罵倒語・侮蔑語・婉曲語・犬笛 Cappelen and Dever (2019) Ch.6

  • Herman Cappelen and Joch Dever (2019) Bad Language, OUP.
    • Chap.6. Slurs and Pejoratives. 90-110.

6.1 序論

教室では口にされないが,現実世界では (場合によっては頻繁に) 口にされる言葉がある:

  • 罵倒語 (insults): 'bastard,' 'fucking asshole,' 'swollen parcel of dropsies,' 'whoreson obscene greasy tallow-catch.'
  • 強意語としての間投語句 (expletives): 'fucking awesome,' 'damn annoying.'
  • 侮蔑語 (pejoratives): 'dago', 'gook', 'pickaninny', 'limey', 'ofay' / 'bitch', 'faggot', 'breeder' / 'papist', 'fundie', 'hymie' / 'nerd', 'redneck', 'square' / 'retard', 'spastic', 'crip'1

こうした露悪的な語句 (dysphemic terms) の裏側には 婉曲語 (euphemisms) がある:

  • 'collateral damage', 'extraordinary rendition', 'Montezuma's revenge', 'hiking the Appalachian trail'.

また犬笛 (dogwhistles) ないし符丁 (code words):

  • 'welfare queen', 'Dred Scott', 'inner city', 'international bankers', 'states' rights', 'super-predator'.

本章ではこうした語の意味に関する問いを考察し,これらを扱う意味の理論がどのようなものであるべきかを考える.

6.2 記述的内容説

中傷語には標的がある (targeted): 'hymie' は 'Jew' という中立的対応物を持つ.したがって,中傷語の意味は,その中立的対応物を (攻撃的に) 仕上げたもの (offensive elaboration) である−−これが中傷語の記述的理論 (descriptive theory of slurs) の主張である.

記述主義者に対しては,この「仕上げ」とは何なのかの説明が直ちに要求されよう.'dago' という語を例に取ろう.その中立的対応物は 'Italian, Spanish, or Portuguese' という選言 (ないしは 'southern European') である.さらに暴力を振るう傾向性もこの語のイメジャリーに含まれる (Morgan 1980).こうした記述主義的アプローチには二つの強みがある:

  1. このアプローチは異なる語の中傷の特定性を捉えることができる.'Chink' と 'papist' は中国人・カトリックの各々について単に悪口を述べるだけではなく,特定のステレオタイプに基づいて異なることを述べている.'Chink' は「中国人,かつずるい・金の亡者の・信頼できない」,'papist' は「カトリックかつ教皇に忠実すぎる」といった意味になる.またある語が別の語より攻撃的である理由も説明できる: 'Motherfucker' は 'jerk' より意味が強い.
  2. 記述主義的理論は,中傷語を用いる偏狭な人間 (bigot) がなぜ間違っているのかを説明する.'A family of dagos moved in next door' が 'A family of southern Europeans prone to violence moved in next door' を意味するのだとすれば,これは端的に偽である.

一方で,記述主義的アプローチには問題もある:

  1. 誰かがイタリア人で,かつ暴力的な人間である場合に,'dago' と呼ぶのが正しいことになってしまう.
    • 解決策の一つは,むしろ「南ヨーロッパ人であり,南ヨーロッパ人は全員暴力的である」のような記述として理解することである.Hom 2012 はこの線で洗練された提案を行っている: 必要なのは,「当のグループにいるだけで,ひどい扱いと否定的評価に値する」といった形式の規範的特徴である.こうした見解を規範的記述主義 (normative descriptivism) と呼ぶことにしよう.
  2. すべての中傷語に中立的対応物があるとは限らない.Ashwell 2016 は 'slut' を例に挙げる.また 'oreo' や 'twinkie' のような (人種差別的イデオロギーに基づいて選ばれる) 特定人種のサブグループについての中傷語も同様である.またそもそも人種についての反実在論者は,すべての人種的中傷語がそうだと考えるかもしれない.
    • また 'asshole' や 'motherfucker' といった罵倒語の場合も同様である.罵倒語は,一般には,特定のカテゴリーに属しているという理由で誰かを貶めるものではない.
    • 記述主義者の応答としては: 中立的な核が存在せず,ただ攻撃的特徴を帰属するだけの中傷語もある.
  3. 犬笛などは,記述主義的見解にとって厄介である.'Dred Scott' はあるグループには19世紀の最高裁判決を思い起こさせるが,別のグループにはロー対ウェイドを覆すモデルを想起させる.とはいえ,'Dred Scott' の記述的意味がドレッド・スコット事件以外の指示であるとは思われず,それゆえ記述主義的な説明が難しい.また 'fucking' のような間投語句も説明できない.
  4. 記述主義の最大の問題は侮蔑語が埋め込まれている場合である.例えば否定の場合: 'That person is not a gook' という文の悪さは,記述主義的にパラフレーズすると説明できない.
    • また条件文: 'If someone is a wetback, they ought to be condemned,' 質問: 'Is that person a slut?' も同様.
    • 一般的な問題として,記述主義によれば,侮蔑語に深刻にまずい (deeply wrong) 部分がなくなってしまう.何にも当てはまらないが言語の重要な部分をなす語はたくさんある (「ユニコーン」「熱素」「丸い四角」など).

埋め込み問題の解決については次節で論じる.その前に,どの立場にとっても難題である侮蔑語の特徴を取り上げたい.それは「我有化的用法」(appropriative uses) である: 標的とされるグループが,当の語を非侮蔑的・肯定的に扱うことで,グループの価値を主張すること.'Queer' などが範例であり,この語の場合は以前の侮蔑的意味がほぼ消滅している.'Dyke' や 'homo' には両方の意味が残っている.細かい違いは色々ある: メンバー内でのみ非侮蔑的用法で用いうる場合もある; 我有化によって攻撃性の消滅を目指す場合もあれば,攻撃性を残したり否定的記述的内容を残そうとする場合もある.

侮蔑語に際立った (欠陥のある) 意味を与える任意の理論にとって,我有化は難しい現象である.'Dyke' が「レズビアンであり,レズビアンであるがゆえにひどい扱いに値する」という意味だとすると,これを我有化することは果たして可能だろうか.これに関して,同音異義語を作っているのだと説明すると,次のような会話で,ベスがアレックスに同意している (agree with) ことが理解できなくなる.

アレックス: あんたレズなの.(You're dyke!)

ベス: ええそうですとも,最高でしょ.(Damn straight, and proud of it, too!)

6.3 前提説

記述主義の問題は,侮蔑語によって世界をカテゴライズしようとすること自体の悪さを捉えられていない,ということだった.以下では,侮蔑語が言語のうちにあること自体の悪さを捉えることを中心的な動機とするような見解を検討する.

前提説 (presuppositional view) によれば,侮蔑語は何かを言い (say),別のことを前提している (presuppose).例: 'dago' は「南ヨーロッパ人」だと言い,全ての/ほとんどの南ヨーロッパ人は暴力的だといったことを前提している.偏見を持たない人間は,偽なる前提を認めたくないため,この語を使おうと思わないだろう.侮蔑語は世界をカテゴリーに分けるだけではなく,偏見に満ち攻撃的な想定を組み込んだ仕方で分けるプロジェクトの一部なのである.

前提説は埋め込まれた侮蔑語を扱うのに適している.前提された意味は埋め込みから「飛び出す」(projects out) からだ.ただし問題が二つある:

  • 前提は典型的には「と信じている」「と言っている」という文脈からは飛び出さないが,侮蔑語も同様かは明らかではない.'Niges said that the new store is owned by a Paki' は話し手自身の侮蔑を伴わないだろうか.
  • 前提は条件文の前件などで「閉じ込める」(screen off) ことができる:「アレックスがベスの車を奪ったなら,彼女は奪ったことを後悔しているに違いない」.だが侮蔑する効果についても同様だとは思われない.

つまり,侮蔑語の効果は前提の効果より根強い (persistent) ものだとも考えられる.

### 6.4 表出主義的見解

記述主義的見解と前提説は情報の置き場が異なるだけである.一方で,そもそも情報を伝えているという想定が誤っていることも考えられる.中傷語の内容にはいわく言いがたい (ineffable) 部分があり,必ずしもパラフレーズに解消できない.そうした側面の一つとして中傷語の不快さ (nastiness) がある; 記述的内容は中傷語と同じ情緒的内容を持たない.

だから,むしろ記述 (describe) ではなく表出 (express) の役割を持つ言葉づかいを見たほうがよいかもしれない.「痛っ」(ouch) という語は,痛いときに言うのが適切だが,ひとが痛みを感じているということを意味する (mean) わけではない.

「痛っ」は純粋に表出的だが,表出的機能と記述的機能が組み合わさった言葉づかいもある.例えば:

  • あのクレズギーの野郎は有名なんだ.(That bastard Kresge is famous.)

この文の記述的内容はクレズギーが有名だということだ.すると「あの野郎」は記述的内容に寄与しない.これは表出的内容であり,情報を伝えない: 世界のありようを述べているわけではなく,話し手の感情を表している.

表出的内容は否定の文脈を逃れる.また表出的内容は前提的内容以上に埋め込みを逃れる傾向性が強い (例: 過去時制の中で用いられても現在の態度を表す).

一方で,純粋な表出的理論は中傷語の用法に完全に忠実なわけではない (Camp 2013).中傷語が偏見を持つ文化に組み込まれた人々に用いられており,その人々がしばしばその言葉づかいを,中傷を意図せずに中立的に使う場合,それは無垢な (innocent) 用例でありうる.語のそうした使用は道徳的に誤っているにしろ,言語的に誤っているとは言えないように思われる.

6.5 禁止主義的見解

禁止説によれば,中傷語に特徴的なのは,その意味ではなく,使用してはならないという規則がある語だという点にある.この点は 'fuck' のような間投語句において最も見やすい: この語がなぜ様々な複雑な役割を担うかといえば,禁止されているために,使用することで衝撃と強度が得られるのだ.

そして禁止主義はこの描像を中傷語に拡張する.'Dago' が中傷語なのは,その標的となる南ヨーロッパ人によって禁止されており,この禁止を破ると南ヨーロッパ人を適切に尊重しないことになるからだ.

禁止主義は中傷語が埋め込まれたときの振る舞いをうまく説明する.また中傷語は括弧で括られてさえ不快な感じがするという次第も説明できる (どちらかといえば,括弧で括らない用法のほうが悪いという点の説明が難しくなる).

禁止主義は中傷語の意味の理論ではないので,真理条件が何かは別問題となる.とはいえ,例えば 'dago' が南ヨーロッパ人について真であると考えるのが自然になる.

禁止主義に対する主な懸念として,説明の順序が逆転しているのではないか,というものがある.私たちは「中傷語は中傷的だから禁じられているのだ」と言いたくなるが,禁止主義によれば,中傷語は禁止されているから中傷的なのだ.この考えが正しいとすると,そもそもなぜ禁止されているのか,という疑問が浮かぶ.例えば元々中立的な意味を持っていた語が人種差別的な意味を帯びるようになるとして (e.g., 'pickaninny'),そこに禁止のステップを位置づけるのは難しい.中傷語はむしろ,人種差別的歴史を呼び起こすがゆえに中傷的なのではないか.

先に中傷語の「無垢な」用法が存在することを見た.しかし話し手の意図は語の歴史には影響しないので,そうした用法も攻撃的となりうる.また話し手が歴史を意識しているとすると,伝達意図が無垢であろうとなかろうと,何らか攻撃的な発話を行っていることになる.

こうして禁止主義はわずかに一般化される.一般化された禁止主義は,中傷の説明をその意味に求めない点には同意するが,中傷語は何らか否定的効果を持つ歴史をもつ言葉であるという以上の一般的なことは言えないと考える.この説について二点述べておく:

  1. この見解が中傷を実質的な意味に含まれない「単なる心理的効果」としているために攻撃性を十分に説明できていないのでは,と懸念するのはたやすい.しかし,そうした懸念は,歴史と文化の持つ強力な効果を過小評価している.
  2. 一般化された見解は,犬笛や婉曲語の説明にも有用である.「インナーシティの若者」(inner city youth) や「囚人特例引き渡し」(extraordinary rendition) という語が用いられるのは,それらの語が引き出すイメージゆえである.
    • なお犬笛や婉曲語は禁止されていないので,元々の禁止主義はこれらを説明できない.
    • 元々の禁止主義は反対に,「じゃねえ」(ain't) のような語の説明について説明できない (この語は禁止されているが,それによって中傷語となるわけではない).一般化された見解は,この語を特定の社会集団と結びつける歴史に訴えて説明することができる.

6.6 おわりに

理想化された描像のもとでは,意味とは情報を伝えるものであった.本章ではこうした穏やかな言語から最も根本的に逸脱する事例を扱った.こうした例を説明するために,情報伝達的なパラダイムをどの程度変更する必要があるか,が中心的な問いとなった.本章では二つの方向を示した: 悪感情 (bile) を意味の理論に組み込む方向性 (記述主義/前提説/表出主義) と,言語上の (linguistic) 理論化をあきらめて私たちと言語との相互作用から生じるものとして説明する方向性 (禁止主義).どちらが正しいかを言うには,様々な問いを精査する必要がある (特定の中傷の振る舞いをどれくらいうまく扱えるか,言語の理論はどれくらいのことを射程に収め,どれくらいのことを心理学や社会学に委ねるべきか).


  1. 原注1.攻撃的な語は,その使用のみならず,言及さえ,人々の感情を害しうる.そこで,中傷語 (slurs) の議論は,軽い中傷語 (mild slurs) に集中するか,婉曲に言及するか,図式的ないしフィクショナルな事例を用いるかする場合がある.だが,攻撃的な語を隠すことで,中傷語の力を軽んじてしまい,その力を説明する理論を立てられないおそれがある.