意味表示概念と真理概念 Crivelli (2009) "Aritotle on Signification and Truth"

  • Paolo Crivelli (2009) "Aritotle on Signification and Truth" in Georgios Anagnostopoulos (ed.) A Companion to Aristotle Wiley-Blackwell, 81-100.

Signification に関しては教科書的な整理.Truth の方はどうか分からない (Aristotle on Truth (未読) の成果が反映されているはず).


著作に散在する主張からアリストテレスの意味表示と真理に関する見解を再構築する.

1. 意味表示

  • 普遍アリストテレスにとって普遍は概念でも言語表現でもない対象だ.この限りで彼は普遍に関する実在論者である.全ての普遍はある時点で個体がその実例となる限りで存在する.
    • 「ある時点で」というのは,例えばホメロスは現在存在しないが,ホメロスは今,詩人という普遍の実例となっている,ということだ.
  • 意味についての主張 De Int. 1, 16a3-8 では7つの主張がなされる.また 5 から 8 が導ける.「割符である」「似姿である」「記号である」という三種類の関係と,発話・魂の受動状態・書字・対象という諸項が導入される1
    1. 発話される名詞,動詞,句,文 (以下「発話」(utterance)) は魂の受動様態の割符である.
    2. 書かれる名詞,動詞,句,文 (以下「書字」) は発話の割符である.
    3. 書字は全員について同じではない.
    4. 発話は全員について同じではない.
    5. 対象の似姿である魂の受動状態は,発話が記号となる最初のものである.
    6. 魂の受動状態は全員について同じである.
    7. 対象は全員について同じである.
    8. 魂の受動状態の似姿である対象は,発話が記号となる第二のものである.
  • 分析における諸項 発話は言葉を発するという個々の出来事,魂の受動状態は思考という個々の出来事である.書字とは何らかの媒体上の印である.「対象」は個物・普遍・事態などあらゆるものを指す.
  • 割符である SE 1 では「ものの代わりに割符として言葉を使う」(165a6-8) と言われる.発話された言語表現 u が思考 t の割符であるとき,t は発話者の思考であり,発話者は u を聞き手に聞かせ,それによってt を見せるときに得られるのと同じ効果をもたらそうという目的を持つ.声が届かない範囲でも何らかの媒体に書いて読ませることができる.書かれた言語表現 w が発話 u の割符であるのは, u が書き手によって生み出されており,u を聞くときと同じ効果を w を読むことでもたらす目的で w が生み出される場合である2
  • 割符は規約に依存する 発話−思考,書字−発話の割符関係は規約に依存する.
  • 似姿である De Int.De An. を参照する.De An. II.5 では感覚において感覚器官が対象に似ると言われ,III.4[^5] では思考が感覚に擬えられる.詳細は省いて三つの尤もらしい帰結を述べると,(1) 思考は「魂の受動状態」「対象の似姿」と呼べる,(2) 思考が対象の思考なのは対象の似姿である場合のみである,(3) 対象の似姿は対象が引き起こす似せるプロセスの結果である.似姿関係はしたがって規約的でなく自然的である.
  • 記号である 割符関係と記号関係は二点で異なる.第一に前者は話者の視点を具現するが,後者は聴衆の視点を具現する.第二に,割符関係は規約に基づくが,記号関係はそうとは限らない.人間の言語が規約的か自然的かという『クラテュロス』的な議論においては,アリストテレスは規約主義の側に立つ.
  • 発話は思考と対象両方の規約的記号である 上記 4 と 8 より,アリストテレスは発話が記号となる二つの仕方を区別していると思われる.
  • 思考の規約的記号 発話が思考の規約的記号だとはどういうことかを彼は定義していない.単に割符であるとき記号であるのだと思われる.
  • 思考の規約的記号についての問い では,思考の規約的記号はどう用いられるのか.答え: おそらく,地学者にとって地学的現象 g地震 e の発生を推論させるように,記号 u は発話者における思考 t の発生を推論させるのだろう.
  • 対象の規約的記号についての問い 対象の規約的記号はどう用いられるのか.De Int. 3 では発話が「何かを意味表示する.なぜなら話者が思考を引き止め,聞くものが静止するから」(16b19-21) と言われる.これは,話者と聞く者の両方の思考が同じ対象に集中することで「止まる」のだ,ということをおそらく意味する.発話 u が対象 o の慣習的記号なら,uo の似姿である思考 t の割符である.
  • 思考と対象の規約的記号についての問い なぜ発話は対象のみならず思考の記号なのか.異なる種類の発話行為の違いに関する最も素直な説明は,発話を聴衆が用いる仕方に訴えるものだ: 平叙文は判断の,疑問文は知りたいという願望の,割符であり記号である.各々の発話の解釈において,聴衆は各々の種類の心的出来事が話者に起きているのだと推論する.
    • だが,固有名はもっぱら対象の記号なのではないか,という反論はありうる.しかし,固有名が何を指すかも思考に依存する (ある人は「ゼノン」ということでキティオンのゼノンを,別の人はエレアのゼノンを意味する).
  • 発話された名辞,動詞,句 全ての規約的に表示する発話は分節された発話である (i.e. 基礎的な発話からなる).だが逆は成り立たない (e.g. 鳥の発声 (utterance)).規約的に意味表示する発話のうち,句や文はそれ自身で規約的に意味表示する発話を部分に持つが,名辞や動詞は持たない.複合名詞もそうである: 複合名詞の部分は規約的に何かを意味表示するが,それ自身で (on its own) ではない.(アナロジー: ボートを共同で曳くとき,各々の人がボートを曳いていると言えるが,それ自身で曳いているとは言えない.) また別のところで切った場合は (e.g. "blueb" と "erry") 全く何も意味表示しない.(アナロジー: ある人と別の人の腕のメレオロジー的総和はボートを曳くのに貢献していない.)
    • is + 発話された名詞が発話された動詞かどうかはアリストテレスは述べていない.多分,発話された動詞ではなく,発話された動詞的な句だと考えていた.
  • 略記 以下,対象の規約的記号が問題になるとき,単に「表示する」と言い,「発話された」と言わずに単に「名詞」「動詞」etc. と言う.
  • 一つかそれ以上の対象を表示する発話された言語表現 ある名詞・動詞 etc. は一つの普遍を表示する (e.g.「人間」).ある名詞 etc. は一つの個物を表示する (e.g.「ソクラテス」).ある名詞・動詞・句は一つ以上の普遍を表示する (e.g.「歩いている白い人」).空なる名辞はこの種のものである (e.g.「山羊鹿」).
  • いかなる対象も表示しない発話された言語表現 前置詞,接続詞,量化表現,「である」形式の発話はいかなる対象の似姿でもない (Po. 20, De Int. 3).
  • 同名異義性 アリストテレスはいくつかの理由から同名異義性を精査する.(1) 同名異義性は問答法的議論や哲学研究において妥当でない推論を誘発しうる.(2) 対象の異なる定義が相互に関連する場合,それら全体に関する学知がありうる.

2. 真理

  • 何が真・偽でありうるのか 文・思考・その他特定の対象.
  • 真・偽である対象とは 複合的対象と単純な対象がある (Θ10).複合的対象とは事態 (普遍と,普遍ないし個体の複合物 (Δ29)) である.「ソクラテスが座っている」という事態は座っているという普遍とソクラテスからなる.これが真なのはソクラテス座っているが結合しているとき,偽なのは両者が分離しているときである.少なくとも Met. では「肯定的な」事態しかないとされる.そして事態は偽であるときにも存立しうる.全ての事態が永続的かは定かでない.
    • 物質的実体 (material substance) は (質料と形相が) 結合しているときに存在できる.この点で「結合しているときに真である」事態と似ている.おそらくアリストテレスは,物質的実体も真ないし偽なる複合的対象に含んでいた.
    • 一方,単純な対象が真であるとは,単に存在することであり,偽であるとは存在しないことである.本質と非物体的実体 (神と天体) がこれに属する.
    • 対象に適用される真・偽はおそらくアリストテレスが作り出した拡張である.
  • 真・偽なる対象は三つの役割を果たす (1) 他の種類のもの (思考・文) が真・偽なだとはどういうことかを説明する,(2) 様相的属性の担い手となる,(3) 命題的態度の対象となる.以下では (1) に集中する.アリストテレスのアプローチは (重要な違いもあるものの) 命題の真偽に訴えて思考や言語表現の真偽を説明するフレーゲ以来のアプローチに似る.
  • 真理評価可能な文 ある種の文 (e.g. 祈り) は常に真でも偽でもない.いつでも真か偽である文は言明である.ただし言明が真でも偽でもない場合はある.言明 = 真理評価可能な文 (真か偽かを合理的に問いうる文).
  • 真理評価可能な思考アリストテレスは一まとまりとして分離していないが,真理評価可能な文の対応物としてこれがあるとおそらく考えていただろう.
  • 単純・複合言明 一つを表示するなら単純言明,それより多ければ複合言明である (De Int. 5-6).複合言明は複数の単純言明を連言で結んだものと等価である.
  • 単純判断 を心的対応物として考えられる (アリストテレスは言ってない).
  • 真・偽の定義 アリストテレスの見解は以下の定義に支配される:
    • DTF 全ての単純言明はただ一つの対象の似姿である (を表示する).そして,肯定的か否定的かである.肯定的な言明はその対象が真であると措定する.それが真/偽なのは対象が真/偽のときである.(否定はその反対.) Γ4, 1011b26-7 から言明についての DTF へのコミットメントが読み取れる.
    • 以下,事態や物質的実体という複合的対象,単純な対象の似姿である (を表示する) 単純な判断・言明の DTF の諸形態を詳しく見る.
  • 述定的言明と判断 事態を表示する単純言明は述定的言明である (対応して述定的判断もある).これは述語 (動詞ないし動詞的な句) と主語 (名辞ないし名辞的な句) 一つずつからなる.述語は一つの普遍を,名辞は一つの普遍ないし個物を表示する.全ての述定的言明は肯定的か否定的かである.多くの場合「でない」と量化表現が述語と主語の他につく.
  • 述定の分類 De Int. 7 では述定的言明が単称的/一般的に分けられ,一般的言明が不定称/量化言明に分けられる.量化言明はさらに特称/普遍に分かれる.肯定/否定の区別はこの分類と直交する.
  • 述定と事態 述定的言明は事態の似姿である (を表示する).事態は述語・主語が意味表示する対象からなる.
  • DTF と述定 〔省略.〕
  • 「量」において異なる諸述定の真理条件 結合と分離の諸種は「量」において様々な述定的言明 (判断) と関連する:
    1. 普遍的肯定言明は,述語が似姿である普遍が主語が似姿である普遍に,普遍的に成立する仕方で結合すると措定する.言明が真となるのは普遍的に成立する仕方で結合しているときである.
    2. 普遍的否定言明は,……普遍的に不成立であるという仕方で分離すると措定する,云々.
    3. 特殊肯定言明は,述語が似姿である普遍が主語が似姿である普遍に,普遍的に不成立ではない仕方で結合すると措定する,云々.
    4. 特殊否定言明は,……普遍的に成立するわけではない仕方で分離すると措定する,云々.
    5. 単称肯定言明は,述語が似姿である普遍が主語が似姿である個物に成立する仕方で結合すると措定する,云々.
    6. 単称否定言明は,述語が似姿である普遍が主語が似姿である個物に外側で成立する仕方で分離すると措定する,云々.
  • 〔省略.〕
  • DTF と物質的実体 物質的実体の似姿である肯定的単純言明が真である iff. 物質的実体が真である (i.e. 存在する).否定はその逆.したがって物質的実体の似姿となる (を表示する) のは単称存在言明である.一度も存在したことがないものの単称言明は説明されないままである.
  • DTF と単純な対象 同様に単称存在言明が対応する.単純な対象はつねに存在するので,肯定言明はつねに真である.「単純な対象についての思考は誤りえない」(Θ10) という主張はこのことを意味している.これは単純な対象についての思考を存在判断ではなく概念だと見る伝統的解釈 (de Rijk, Wilpert) と異なる解釈である; 伝統的解釈は無関係な二つの真理概念をアリストテレスに課してしまっている.
  • 対応としての真理? DTF は「判断・言明が真 iff. それが対象をある通りに措定している」ことを含意する.伝統的にはこれが対応説の特徴と見なされてきた.一方で,「事実との対応」を対応説の要件とするなら,アリストテレスの理論は当てはまらない (事実に言及していないため).
  • 未来時制の言明 アリストテレスによれば,ある未来時制の言明は真でも偽でもない.この考えは宇宙の歴史を出来事の累積と見る見方に由来する.

  1. 直後の分析をいくらか先取りして再構成した.

  2. 定式化としては明瞭だが色々つっこみどころはありそう.