第一哲学の構想 Irwin (1988) AFP, Ch.8
- T. H. Irwin (1988) Aristotle's First Principles, Oxford University Press.
- Chap.8. The Universal Science. 153-178.
A-Γ の検討.カント的な問題意識を B のアポリアイに読み込もうとしている.アナクロではという気もするが,うまく読めれば面白いと思う.また諸科学との関係で普遍学を捉えようとする点も示唆的.
83. 形而上学のねらい
問題は,個別科学も問答法も第一原理を正当化できない,ということだった.新たな学知を記述し使用する Met. はこれを解く手がかりを与えるはずである.Met. A はこの学知を,究極的原因・原理の学である σοφία, φιλοσοφία と呼ぶ.そして原因探究において知者についての通念の問答法的サーヴェイを行う (982a4-29).そして知者は全てを知っているという通念を受け入れる.全知なのは博学だからではなく,普遍学を有しているからだ (982a21-3).
しかし B では普遍学成立に関してオルガノン以来の困難が提起される.したがって Γ は普遍学の成立可能性と方法についての説明から始まる.そして実際に成り立つことを示すため,Γ では PNC に関する議論が,ZHΘ では実体論が展開される.
まずは第一哲学の可能性について問題が生じる.オルガノンはこれを否定しているからだ.『分析論』の認識論はそれ自体として問題含みだったので,いずれにせよ改訂は必要であった.そして実体論が第一哲学の構想に影響を受けているかを見るのも同じくらい大事である.『形而上学』は実体論を単なる問答法的議論 (1029b13) ではなく,「ある」の学知の一部として提示している (1030a27-8).実際に初期作の問答法的議論とどう違うのかを検討しなければならない.
84. 知恵と懐疑論
Met. A の原理探求は懐疑論的挑戦を受ける.懐疑論は実在論的前提に根ざしており,プロタゴラスはその実在論的前提を拒否することで懐疑論を拒否する.だが,アリストテレスはそれには乗れない.デカルトのような反懐疑論者は,懐疑論的結論に至る結論を避けるために,歴史研究から背を向ける.デカルトは原理の直観的把握だけが懐疑論に導く際限のない論争からの脱出口だと考えていた.他方アリストテレスの信じるところでは,哲学史研究は問答法の特殊事例であるために生産的で有用であって,通念や感覚は矛盾する現れの絶望的混乱ではない.
85. 普遍学と四原因
先行者たちは四原因全てを認識し説明することは叶わなかった.しかし (ほとんど) 見つけてはいたのであり,それは現れ (986b31) と「真理そのもの」が探求へと導き探求を強制していたからだ (984a18-19, b9-11).
質料論者は質料だけを認識し,全宇宙を付帯的性質が変化する単一の質料的基体とみなす.だが変化を説明できない; 彼らの理論そのものが始動因を必要とする (問答法的議論).さらに形相因も認識しなければならない (ZHΘ で詳論される.A では探究者が気付くべきミニマルな形相因の導入に留まる).また先行者は目的因をそれとして識別できていない.
Met. A でもアリストテレスは四原因論のアプリオリな論証や包括的な経験的論証は与えていない.だが Phys. II や PA I とは違ってアリストテレス自身の現れの外側に立って問答法的な議論をしている.
86. 普遍学の特徴
アリストテレスによれば,先行者たちの一階の探究は,探究についての誤った二階の想定に基づいている.普遍学は一階の探究の準備となる諸問題に答えることを目的とする (カント的な意味で) 二階の学知である; 二階の問いは単に問答法的ではない学問的議論を容れ,その結果は普遍学である.
87. 普遍学についてのパズル
A で想定した学知について B はパズルを論じる.最初の四つは普遍学そのものに関する方法論的パズル,残りは普遍学のための (for rather than about a universal science) 実質的パズルである.
88. 方法論的パズル
方法論的パズルはアリストテレス自身の普遍学に関する主張から自然に出てくる.
ほとんどのパズルは直接的には学知の対象に関するものだが,間接的には方法に関するものでもある.諸々の困難が生じるのは,普遍学が一階の論証的学知の基準に適合すると考えるときだからである.
しかし一方で,普遍学のトピックは学問的論証に属さないと言うだけでは十分でない."εἴ τ᾽ ἐστὶ μὴ τοῦ φιλοσόφου, τίνος ἔσται περὶ αὐτῶν ἄλλου τὸ θεωρῆσαι τὸ ἀληθὲς καὶ ψεῦδος;" (997a14-15) 問答家だ,と答えることはできない.問答法は通念のみに依拠するからだ.
89. 実質的パズル
原理や普遍,個物,形相,質料,実体について実質的パズルが提起される.これらのパズルは我々の見方 (conception) が誤っているかもしれないことを示唆する〔詳細略〕.実体についてのパズルは第一原理についてのパズルとの関連で出てくるが,それは第一原理は実体だと想定しているからだ.しかし,この想定は誤っているかミスリーディングでありうる; 存在の秩序と認識の秩序は一致していないかもしれない.諸問題の正確な意義について定かでなければ,パズルが言明された語彙をそのまま受け入れるのは愚かである.パズルにおいて (in) 提起された問題に答える前に,パズルによって (by) 提起された基本的問題に答えなければならない.
90. パズルと予備的な問い
こう考えると,続く Met. の構造についての予期は変更を要する.残りの部分は,B の問いに直接答えていなくても,適切な続巻でありうる.そう考えれば,例えばプラトン的な超感覚的実在についての問いにそれほど紙幅を割いていない点も了解できる.この意味でアリストテレスのパズルとカントのアンチノミーは似た構造を有する.
予備的な問いを同定し検討することで,アリストテレスは懐疑論的哲学史に異論を唱えようとする.彼の考えでは,予備的な問いを考究しなかったために,論争は解決不能に思われていたのである.予備的な問いが学問的論証によって解答不能なら,懐疑論は確証されてしまう.しかしアリストテレスはそれらに回答する普遍学を構想している.普遍学は第一原理を論じるものとされる.実体は第一原理なので,普遍学は実体を論じる.そして個物・普遍、質料と形相,およびそれらと実体の関係について論じる.
解答は論証的学知において期待される種類のものではない.といって,単に問答法的なものでもない.
91. 普遍学の可能性
(a)〈あるもの〉としての〈あるもの〉と,それにそれ自体として帰属するものどもとを観照する,或る学知がある.(b) この学知は,部分的なものとして語られる諸学知のどれとも同一ではない.というのも,他の諸学知のどれも,〈あるもの〉としての〈あるもの〉について普遍的に考察してはおらず,むしろそれ〔=〈あるもの〉〕の或る部分を切り取って,それ〔=〈あるもの〉〕について付帯的なものを観照しているのである.例えば諸学知のうちでは数学的諸学のように.(c) 諸原理すなわち最高の諸原因を我々は探究しているのだが,これらがそれ自体として或る自然本性の〔諸原理〕であるということは明らかである.(d) それゆえ,〈あるもの〉どもの諸基本要素を探究する人々もこれらの諸原理を探究していたのだとすれば,諸基本要素も,付帯的な仕方での〈あるもの〉ではなく,むしろ〈あるもの〉どもとしての〈あるもの〉の諸基本要素でなければならない.それゆえ,我々も,〈あるもの〉としての〈あるもの〉の第一の諸原因を把握しなければならない.(1003a21-32)
(a) は学知の主題的対象を B とは違う仕方で述べる.パズルに直接応答するものではないが,異論のスコープに入ってはいる.(c) は依然として究極的原因の探究が普遍学のねらいだと宣言する.(d) は諸要素を探究した人たちに同意し,この探究者たちも一般的要素を探究していたのだと想定する.ただし「〈あるもの〉としての」を付加することでパズルは回避される.
なぜ「〈あるもの〉としての」を付加することでパズルが解かれるのか.それは,(b) 個別科学と普遍学が (同じものの) 異なる属性について探究しているからだ.したがって両者の間に競合は生じない.
92. 普遍学の対象
しかし,「〈あるもの〉としての」はいかにして普遍学の適切な範囲を区切っているのか.
個別科学は本質的属性を所与として内在的付帯性を探究するのであり,本質的属性と付帯性を備えた主体であるとはいかなることかを問いはしない.またものの客観的なあり方を我々が何らか把握していることも所与とする.第一原理を所与としているからである.
一方で,普遍学は個別科学が前提すべき諸性質を研究する.ゆえにそれは〈あるもの〉としての〈あるもの〉を研究するのだ.
〈あるもの〉としての〈あるもの〉を正しく捉えれば,それが実体を研究すべき理由もわかる (1003b15-19).各々の〈あるもの〉は実体ないし原理としての実体に依存するものとして定義される.諸科学は本質的属性を伴う主題的対象を研究するのだから,諸科学が前提する〈あるもの〉としての〈あるもの〉を研究する学知は,実体を研究する必要があるのだ.〈あるもの〉と実体の関係を捉え損じると,この研究はできなくなる (1004a31-b4).
普遍学は実体についての二階の探究である.ただしそれは,世界自体より世界について語られることに関わるということではない.むしろ,特定の抽象的な仕方で,それが諸科学の主題たりうるにはどうあるべきかを問いつつ,世界に関わるということなのだ.
93. 論証的学知と対比された普遍学
では,普遍学はいかにして学知たりうるのか.それは論証的なのか,論証的でない仕方で学問的なのか.
アリストテレスは前者の選択肢を退ける.B で指摘されたように,〈あるもの〉の類はなく,〈あるもの〉の本質も前提できない.普遍学は諸科学と異なり第一原理を前提せず正当化しなければならない (1025b9-16).
しかし,それはいかにして可能なのか.Anal. では第一原理は直観によって把握されねばならないと論じられていたが,それは循環および無限後退を拒否していたからだ.第一哲学による原理の正当化という課題は,正当化に関する以前の見方を無視しているように見える.
94. 問答法と対比された普遍学
原理についてありうる唯一の議論の方法は問答法である.それゆえ普遍学は何らか問答法的であると予想される.しかし一方で,問答法と科学は B でも Γ でも峻別されている (995b22-4, 1004b25-6); 問答法は通念を探究するにすぎないが,哲学は〈あるもの〉を探究する.それゆえ,通常の問答法とは異なる,「強い問答法」が必要である.
95. 普遍学の問答法的性格
普通の問答法は前提を比較的任意に選ぶが,強い問答法は通念の適切な部分集合を選ぶ必要がある.第一原理を有していなくても,どの通念が信頼可能かを理由付きで選ぶことはできる.そして選んだ通念だけから問答法的議論を組み立てれば,その議論の結論は通常の問答法の結論より信頼できるものになる.
学問的探究の対象があるという前提は単なる通年ではない.それは基礎的であり,放棄すると他の諸信念に深刻な損害が生じるからだ.この信念に異議を唱えることもできるが,異議を唱えた結果は,異議の前提するところよりいっそう信じがたいものになる.Γ4-5 は第一原理についてこのことを示す.
96. 普遍学の課題
以上はアリストテレスの第一哲学観が合理的だと示すものではない.明白に非合理なわけではないと示したにすぎない.うまくいくかは実際の議論を見ないと分からない.
Met. でアリストテレスは,プレソクラティクス・プラトンの存在論に向き合いつつ,通常の問答法と別の普遍学的議論を構想し,またプロタゴラスを批判する.これら全ては初期著作からの離反を示している.