化によって言葉の上だけの論争になってしまわないか
ハスランガーの提案のように「女」を新たな意味で用いると,意味を改善する人が改善前の人と話すときに混乱しないか.むしろ意味の区別を明示したほうがよいのではないか.
もう一つの異議として:「女」という語の意味を変えると,話題が変わってしまうのではないか.Saul 2006 はこの点を次のように例証する: アマンダがハスランガーの理論を受け入れて,「女」「男」をハスランガーの提案する仕方で用いるようになるとする.彼女は友人のボーに次のように言う:
- すべての女は男に従属させられている.
このときボーはハスランガーの意味について何も知らないとする.このとき:
- アマンダはボーに何を言ったことになるのか.彼女はボーがこの文によって言うだろうことを言ったのか,それともハスランガーが言うだろうことを言ったのか.
- 後者だとして,ボーが「すべての女は男に従属させられている,とアマンダは言っていた」と言う場合,ボーは何を言ったことに鳴るのか.
これは難しい問いであり,概念工学者の間で一致を見ていない.二つの答え方を素描しよう.
- トピックに訴える.Cappelen 2018 は「トピック」の導入によってこれに答える.語の意味変化はトピック保存的 (topic-preserving) でありうる.女というトピックが「女」の意味よりきめの粗いものとしてあり,意味が異なっても同じトピックについて語りうる.
- 会話上のカオス/分裂状態を受け入れる.Starken forthcoming は,会話上の分裂状態 (disruption) は言葉づかいに問題があることへの気づきを促進するものであり,受け入れねばならないと応じる.
5.3.3 異議3: 私たちは意味の変化を制御できるのか.動的語彙目録 vs. 厳格さの枠組み
- 私たちがどのような意味を持っているのかを誰が決められるのか.
- 意味とは私たちの制御下にある事柄なのだろうか.それを思いのままに変えることは可能なのか.
ハスランガーに同意する人は,言語に関わる運動 (linguistic activism) に参与したく思うだろう.だが,運動が有意義であるためには,私たちが意味を変化させることが可能でなければならない.s
以下では意味の変化に関する二つの理論を見ていく: Ludlow 2014 の動的語彙目録 (Dynamic Lexicon) と Cappelen 2018 の厳格枠組み (Austerity Framework).ラドローは意味をある程度思い通りに変化させ制御することができるとするのに対し,カペレンは私たちの制御能力は最低限にとどまり,言語に関する運動は不毛であるとする.
5.3.3.1 動的語彙目録に関するラドローの見解
ラドローによれば,人間の言語は一つ一つの会話という基盤 (conversation-by-conversation basis) の上に成り立っている.この基盤をラドローは「微小言語」(micro-languages) と呼ぶ.意味の変化は会話と会話の間で起きるだけでなく,会話の中でも起こりうるし,しばしばそれが会話の目的ともなる.ラドローの見解の中心にあるのは,意味制御 (Meaning Control) というテーゼである: 私たちは,原理的には,私たちの言葉の意味は制御可能である.
ラドローの見解は論争的である.以下に二つの懸念を示す.
- 実際のところどんな制御が可能なのか.仮に自分の微小言語における語の意味を制御できたとしても,次の瞬間には新たな微小言語が生まれ,再び誰でもその意味を制御できるだろう.また同時点での別の微小言語についても,制御は可能ではない (隣の部屋の会話でさえ).
- 意味制御は意味をグループ (「会話のパートナー」) に依存させる.ところで,例えば論文を書くときには,過去の人々,未来の人々,今後会うこともない現在の人々,がパートナーとなる.意味制御のテーゼによれば,意味の調整を制御できるのは,こうした様々なグループを連携させることができる場合に限られるが,それは不可能である.つまり意味制御の可能性を全く欠いている場合がありうる.さらに言えば,それが通常であり,例外ではない.会話というのは過去や未来から孤立して行われるものではないからだ.
5.3.3.2 厳格枠組みに関するカペレンの見解
カペレンの Fixing Language によれば,言語には欠陥があり,多くの点で改善可能である.だが,彼は概念工学運動 (conceptual engineering activism) には悲観的である.カペレンの厳格枠組みによれば,語の意味は,話し手が全く,ないしはほとんど制御できない事実によって固定されている.彼の枠組みの中心にあるのは二つの考察である:
- 測りがたさ (Inscrutable): 意味を確定する事実や,意味の変化の仕方は,典型的にはアクセス可能でない.関連する事実は過去に隠されており,無数の人々による使用の蓄積に依存している.
- 制御能力の欠如 (Lack of Control): 測りがたさの帰結として,私たちの誰も,意味の発展を制御できない; それは大規模な社会変動に少し似ている.
カペレンは意味の土台 (foundations) と意味の上部構造とを区別する.土台は語の意味を決める事実であり,上部構造は意味に関する私たちの信念・希望・選好・意図・理論・その他の態度からなる.問いが二つある:
- 上部構造は土台に (どう) 影響するか.
- 上部構造と意味の事実はどの程度食い違いうるのか.
これらはあまり研究されていないが,概念工学にとっては大きな意味がある.カペレンによれば,上部構造は土台に僅かな影響しかない; もちろん影響がないわけではないが,影響は予測不可能で測りがたい.ゆえに,意味を変えるには,意味に関する人々の信念などを変えるのではなく,土台そのものを変える必要があるが,そのやり方を私たちは知らない.
カペレンの立場は他の規範的領域における立場と似ている.道徳哲学者は道徳的に行為するとはどういうことかについての理論を持っているが,特定の不道徳な人間が道徳的になる方法についてのマニュアルは提示しない.政治哲学者も同様である.
カペレンは概念を改善する能力に限界があることが厄介であると認める.私たちは合理的動物であり,それによって概念に欠陥があることと,私たちができることが多くないということとをともに認識する.私たちの知性は自身を診断し治療法を見出すが,しかし何かをするには無力なのだ.このことは人間の合理性と知性の重要な限界を浮き彫りにしているのである.